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■神様の歌■第断章■第3話■

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 何も言えず沈黙の中、ふと俺は顔を上げる。
「そういえば、姉さん、いつ戦場に戻るんだ?」
 シェリア様やルシカ様に、会う暇はあるのだろうか。そう思いながら問うと、姉は静かに首を振った。
「もう戻らない」
「え?」
 何故? 姉は、ドールの称号を受けているのに。国のため、戦地で戦う、戦士なのに。
「生れ落ちてからの、重大な役目が、とうとう間近に迫ってきたんだ」
「それは」
 何?
「その話を、グレイとしたんだろ」
 全身が粟立った。目を見開いて、姉を見つめる。困ったように微笑む姉を直視できず、顔を伏せた。握り締めた拳が、震える。
「あいつ、まだ何かを隠してた」
 姉は、黙ってうなずいた。
「わかりやすく、説明してやろうか。この世界のシステムを」
 システム、とディルは繰り返す。世界という言葉と繋ぎ合わせるのに、なんて似合わない言葉なのか、と。
「ある時代の神があるとき、ある生き物と契約を結んだのさ。世界を守るための契約」
 突拍子も無い言葉に、俺は問いかけたかった。けれど、今は黙って聴くことに専念する。
 そうしていろと、姉が言っているような気がした。
「グレイは、世界の息子とか、聖なる者とか呼ばれる存在で、私達と同じように百年に一度生まれる、色素を持たない存在。私とグレイは、同じ日に生まれた」
 まるで、星の運命なのだと、強調されるように。
「彼が死ねば、世界は壊れてしまうのだそうだよ」
 まるで他人事のように、姉は語る。
「二十を過ぎる前に、一度だけ、聖なる者は病にかかる。そう、不治の病。他には一切病にかからないというのに唯一、地上にあるどの薬を飲んでも治らないという、不治の病に」
 自然、俺の口が僅かに動いた。
 そのために?
「そのために。聖なる者が、グレイが死ねば、世界も壊れてしまうから。その病を治してもらうために、神子は……、私は、神へと差し出される。私をを引き換えに、グレイは病を治してもらう。そうして世界は救われる」
 そんな、と俺は音無く呟いた。世界が回りそうになるのを、懸命にこらえる。
 だから、と、姉が静かに呟いた。
「後を、頼んだよ」
 私がいなくなった後を。姉の言葉が、遠くで響く。
「なんで……、そんなことを言うんだ? どうして。俺にできることは、なかったのか? どうして誰も、何も教えてくれなかった? なんで、姉さんが、姉さんだけがそんなめに―――」
 言いかけて、言葉が止まった。何かを思い出して、言葉の選択を誤ったことに気づく。
 白の当主―――グレイ・セイクリッドの言葉が、甦る。

『百年に一度、一人の男児の生涯と、一人の女児の命を引き換えにしていると知ったら、君はどうする?』


 一人の女児?
 それは、姉のこと。

 ならば。
 もう一人の、男児というのは―――?


 顔を上げた。姉の、漆黒の瞳を見た。
「世界のために体を捧げるのは、私だけじゃない」
「……」
「グレイは、生きたまま殺され続けてる」
 意味が、理解できなかった。俺の眼から見て、白の当主は、グレイ・セイクリッドは生きていた。ちゃんと、息をして、不自由なさそうに、綺麗な部屋に座っていた。
「お前は、知らなくていい」
 その言葉で、俺は姉から突き放された。
「お前は、ウィリアムのようにならなくて良いんだ」
「……ウィリアムって誰?」
 知らない名前に、思わず反応した。
「……」
 答えないのが、引っかかる。
「ねぇ」
「今から百年前に実在した、化け者の弟のことさ」
 あざ笑うように、姉は言う。妙な言い回しに、ディルは眉をひそめた。
「化け物?」
 そう問えば。
「化け者」
 姉は神妙な顔で繰り返す。
「名無しの化け者。人として歴史に残ることを許されなかった少女の呼び名。後に彼女は、魔道士として最高の称号を受けた」
 その言葉に、俺はすぐにピンと来る。
「百年前のドール≠フことだね?」
 黙って、姉は首を振った。
「私が持つドール≠フさらに上を行く……この世でたった一人、史上唯一のウィル・ズ・ドール=B上官の命に背き、なおも自分の意志を貫いた聖女であり、化け者の称号だ」
 表情から、姉は彼女≠酷く嫌っているようだった。そんな姉の顔を見ない振りして、俺は疑問点だけを拾う。
「命に、背いたの?」
 本当に気になるわけじゃない。ただ、姉との対談を終わらせたくなかった。
 色々話して、最後に、姉が最初の話は嘘だと言ってくれるのではないか。そんな、くだらない夢を見ているだけだった。
「そう。彼女は、敵を殺さなかった。ただの一人も」
「戦場で? そんなことしたら、味方が―――許されない、そんなこと」
「それが、許されるだけの力を持ってた」
 俺の言葉を遮って、姉は言った。
「……?」
 目の前の姉が、薄く笑う。
「化け者だったんだよ、彼女は」
 そして、沈黙。
 返す言葉を失った俺も、話すことをなくした姉も、ただ、黙った。
 やがて間が持たなくなった俺が、口を開く。
「その人、結局……」
「消えたよ」
「え?」
 姉の返答は、どこまでも拍子抜けする言葉だった。
「突然、彼女は姿を消した。まだ、十にもなっていなかった」
 最後まで、姉は憎悪の感情を隠そうとしなかった。



 黒い屋敷が並ぶ中、その屋敷郡の中心、一際大きな屋敷の前に、一台の馬車が止まっていた。
 扉を開け放した家の中から、少年が叫んでいた。なにかをメチャクチャに叫んで、手を伸ばしていた。それを家の者達が必死に押さえつけている。
 黒髪の少年、その、視線を追うと、家の外、石畳、馬車に向かう、黒髪の女の人の背中。今、馬車に乗ってどこかに行こうとしている、少年の姉の姿。
『まって!』
 少年の、声が響く。
『行くな! 姉さんを連れて行くなよ! こんな世界おかしいって! 誰かを犠牲にしなきゃ、本当に世界は壊れるのか? それが真実なのか? 誰か、答えろよ! ただ今までの流れに従うなんて、馬鹿げてる!』
 姉は振り返らなかった。ふと空を仰いで、少年に言葉を投げかけた。
『ディル、一つだけ』
 少年は首を振る。遺言なんてと、小さく言った。
『シェリアに、どうか幸せに、と』
 そうして、姉は馬車に乗り込んだ。少年は、その場に座り込む。膝を抱えて、おかしいよ。と、呟いて。
 彼の力を持ってすれば、馬車はたやすく止まるはずだった。剣を抜き、魔力を操れば。
 けれどできなかった。
 座り込んで、俯いて。涙をこぼすことしかできなかった。
 姉と世界を天秤にかけて、姉をどうしても取れない自分の弱さを、呪って。


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