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■神様の歌■第三章■第四話■

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 ソナタはぼんやりとソファに横たわっていた。
 視線をめぐらし、これからを考える。
「あと一年か……」
 王位継承まで、あと一年。本来ならばありえない。本来ならば、両親がいたはずなのだ。それなのに、ソナタは一年後、異例の若き女王となる。おまけに伴侶もまだおらず、たった一人。
 直前までこうして隠れていることだって、誰が味方かわからない城に戻る危険に見て見ぬ振りして、時間稼ぎをしているだけだ。
 それならば、一年、もしくは半年早く城に戻り、周りの信頼を得ることや、暗殺を画策した叔父をどうにかすることが先なのではないだろうか。
「ダリスさんに、相談するべきかしらね」
 それとも、単身で戻るべきか。考えてから、あわてて頭を振った。知らないことを、知らなければいけない。それが義務だと、ダリスが言ったではないか。
 けれど、ソナタはもう疲れていた。暮らしがいやになったわけではない。どうしようもなく不安な気持ちが消えなくて、毎日怖くてしょうが無い。
 本日何度目かのため息をついたとき、部屋の扉がなった。
「ソナタ、お前に客だ」
「私に?」
 ダリスが本名を呼んだことにも、客が来たということにも、両方に驚いて飛び起きた。マリアナだろうか、それともハーヴィー? 見当も付かずまま、ソナタは了承した。
「どうぞ」
 背もたれを両腕で抱いて、ソナタは扉を見つめた。すぐに扉は開き、一人の青年が入ってくる。
 濃い茶色の髪、紅茶色の綺麗な目、端正な容姿。見たことも無い年上の青年に、ソナタは数秒固まった。慌てて立ち上がり、頭を下げる。
「えっと、はじめまして、私は」
「はじめましてか、少し寂しいな」
 青年の言葉に、ソナタは固まった。そろそろと頭を上げて、首をかしげる。
「覚えてないのも無理ないか。でも、僕は覚えてる」
 一歩、二歩と青年はソナタへ歩み寄る。おもわず、ソナタは同じだけ後ろへ下がった。
「会ったのはたった一度、喋ったことも無い。けど、忘れた日はなかったな」
 ソナタの背中が壁に当たり、青年はそっと草色の髪を一房掴む。
「はじめましてじゃないんだ。久しぶり、なんだよ。ビビ」
「放してよ。あなたは誰? 悪いけど、全く覚えが無いの」
 ソナタの言葉に、剣呑な雰囲気が入っていくのを感じて、青年は困ったように笑った。
「うーん。もう少し考えてくれてもいいんじゃないかな」
 不満げに呟いて、ソナタから離れる。ソファに座って、じっと下から見上げた。
「けど驚いたな、先代そっくりだ」
 先代という言葉に、ソナタは傍らに立ったまま瞬いた。
「先代? 母さんのこと? あなた、母さんまで知ってるの? ってことは、ずいぶん前に会ったことになるのね」
 ソナタが眉を寄せ考えているのを、青年は楽しそうに見つめていた。やがて、突然立ち上がってソナタの前に跪く。
「ソナタ・ビビ・ヴィーブルス・ラデン。僕はラナイト。ラナイト・アーノルド・イリ・ラークワーナ。いまから大体十年前にした約束を果たす前に、君に会おうと思って、ここまで来たんだ」
 名前を聞き、ソナタは慌ててラナイトを見つめた。
「ら、ラナイト様?」
「思い出した?」
 ソナタは首を振り、でも、と続けた。
「西の王国。ラークワーナの第二王子が、たった一人でこんなところまで……いったいどうしたんです? 十年前の約束ってなんですか?」
 ラナイトは楽しそうに笑った。その様子に、ソナタは力を抜く。先ほどのケダモノじみた気配はなんだったのかと、向かいのソファに腰を下ろした。
「先代からきいてない? 君が六歳、僕が十歳の時に結ばれた約束」
 訊ねるように首を傾げられ、ソナタは首を振った。同時に、彼が四つ年上なのだと知る。
「ラナイト王子は、母から何か聞いているんですか? 両親は約束をした四年後、私が十歳の時に他界しました。両親の持ち物は全て焼かれ、私には何も残されていません。もちろん、何もきいてなんか―――」
「ラッセルさんが立会人だったと思うから、王位を継承してから確認してくれてもいいけど、君と僕は婚約するはずだったんだ」
 あっさりと告げられた言葉に、ソナタは言葉を失った。
「けれど、ラデン王家でのごたごたで流れてしまった。しばらくして、あなたの命が危ないという話を聞き、すぐに父に保護を求めたけれど、使者を送ったときあなたはもう国を出た後だった。見つけるのに、一年かかったよ。本当なら、ラデン王家のあなたがこんなところにいてはいけないんだ。今すぐラークワーナにお連れしたい。どうです?」
 開いた口が塞がらないというのはこのことだろうか。ソナタは思わず立ち上がった。
「冗談じゃありません。そんな、たった一人でこんなところまで来る王子がどこの国にいるんです。信用できません。婚約だなんて」
「ダリスさんがすべて保障しているよ。それとも、世界をすべる古の一族の長が信用できないか?」
「それは―――」
 言い返しかけて、ティムたちが村に来たときのことを思い出す。唯人の侵入を簡単には許さない村人達。そして、かつて街で見たラリスの喧嘩でふるわれた、不思議な力。
「ダリスさんに、話をしても? それから……家族と」
「家族?」
「友達って言ってもいいんですけど、気持ちとしては、弟とか妹みたいに大事に思ってる、とても大事な人たちです」
 ラナイトはしばらく考えるようにソナタを見つめていた。怯まず、ソナタもそのまま見つめ返す。
「うん、そうするのがいいだろうね」
 僕はここで待ってる。そう言われ、ソナタは立ち上がり、ラナイトに頭を下げてから部屋を出た。
 迷わずダリスがいるはずの奥の部屋に向かう。震えそうになる腕をなるべくこらえながら、静かに扉を叩いた。返事を待たずに、扉を開ける。
「それで?」
 開いた瞬間そう言ったのはダリスだった。その向かいのソファに、黒い頭が二つ座っている。
「ソナタ? 何かあったの?」
 そう訊ねるティムは、ウィルと全く同じ、心配そうに振り返った。
「えーっと」
 説明しようと意気込んでいたものの、自分で説明するには相当恥ずかしい内容だとようやく気がつき、ソナタは口ごもる。視線を泳がせ、とりあえず部屋に踏み入り扉を閉めた。
「ラークワーナに、行こうと思って」
「西の国に?」
 確かめるように、ウィルが呟いた。だまって、ソナタがうなずく。
「今、お客さんからお誘いを受けて、悪い話じゃないなって……、思ったから」
 無言でティムが立ち上がった、ソナタの横をすり抜け、扉を開く。
「ティム? どこに行くの」
「ソナタの部屋にいるんだろ。どういうつもりなんだろう……。直接、話が聞きたい」
 ソナタの引きとめる手も届かず、慌ててティムを追った。ウィルも無言で立ち上がり、部屋を出て行く。ダリスだけが残され、ゆっくりと立ち上がった。



「ちょっと、待ちなさいティム!」
 ラナイトがいる部屋の手前、廊下でソナタはティムを引きとめた。
 すぐにウィルも追いつき黙って二人を見ている。ティムはソナタを振り返った。厳しい表情で、草色の髪を見下ろす。
「ソナタが悪いんだろ、誰か言おうとしないから」
「う。さすがにわかるわよね、それは謝るわ。ごめん。だけど、中にいる人に失礼なことしないで」
「誰なの?」
「……確か、ティムがラデンに来たすぐ後の頃の話。覚えてない? ラークワーナ国の王族が、交友目的にラデンを訪れたの。その時交わされた約束で―――」
 突然ソナタは言葉を切った。首をかしげて、ティムはソナタを見つめる。ウィルも、不思議そうにソナタを見ていた。
「とにかく、中にいらっしゃるのは」
「何かあったのかい」
 唐突に扉が開き、ラナイトが顔を出した。驚きにソナタは声を失い、ティムはラナイトを凝視し、ラナイトはティムを見て固まっていた。ウィルだけが、きょとんとその場の様子を見つめている。
 何かを言おうとしつつ、何も言えないでいる三人の様子を見かねて、ウィルは背後を振り返った。いつからいたのか、ダリスが難しそうな顔で苦笑している。それに驚きもせず、ウィルは口を開いた。
「何が起きたの」
「説明が難しいな」
 二人は視線を戻し、三人の様子を見続けた。

 最初に口を開いたの、ラナイトだった。
「君は……」
 ティムに向かって、何か言いたそうにしているが、結局何も言わない。
 代わりにティムが、ラナイトに問いかけた。
「あの、僕、貴方をどこかで見た気がする。ええと、気がするって言っておきながらなんだけど、記憶力には自信があって。ただ、もし、幼い頃の僕を知っているなら、教えて―――」
 あたふたとティムが喋るのを、ソナタが止めた。
「あのね、ティム。この方は、ラークワーナの」
 それをさらに、ラナイトが止めた。
「本当に驚いたな。……とりあえず、中で話させてくれないか。いろいろ話が聞きたい」
 ラナイトは身を翻し、部屋に戻っていく。ソナタも慌ててそれに続き、ティムも続いた。
 ウィルはダリスを見上げ、その表情を伺う。ダリスはガシガシと頭をかいて部屋に入るようウィルを促した。
「先に言わせてください。ティム、この方はラークワーナ王国の第二王子、ラナイト様よ」
「ラークワーナの第二王子?」
「そう、私の保護を申し出てくださったの」
 ティムは驚いた顔でラナイトを仰いだ。ただ、じっと見つめる。
「いいかな」
 ラナイトがそう前置きして、口を開く。
「ティムは、どうしてここにいるんだ」
 固い口調で問われ、ティムは固まった。
「あなたは僕を知っているの」
 身分を知っても、混乱のあまり配慮ができなかった。ただ、呆然とラナイトを見つめながら、頭に浮かんだ言葉を発することしか。
「知っているなら、お願いだから―――」
 ティムの懇願は、はた迷惑なほどけたたましい音にかき消される。
 静かな足音が廊下から聞こえ、合図もなく扉が開かれた。
「あら、久々に見る顔ばかりだわ」
 にこりとほほむ、古代紫の瞳。頭の左右で揺れる髪。
「邪魔するわよ。ダリス」
 その娘の笑顔に、ダリスは不機嫌な視線を返す。
「何しに来た」
 周りが戸惑う中、娘の涼しい顔を、村長はただ睨んだ。その名を、呟く。
「フィラデリス」
 上品な笑顔を浮かべたまま、小さく小首をかしげて、着ている物の、長い裾を優雅につまむ。
「あらやだ、セイクリッドよ」
 その表情は、どこか怒りに満ちていた。

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