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■神様の歌■第四章■第4話■

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 胸元を押さえながら、ラリスは扉を背に、最大限ミレイアから距離をとっていた。対するミレイアは、左手を握ったり開いたりしながら、
「なぁんだ。あなた女の子だったの」
「なんだって何! ボクが男だったらどうだったの! 何その手!」
「かーわいー。ちょっと胸鷲掴みにしただけでこの反応。初々しいわねー」
 性別に疑惑を持ったなら口頭で聞けばいいではないか。ラリスは頬を強ばらせながら、用心深くミレイアを睨んだ。
 それにしても、やはりルースの言葉を鵜呑みにはできなかった。何が年頃の女の子、だ。しっかり間違えられてしまっているではないか。これでも髪を伸ばしたりそれなりに気をつけているのに。半分拗ねた思いで、ラリスは胸元を直す。
「怪我、治すから。大人しくしてて」
 自然、言葉も素っ気なくなった。
「服、どうしようか?」
 短く訊ねると、あー、と気のない返事があった。
「ラデンで調達しようかしら。人を探しにきてるんだけど、いくらなんでもその服じゃ格好つかないし」
 床に投げ捨ててある服を見て、ミレイアが肩をすくめる。ラリスは警戒しつつ、ミレイアの傍に寄った。何をするつもりかとラリスを見つめてくるミレイアの瞳から逃れ、次々とアザに触れていく。
「やだ、くすぐったい」
 対象が身をよじるのもかまわずに、ラリスは触れていく。
 目立つ箇所に全て触れると、ラリスはそのまま床に座り込んだ。え、とミレイアが立ち上がる。突然だるそうに様子を変えたラリスは、
「服着て、そしたら、ティムとアウル、入れてあげて」
 それだけ言って、目を閉じてしまった。
「なによ、いったい……」
 ふと、視界に入った自分の腕を見る。あざが消えていた。目を丸くして、腹部や足も見る。覚えているあざのあった箇所は、ほとんど綺麗に治っていた。痕も無い。
「この子……」
 何者だろう。とりあえず指示の通りに服を身につけ、廊下に声をかける。先ほどの悲鳴を気にしてか、慌てたようにフードを被った少年が飛び込んできた。
「……ラリス?」
 困惑顔で、少年はラリスの傍に膝をついた。確か、ラリスがティムと呼んでいただろうか。ミレイアは小首をかしげる。ティムがラリスを触れる優しい手付きに、少しだけ心がささくれ立った。
 少なくとも、この少女は自分などよりずいぶん優しく生かされている。
 視線に顔を上げると、もう一人の少年がミレイアを睨んでいた。何をした。言外にそう問うて来る。
「あたしの傷を治して、そのまま寝たわ」
 あちらがティムなら、こちらはアウルだろうか。はっとしたように、目が見開かれた。その視線は、慌てたようにラリスへと向けられる。アウルも、ラリスを大切にしている。
 思わず、視線を逸らした。
 大切にされている少女を、見ていられなかった。
「助けてくれてありがとう」
 ミレイアは三人の方を見ずに言う。
「正直言って、とても助かったわ」
 視界の隅で、ティムが動く気配がした。視線を動かす。彼はミレイアを見ていた。問いかけを、口にされる。
「あなたは」
「元娼婦よ」
 笑みを浮かべて答える。
「四年前、両親がマーリンの悪党に借金作ってね。娼館に売られたの。完済したから、逃げ出したのよ」
 ティムは表情を変えなかった。わずかに瞳が揺れた気がしたけれど、すぐに消えてしまう。哀れんで欲しいわけじゃない。ただ、この身の上を口にして得られる反応で、相手の性格を手っ取り早く把握することができるから。それだけだ。
 けれど、この少年はわからない。
 ミレイアはティムの顔を注意深く見つめなおす。はっと、息を呑む。
 漆黒の瞳に、気付いた。
「―――驚いた」
 ミレイアは一歩間合いを詰めた。手を伸ばして、ティムの被るフードを外す。彼は逃げなかった。黙って、ミレイアを見ている。
 見間違いなどではなかった。気のせいなどではなかった。
 零れ落ちた漆黒に、息をすることも、忘れた。
「―――て……」
「? 今、なんて―――」
 ハッと口を閉ざした。『生きてたの』そんなことを、目の前の少年に言ったって仕方がない。彼は、もういない。
 満面の笑みを、浮かべる。
「素敵。モノガタリの王子様みたいだわ。私、王子様に助けられたのね」
 ぽかんと見返してくる漆黒の瞳にかまわず、ミレイアは微笑む。アウルにも目配せをして、人差し指を口元に立てた。
「おばあさまから聞いたの。内緒よ。特別に話してあげる」


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