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■神様の歌■第三章■第四話■

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 ダリスが何かを言う前に、シンシアはすたすたとソファに向かった。ラナイトの向かい、ティムの隣へ腰を下ろす。
「まずは久しぶりね、ビビ」
「シンシア―――? どうしてここに」
「それからティム、覚えてないかしら。図書館で一度会ってるのよ」
 何も言わず、ティムは首を振った。シンシアは振り返り、扉の脇にダリスと並んで立つウィルを見た。
「あなたとは初めましてね。名前は?」
「ウィル」
「そう、わたしはシンシア。シンシア・フィリス・セイクリッド。元ラデン王国筆頭貴族。今はセイクリッド家の当主のお嫁さん」
 小さく、よろしくと呟いたウィルに、シンシアは笑顔を返す。
「さて、……ラナイトがどうしてここにいるの」
 突然声音が代わり、その場の空気が凍りついた。他国の王家に何たる無礼か。ソナタは慌ててラナイトの隣から立ち上がる。
口を開く前に、ラナイトの右手によってさえぎられた。
「何か問題でもあるのかい」
「ラークワーナくんだりからこんな東まで、王女様を口説きに来るなんて大したものだわ。尊敬しちゃう」
「北国なんかに嫁ぐ君の方こそ、僕は尊敬するけどな」
「あら、一国の王子が不穏な発言ね。シエスタは血の気が多いんだから、気をつけないとすぐいちゃもんつけられるわよ」
 皮肉の応酬に、周囲は固まったままだった。少なくとも、一国の王子と、貴族の会話ではない。
「フィラデリスの御令嬢、あなたとは初対面のはずだ。僕を敵視する理由は無いだろう」
「お生憎様」
 ふん、とシンシアは鼻を鳴らした。
「王族なんて大嫌い」
 睨む瞳は険しく、感情的で、シンシアはすぐにラナイトから視線を外した。
「だから、ビビは好きだけどソナタは嫌い」
 そう言い放たれ、ソナタはぴくりと震える。見ていないのか、ただそのフリをしていたのか、かまわずシンシアは腕組みし、ダリスを仰いだ。
「まず、私はダリスを殴りたいのよ」
 唐突過ぎる不穏な言葉に、ティムが慌てた。
「シアさん? いきなり何を」
「ルースに会ったわよ。一緒にいた、ラリスって子も」
 ダリスはそれに答えず、黙ってラナイトと視線を交わした。
「二人揃ってしらばっくれないで。わたしはセイクリッドよ。セイクリッドとフィラデリス、全ての情報を有したの。この村の所有している過去∴ネ外なら、全てが揃った。わたしに過去は必要ない。だからダリス―――、一発殴らせてくれる?」
「シンシア、どういうことかちゃんと説明して。お願いだから―――」
 これ以上混乱させないで! 言葉を飲み込み、ソナタはシンシアに言った。シンシアはソナタを一瞥するが、すぐにダリスに視線を移す。
「ラデンの女王≠ェ、まだ知らない?」
 責めるような口調に、ダリスが両手を挙げる。
「わかった、お前の言いたいことはよくわかったから、話を―――」
「きかないわ。村はフィラデリスの申し出を聞かなかった。だから、フィラデリスも村の話なんか聞かない」
「いつの話をしてるんだ。というか、お前はセイクリッドなんだろう? 今、そう言ったばかりじゃないか」
「うるさいわね」
 だんだん機嫌が悪くなり、シンシアは立ち上がった。
「どうせ何も知らないんでしょう。ティムも、ソナタも、ウィルも。そんなのってないじゃない。不公平だと思わない? ここにいる皆が知っていることなのに、三人だけ仲間はずれだわ。知らなくちゃいけないはずなのに、知らなくては、死にたくなるくらい悲しい思いをするってことは、わかりきっているのに」
「どういうこと」
 ダリスの傍を離れて、ウィルがシンシアの元に駆け寄った。
「私、自分のことはもう知ってる。でも、悲しいことじゃなかった。驚きはしたけど、悲しいことなんて無かった。なのに、どうしてそんなこというの、あなたはいったい何を知っているの」
「わたしはあんたの過去のことは何も知らないってば。ただ、今のことは知ってる。許せないことだってわかってる。当事者が何も知らないのは、とても不公平。そう思っただけよ」
「当事者?」
「シアさんも、僕のこと知っているなんて言わないよね」
 ソナタの声、ティムの言葉。それらには、シンシアはただ肩をすくめるだけだった。
 ラナイト、口を開く。
「フィラデリス。もう、僕が彼らに質問してもいいかい。君の言い分は後でいくらでも聞くから」
 シンシアは一度ティムを見てから顔を逸らし、どうぞと態度悪く手を差し出した。
「まず、フィラデリスが来る前のティムの質問に答えよう。僕は君を知っている。けどその前に……、変なこと聞いてもいいかい?」
 その台詞が、ウィルを見ながらだった為、ティムはますます首をかしげる。続くラナイトの言葉に、息を呑んだ。
「その子は、セーラか?」
 ぱっとソナタが顔を上げ、ティムはウィルを見つめた。ウィルはきょとんと首をかしげる。
「違うわよ。ティムとウィルに、血のつながりなんか無いもの。だいたいティムのほうが年上よ」
 シンシアの声だけが、答えを告げていた。よくわからない言葉もつけて。彼女が何故知っているのかわからず、ティムはただ混乱する。
 対するラナイトは半眼で、呆れたようにシンシアを見ていた。やがて、気を取り直すようにため息をつく。
「聴いてみただけだ、気にしなくていい」
 ラナイトはそう断ってから、少し考え込んで続きを問いかけた。
「ティム、君にきょうだいは?」
 その問いに、ティムはすぐに答える。
「兄さんが一人だけ」
「本当に?」
 隣から、シンシアがティムを覗き込むように見つめてくる。いつの間に体制を変えたのだろうか、ティムは驚いて背もたれに背を押し付けた。
 シンシアはしばらくティムを見つめ、やがて姿勢を戻し、手の平を上に向けて肩をすくめる。
「これよ、これ。この状況が、わたしには許せない」
「何の話? シアさんて兄さんの友だちでしょ? それなのに、あなたも他の人たちみたいに―――」
 ティムは一瞬、言葉を切った。
「僕たちを、似てない兄弟って馬鹿にするの?」
「馬鹿になんかしないわ」
 すぐ横の泣きそうな顔に、驚いたようにシンシアは言った。
「ただ事実を言うだけ。あんた達はちっとも似てないわ。目も鼻も眉も髪の色も口元も、何もかも。それがなぜか、考えたこと無いの?」
 責めるわけでもなく、ただ呟かれる言葉に、ティムは静かに首を振った。シンシアは小さく息を吐いて、ティムの髪を引っ張る。
「ねぇラナイト、この子をラークワーナに連れて行ってくれない?」
「……それは」
「不公平だわ。彼らには選ぶ権利があるもの。四代前の、彼らのように」
 ポツリと呟かれた言葉の意味が、ティムとソナタにはわからなかった。
 ウィルだけがぼんやりとして、ソファに座るシンシアを見下ろす。やがて呟いた。
「四代前?」
「シンシア」
 咎めるようなダリスの声に、シンシアは一度振り返った。そしてゆっくりと、ティムへ視線を移す。
「あ、いや、ちょっと待って」
 何か言われる前にと慌てて立ち上がると、その場の視線が集中した。焦りつつも、シンシアを見つめてティムは言う。
「ラークワーナに何があるの」
「ティムの秘密が待ってる」
「僕の秘密? そんなこと、どうしてシアさんが知ってるの」
 真面目なティムの問いに、あからさまにシンシアは顔をしかめた。下からティムを睨んでいたが、勢いよく立ち上がる。
「あんたはラークワーナに行くのよ。決めた、今、わたしが決めたから。ティムはソナタと一緒にラークワーナに行く、行って、知って、自分で判断してここに戻る。もう決まり!」
 言い終わってもティムをじっと睨んでいたが、勢いをつけてソファに座った。
 呆気に取られている回りを無視して、シンシアが口を開く。
「文句なんて聞かない。質問も許可しない。誰がなんと言おうと、ティムはラークワーナに行くんだから」
「……フィラデリス」
 呆れたようなダリスの声が響いた。
「言いたいことはわかる、わかるが―――」
「わかるが? 何」
「こいつらには、説明しないとわからない」
 シンシアは大きく息を吐いて、じっと床を見つめた。小さな声で歌うように呟きだす。
「一人の少女と少年が

 支える世界がありました

 一つの大陸二つの小島

 七つの国がありました


 魔女が魔女をやめた時

 古の一族が甦る

 理が世界に甦る

 魔女は一人涙にぬれて

 愛しき人は手を伸ばさない」
 黙ってティムは聴いていた。目を見開いて、まさか、と音なくつぶやきながら。
「何が本当なの」
 立ったまま、呟く。
 思い出すのは、少年から受け取った本のなかみ。
「どこまでが、本当なの」
 そんなティムに、ラナイトは優しい微笑みと共に言った。
「君は、知ってるはずなんだ」
「何を……」
「自分の全てを」
「でも、覚えて無いんだ。失われたのか、ただ忘れてしまったのか。それすらわからない」
「君が望むなら、僕は拒まないんだけどな」
 ラナイトはそう言って、ダリスを見上げた。
「預けていただけませんか?」
「王族のクセにいいこと言うわね。もしかしたら、彼女が救われるかもしれないわ」
 シンシアの言葉に、ダリスが素早く呟く。
「あいつに救いなど必要ない」
「なによ、この人でなし」
「あの、ちょっと待って」
 ティムはシンシアの肩を掴んだ。振り返るシンシアに、言い募る。
「行くなんて一言も―――。だいだい、ソナタも行くんでしょ? ウィル一人置いてくなんて」
「ティム」
 ウィルが唐突に、ティムの言葉を遮った。
「私のことなら、心配しなくてもいい」
 ゆっくりと、ティムはウィルを振り返る。
「私は平気だから」
 穏やかな微笑みに、反論できなかった。ティムは口を閉じたまま、ウィルを見つめる。
「ティムが行きたいと望んで、知りたいと願って、それなのに私を気にしてくれるなら、それは嬉しいけど、悲しい」
「悲しい?」
 小さく、うなずく。
「ティムの望み、願い、それを果たすのに、私が邪魔になるのは、悲しい」
「そんなこと」
 ない、とティムは言いかけ、ウィルは優しく笑った。それ以上ティムは言葉を続けられず、小さく息を吐く。ようやくソファに座り、任せるままに沈み込んだ。
「わかった、行くよ。知りたくないなんて嘘は言えない」
 けど、必ず帰ってくる。そう、彼は言った。

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