世界が歪んで、あたりは森になった。
木々が眠る静寂の中、男が走っている。ただ、ただ、中心を目指して。
風景が変わる、遺跡、石畳、折れた柱。
先代の遺産。
走るうち見つけた少女の後姿に、男は足を速めた。その奥にいるのは―――
「ソナタ?」
空気を震わせ、声が響く。世界にひびが入り、上のほうから欠片がばらばらと降り始めてきた。
声をあげてはいけなかったのか。慌てて口を両手で押さえる。
再び、走る男に注意向ければ、彼は世界にヒビが入っていることに気付いていないのか、そのまま走っていた。少女を、あの少年の姉を、目指して。
『まてよ!』
声に驚き、姉は身体を震わせて、振り返る。男の姿を見た瞬間、残念そうに笑った。男が、皮肉気に笑って言う。
『悪かったな、シバじゃなくて』
『シバだったら、今頃殴り倒してる』
『そいで泣きながら抱きついただろう』
男の言葉に姉は笑った。ありもしない夢物語だと知っていて、諦めきった、悲しい笑い方をした。
『シバは、これない』
わからず、男は沈黙を返した。
『守れなかった』
泣きそうな声で、彼女は言った。男は、目を見開く。そんな、とかすかに口にした。
カケラが落ちる。
バラバラと、バラバラと。
『あなたは何をしに来たの』
響いた少女の声に、男は先ほど受けた衝撃を押し殺し、意識を集中させ、注意深く視線をやった。
男は、自分の友人の姉を、示す。
『そいつを返せ』
『……恋人なの?』
どこか期待するような口調に、男はどこか引っかかりながら否定する。
『まさか』
静かに世界は崩壊していた。
登場人物は、誰一人として気付くことなく。
『コイツの恋人は、シバだけだ』
『違う、シバの恋人は、シェリアただ一人だ』
即座に彼女は否定した。
こんな時まで意地を張らなくてもいいだろうに。男は目を細めて、少年の姉の頭をぐりぐりと押さえた。
『ディルのためだ。あんたがいなくなったら、あいつはどうなる』
『世界がなくなるほうを、選べというの』
世界が震えた。閃光と、爆音。怒り狂った少女が、宙に浮いていた。
『友情なんて要らないわ。家族愛も、おせっかいも。あたくしが見たいのは、ただ一つ。それ以外は、消えてなくなればいい』
ばらばらと、世界の欠片が落ちていく。少女の起こした衝撃で、それは徐々に速さを増して。
『良いでしょう、ジーン。それなら、あなたも仲間に入れてあげましょう。彼女に忠誠を誓いなさい。次代の神に。本望でしょう。恩人と同じ存在になるのは』
『驚きだな。そんな何人も手中に収めるまでの力を持っているとは』
少女は嫣然と微笑んだ。男の頭まで、世界のヒビは届いていた。
暗転。
ゆっくりと、ティムは眼を醒ました。
ぼんやりと、あたりを見回す。
自分は寝台の中に。
見慣れない部屋、すくなくとも城の中ではない、その隅に、自分と同じくらいの年頃の少年が座っていた。
優しい茶色い髪に、茶色い瞳。両方とも、父の色に似ていた。
「君は?」
「その前に、聴くことがあるはず」
偉そうに言い返されて、ティムはとまどう。
「ここはどこ?」
「覚えてないのか」
少年が呆れながらも立ち上がったので、ティムも身体を起こす。
「そのまま」
言われて、立ち上がるのはとどまった。少年は、寝台の傍らまで来て、ティムに問う。
「夢を見ていただろ。どんな夢だった?」
問われても、ティムは答えなかった。
変わりに、笑顔を浮かべて少年に訊ねる。
「君の名前は?」
少年は目を丸くして、苦笑する。
「アウル」
ティムは満足げにうなずいて、手を差し出した。アウルは、驚いたようにティムを見る。
有無を言わさず、ティムはアウルの手を取った。
「はじめまして、アウル。僕はティム」
その言葉に、アウルは泣きそうに笑った。
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