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■神様の歌■第三章■第四話■

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「ティム」
 朝の早い時間だった、剣の稽古をしているところへ、ウィルがやってきた。手を止めて、ティムは体ごと向き直る。
「どうしたの? ウィル」
 ここ数日ふさぎ込んでいただけに、心配していた。けれどウィルはいつになく明るい表情で、一生懸命にティムに話しかけてくる。
「今度、聞いて欲しいことがある。もう少しで、私の、自分のことが、わかるかもしれないから」
 ウィルの突然の言葉に面食らうが、ティムは穏やかに微笑んだ。
「わかった。待ってるよ」
 ウィルはホッと息を吐き、ティムを見上げた。ティムには、その表情が笑っているように見えた。
「それだけ」
 呟いて、ウィルは走り去る。その様子を見て、本当にこのためだけに来たのだということがわかり、自然とティムの頬が緩んだ。



 ウィルはティムと話したその足で、ダリスの元へと駆け込んだ。
 真剣な顔で、頼み込む。
「私のこと、教えて」
「いいだろう」
 あまりにもあっさりだった。拍子抜けして、ウィルはぼんやりとダリスを見上げる。ダリスはウィルに、来いと一言だけ言って、奥の部屋へ向かった。
「こっちだ」
 奥の部屋に着くなり、部屋の隅にダリスは跪く。乾いた音がして、床板がはずれた。
「地下?」
「ああ、この世界には、大体どの家にもある」
 ダリスの返事に驚く暇もなく、ウィルは明かりを持たされ、地下へ降りるよう促された。一人でおり、ダリスがついてこないことに気付くが、床板が戻されないことを確認し、ウィルはさらに地下へと降りた。
 暗闇の中、怖いな、と、ウィルは思った。
 地下に降りることではなく、知ることが。
 自分で魔女に頼み込むほど、許しがたい人生だったのだろうか。
 忌まわしい、記憶だったのだろうか。
 世界を何も知らないくせに、やり直すこともしようとせず。
 それでも魔女が了承してしまうほどの、酷い記憶。
 そうこう考えていると、開けた場所に出た。
 土壁に明かりをかざすと、数枚の絵がかかっていることがわかる。まず、一枚目を見ると―――。
「黒い髪の、女の人……」
 絵には名前と共に年号が記されていた、けれど知らない年号に、ウィルは眉を寄せる。数字だけを見て、絵がほぼ百年ごとに描かれているものとわかった。
 次々見ていくが、やはりどれも黒髪の少女だった。皆若く、どこか吹っ切れたように笑っているのものや、今にも泣きだしそうな顔で、ぎゅっと口を引き結んでいる少女もいた。
 やがて、聞き覚えのある年号に辿りついた
「ノワール暦?」
 響きに、首をかしげる。知らないのに、知っている。それは、記憶を失う前、ウィルにとって常識だった知識。肌に染み付き失われなかった、記憶。
 嫌な予感に、汗が吹き出る。祈りながら、絵を追った。

 五番目、そして、ノワール歴最後の絵に、それはあった。

「私がいる」
 呆然と口にした言葉は、酷く現実味が無かった。
 ノワール暦の、五番目に、五〇九年と記された絵に、ウィルがいた。そこに描かれているのは、紛れもなくウィルだった。
 ここにいる娘達はいったいなんなのだろうか。黒髪の、少女。先日の話を信じるならば、彼女達はみんな生贄だったということになる。これだけの人数を犠牲にして、この世界は存えていたというのだろうか。
 ウィルは考えた。そして、ふと自分の絵を見つめる。
 年号の横に書かれているのは、自分の名前のはずだった。
「ウィリアム……」
 これが自分の名前なのだ。本当の、自分の名前。
 そもそも、リシアは言っていた『ウィル・ズ・ドール』というのは、称号だ、と。ウィルは、『意思の人形』だったのだ、と。今思えば、妙な称号だった。『意思を持った人形』なら、まだわかるのに。
 ウィルは黙りこみ、指先で絵をなぞった。自然と涙が出た。何故だかわからないけれど、とても悔しかった。
 昔の自分の絵を見ても、過去を思い出せない自分に感じた憤りなのだろうか。
 こぼれる涙を頬に感じながら、永遠に失われてしまったのだとわかった。
 もう二度と取り戻せないのだ、自分の過去に何かあったか。どんな風に、何を思って生きていたのか。
「どうして、私、がんばれなかったの」
 どんな辛いことがあったというのだろうか。
 幼かった自分に、問いかける。
 ここに理由の手がかりは落ちていなかった。あるいはもう、二度と手に入らないのかもしれない。
 覚えていたかった、忘れたくなんて無かった。
 どれだけ辛くても、やり直すことはできたはずなのに。



 地下から出てきたウィルを見て、ダリスは静かに問いかけた。
「大丈夫か」
「……」
 黙ったまま、ウィルは部屋のソファに座った。脱力するように、背もたれに沈み込む。
「ノワール暦五〇〇年、第五番羊の月が、お前の誕生日だ」
「今年は、セイカ暦二一六年でしょう? それなら、私、二百年以上も前の人ということ?」
「そうだよ」
 答えはあっさりとしていた。
「ノワール暦は、六三〇年で幕を閉じた。世代交代が行われ、ホーリーの保管していたもの以外の全ての記録が抹消された。現実が神話となり、セイカの時代が始まった」
 世代交代、記録の抹消、現実が神話に、―――どれも意味がわからなかった。ウィルは首をかしげる。わかったことといえば、自分は三五〇年近く昔に生きていた、ということだけだ。そして、なぜかいまここにいる、それだけだ。
 けれど、それ以上何を望めばいいのだろう。
 わからなかった。
 誕生日もわかった、生まれもわかった。ならあと何が望める?
「ありがとう、もう、いいから」
 呟いて、部屋を出る。
 どう言えばティムにうまく伝わるだろう。むしろ、伝える必要などあるのだろうか。家を出たとたん思いつき、ウィルは足を止めた。
 けれど、言うと約束したのだ。ウィルはいつ言おうかと思考をめぐらす。村人から頼まれた仕事をこなしていき、ふと、数日前、ルースたちが旅立つ直前の、ダリスの言葉を思い出した。
『忘れた技術を、取り戻す』
 それがなんなのか見当も付かないウィルは、黙って息を吐いた。
 自分が何もできない出来損ないのようで、悲しかった。

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