*

■神様の歌■第断章■第3話■

■1■
BACK TOP NEXT 

   ルシカ王女の誕生式典の日から、一ヵ月。
「たしか今日のはずよね、姉様。シバさんは?」
「そうよ。会うのは久しぶりだから、私も楽しみ……。シバは、帰らないみたい。ディルにはまだ内緒よ、あんなに慕ってる姉が帰ってるって知ったら、いてもたってもいられなくなっちゃうでしょうから」
 シェリア王女の私室前に立つ瞬間、聞こえた会話に、目を見開いた。
「姉さんが帰ってる―――?」
「ディル?」
 今日一緒に護衛を任じられた同僚から肩を掴まれ、ハッとする。慌てて振り返ると、驚いたような顔の同僚に、この場をどう抜けさせてもらおうか、何気ない顔で考えた。
「ジーン、お願いがあるんだ」
「まて、ディル、お前何言いだす気だ。いや、言うなよ。絶対言うな」
 同僚でも、ジーンは俺よりふた周り以上年上の男だった。性格は温厚で快活。年の離れた若い奥さんと、幸せな家庭を持っている聖騎士だった。
 もともと子ども好きの性格だったこともあってか、やたらと相手になってくれる、良い同僚であり、年齢を超えた友人だった。
「お前に頼まれて、断れなかったためしがない」
 それは、ジーンが良いヤツだからだ。
 俺は笑って身を翻し、城を飛び出した。ジーンの苦笑が、聞こえた気がした。
 ジーンは本当に良いヤツで、俺は実の父親よりも懐いていた。慕っていた。母代わりの姉と、兄代わりのシバ。そして父代わりのジーン。俺の世界は、そこから広がっていった。鎖された少年時代、広がっていく世界に覚えた感動は、まだ胸の中に残っている。
 さっき、ジーンはこう言った「頼まれて、断れなかったためしがない」それは、遠まわしに―――。
「ありがとう、ジーン」
 使ったのは、風の魔法。明らかに、自分より力の劣っているはずのシバに教わった、唯一の魔法。
 城下から、城内のジーンへと向けた。ささやかな言葉。
 あとはもう、黒の屋敷郡へと走る。

 見慣れた屋敷を横目に見ながら、中心、最も大きな屋敷へと飛び込んだ。
「姉さ……」
 扉を入った瞬間に目に入ったのは、黒ずくめの姉の姿だった。
 見慣れた軍服ではなく、真っ黒のドレス。長い黒髪と黒い瞳は生来のもので、今はその黒い瞳が驚きに染まっていた。
「ディル? お前、今、城の勤務じゃ」
 七つ上の、ぶっきらぼうな姉の口調。六年ぶりの、姿。
「シェリア様が、話してるのが聞こえて、ジーンと一緒だったから―――」
 言うと、姉は盛大なため息をついてこちらを見上げてねめつけた。
「だからって、役目を放り出すやつがあるか。とんだ恥さらしだな。ウィッチ家の名が落ちたらどうするつもりだ」
「それは……」
 困った顔の俺を見て、ふふ、と姉は微笑んだ。
 黒ずくめの姉の姿に、一ヶ月前の白の当主との会話が甦る。
「久しぶりだな、ディル」
 姉は手を伸ばし、黒いの手袋をつけた手で、俺の頭を撫で回した。
「積もる話もあるだろうが」
 下から伸びる手が離れ、姉がゆっくり歩き出す。離れるぬくもりを、追いかけた。
「グレイから話は聞いた。聞きたいことがあるんだろう?」
「グレイ……?」
 聞き覚えの無い名前に、首をかしげる。ん? と姉も振り返り、不思議そうな顔をした。
「話したんだろう? グレイと」
「ええと。そんな名前の人、俺は知らない」
 そんなまさか、と姉は首をかしげて、俺を見る。
 やがて、あぁ、と小さく声をあげ、一人納得したようにうなずいた。
「そうか、あいつ、ディルに名乗る勇気も無かったか」
 奴にしては賢明かもしれないな。などと、事情のわからない俺にとってはさっぱりな言葉を呟いて、姉は再び歩き出す。適当な部屋の扉を開き、中に入るよう俺を促した。
「グレイは、白の当主の名前だ。グレイ・セイクリッド」
「あ」
 聞いたとたん、心が冷える。黙って、部屋に入った。
「さて、どこまで聞いた?」
 優雅に微笑む姉の顔は、全く楽しそうには見えなかった。


BACK TOP NEXT