私には妹がいた。でも彼女は足の病気で、心の病気で。
病院に、いた。
興奮時でない妹は、どこまでも穏やかで、綺麗で、自慢の妹だから。私は何度でも病院に足を運ぶ。
ある日の夕方、私は妹に何の連絡もせずに、病院へと向かった。
病院で一人きりのお手伝いさんに「妹に会いに来ました」すると、お手伝いさんは困ったような表情をした。
「それがねえ、あの子抜け出してしまったのよ」
その言葉に、私は驚いて問い返す。
「どうして? 妹は足が悪かったはずです。二階の部屋から抜け出すなんてこと、できないはずです」
困った顔のままで、お手伝いさんは私を案内するため歩き出した。私は、大人しくついていく。
お手伝いさんは庭を出て、歩き木の側まで行く「これが、彼女の抜け出した後だと思うのよ」そう言って、示された指の先を、私は追った。
下の石畳には、僅かな血の跡が、点々と続く。上を見れば、妹の部屋で、その窓は割れていた。多分、底に手か足が引っかかり、出血したようだ。見る限り、大したことはなさそうなので、まずはほっと息を吐く。
そして、木。恐らく、それを伝って窓から離れて、塀までたどり着いたようだ。どうしてこんなことを……。いつも、興奮している時でさえ、妹は「帰りたい」なんて言ったことなかったのに。
病院の敷地を出て、妹が抜け出した塀の向こう側へと行く。そこから、転々と血の後が続いていった。
どこにいったかなんて、分からない。けれど、這い蹲って進んでいるのなら、すぐに追いつけるに違いない。
私は、走り出した。路上に残されている赤い血の跡を追って。
だいぶ走って、私は驚く。どうしてなんで。これは、紛れも無く私の家の方角だ。
さらに走っていくと、影が見つけた。地面を這う、黒い固まりを。妹だ。私は慌てて駆け寄る。
「何をしているの」
振り返った妹の顔は、穏やかだった。
「家に着いたの、姉さん」
そう言ってこれ以上なく嬉しそうに微笑んで、その場から動こうとしない妹に、私は問う。
「入らないの?」
父さんも母さんも鬼ではない、「いれて」といえば、いれてくれるはずだ。かつて妹が暮らしていた名残を見せる、有刺鉄線の張り巡らされた我が家の塀を見つめて、繰り返す。
「どうして入らないの?」
入ればいいのに、一緒に行こう。
けれど、妹は首をふる。
「どうして」
重ねて問うと、家の庭から声がした。
「その子は入れないよ」
私が声のほうを向くと別の声がまたやってきた。
「入ってはならないんだ」
家で飼っている二匹の犬だった。私そちらに問いかける、「どうして」
けれど、その言葉には妹が返事をした。
「いいのよ姉さん。私は入れない。それだけなの」
妹は美しく微笑んでそう呟く。寂しそうな顔もせず、ただ穏やかに微笑んで。
「私は家に入れない。ただ、それだけのことなのよ」
071227
memoより発掘
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