*

■神様の歌■第一章■第一話■

■1■
BACK TOP NEXT 

「くぁー! 今日もいい天気だな。これも『セイカ様』とやらのお陰かっ」
 ガタイのいい黒髪の船乗りが、神に感謝をしながら伸びをする。その横で、赤毛の船乗りが笑った。
「おいおい、『セイカ様』とやら、お前は信じてないんじゃなかったのか?」
 その突っ込みに、黒髪の船乗りはからからと笑う。
「まあな!」
 信者でさえ怒る気も削がれるほど、力いっぱい肯定した。赤毛の船乗りの苦笑を横目に、黒髪の船乗りは、豪快に笑う。



「さて」
「ジン。どこ行くんだよ」
 突然立ち上がる黒髪の船乗りに、赤毛の船乗りは首をかしげて問いかけた。
「俺は今から休憩なんだなぁ、これが」
 笑いながら言うジンに、赤毛の船乗りは苦笑しながら呟く。
「なんだよそれ。仕事はたった今始まったばかりだぞ?」
「はっはっは」
 陽気に笑い、ジンは港をあとにする。港を取り仕切っている張本人のその態度に、赤毛の船乗りはただ苦笑するしかなかった。
 ジンが通りに出ると、随分な数の人間が、同じ方向へと歩いているのが分かった。
「こりゃまぁ……」
 ジンは笑ってその方向へと視線をやる。そこには、荘厳な空気を放つ、大聖堂が存在した。それほど多くはないが、少なくも無い数の人々が扉の開かれた聖堂へと入っていく。
「すげぇな」
「何が」
 自然と、ジンの口から漏れた言葉に返す声があった。ジンは驚いて目を丸くし、その声の主を振り返り見下ろす。
「モロアのばあさん。こんなところで何してるんだ。まさかあんたも大聖堂に?」
「私はただの朝の散歩。聖堂に行ったりしないわ」
 小さく笑う老婆を見て、そうか、とジンは返事をする。再び、視線を大聖堂へと戻した。
「凄いよな、『セイカ様』の生まれた日。ただそれだけで、これだけの人間が祈りを捧げに教会へ行くんだ」
「随分、セイカ様の御名を、皮肉気に口にするのね」
 モロアの言葉を受け、ジンは小さく、「当然だろ」と返す。
「戦争に負けた神が、どうしてここまで崇められる」
 モロアは、目を伏せて、「そうね」と微笑んだ。
「それでも、セイカ様は絶対なの。彼女の名は大陸全土にまで広がってる。異教徒がいるのは、ここラデンくらいだわ」
「王国の守護神、『ソナタ様』か」
 ジンの呟く言葉を聴き、モロアは笑い声を漏らす。
「幸い、咎められることはないけれど。ソナタ様の教えも、セイカの様教えも、この国では同列に従うべき対象だから」
「平和だったら、俺はなんでもいいんだけどな」
「それなら問題ないわ。国交は穏やかに進められているし。最近まで不穏な動きを見せていた北のシエスタも、今はすっかり何もないみたい。なんでも、末の王女様が幼いながら、なかなかの手腕だとか」
 ジンは短く、「そうか」とだけ呟き、下を向いて考え込む。数分もしないうちに、顔を上げ息を吐いた。
「問題は、内か」
 ジンの突然の言葉にも動じず、モロアは肯く。
「いままで平和が続いた分、何か来そうね」
 二人は真剣な表情でしばらく見合ったが、ジンが先に表情を緩ませる。
「ま。心配ないさ」
 モロアはその言葉を聞いて表情を緩める。ジンは笑みを浮かべて、モロアの側を離れた。その後、ジンは大通りの人波に逆らい、国の外へと足を進める。
 王国を出てすぐに小さななにもない広場があり、そのすぐ向こうは森だった。木々が切り開かれ、隣国へと続く街道が見えている。内陸の森は聖域となっており、立ち入り禁止区域だ。
 その立ち入り禁止区域へと、ジンは足を向ける。広場から四歩も歩かない位置に、大人四人ほどがあぐらをかいて座れる広さの空き地があった。そこで昼寝、つまり港の監督をサボるのがジンの日課だった。
「さて」
 大きなあくびをしながら、木々を掻き分けてその空き地へと顔を出す。
「っと……」
 空き地を覗き込んだ瞬間、ジンは目を見開いた。昼寝をするつもりだったが、今日はできそうもないな。と、心の中で呟く。
 空き地には、黒髪の少女がいた。十にとどくかとどかないかの、幼い少女が、うずくまるようにして横たわっていた。
 ジンは駆け寄り、少女を抱き上げる。その体の持っている熱に驚き、そして自分の腕に付いた血痕にうろたえた。
「こりゃっ……」
 少女の背中を見て、青ざめる。
「ドクター!」
 ジンは小声で叫んで、走り出した。

 少女の体は、傷だらけ。



「あ、ジンさ……」
 十代前半ほどの草色の髪を持った少女がジンの姿を見つけて手を振り上げるが、ジンはそのまま通り過ぎる。
 いつにない対応に、少女は首をひねり、その後を追った。
「ジンさん、どうしたのよ?」
「ああ、ソナタ。お前また城下に出てきやがったな」
「いいじゃない。戴冠式まであと四年しかないんだし? 遊びたい盛りなのよ。―――その子、一体どうしたの? 怪我?」
 軽口を交わした後、ジンの抱えている少女の存在に、ソナタは意識を向けた。立て続けに問いかける。
「わからないな。国の外に倒れていた。とにかく重症だ」
 ジンは禁止区域にいたとは言わずに、報告した。ソナタは、そう。と小さく返した。
「ドクターのところに行くのね?」
「ああ。ティムとルースは?」
「今日は、たしか兵の宿舎だわ。真剣を使用した訓練があったの。連れてくる」
「頼む」
 二人は次の道で別れ、ソナタは走り出す。
(何があったのかは、知らないけど。この国の怪我人は、どこの誰であろうが助ける。それが私の義務だわ)
 だから、ソナタは走る。全速力で、自分のできることを為すために。



「ソナタ様」
 兵の宿舎にたどり着いたソナタが、うつむき胸を抑えて息を整えていると、高圧的な声が降って来た。
「何故このような場所に? ご自分の立場を、きちんと理解していらっしゃいますか?」
 声の主に思い当たり、ソナタは固まる。
「ハーヴィー……」
 えへ? と、ソナタは顔を上げ、目の前の兵へと笑いかける。
「あなたはいずれ、この国を治める大事な責務が――」
「お城にいたら、できないことばかりなのよ」
 ソナタはハーヴィーの脇をすり抜けた。
「街には、私でも役に立つことがたくさんあるの!」
 高らかに笑い飛ばし、奥の部屋から聞こえた声の元へと走り出す。少年の声が聞こえた。
「化膿してるじゃないですか! どうしてこんなになるまで、ドクターのところに来なかったんです?」
「ティム、ルース。重傷患者を診て欲しいの」
 言いながら、部屋へと飛び込む。名を呼んだ二人の姿をソナタは探した。
 ティムはすぐに見つかった。くつろいでいる兵士達の傷を見て回っている黒髪の少年だ。そしてルースは……。
「なに寝てんのよコイツは」
 兵士が休むためのベッドで、弟が診断中にもかかわらず、堂々と眠っていた。
 ソナタは呆れながら近づく。そんなソナタに、ティムが制止の声をかけた。
「待ってソナタ。兄さん、最近疲れてるみたいなんだ。学校の帰りに夜遅くまでお城の図書館に行ったり、その後ドクターを手伝ったり……」
「たしか、卒業課題の研究期間中だったかしら? 何のためにそんな頑張ってるか知らないけど。ドクターの助手なら、それらしくして欲しいわ」
 この国唯一のお医者様の助手ならね、と呟いて、金髪の少年ルースへと手を伸ばす。
「起きなさいっ」
 ティムの言葉を完全に無視し、力いっぱい揺らした。しばらくがくがくと揺らしていると、突然ルースが目を開けて身を起こす。あまりの勢いに、危うく頭がぶつかりそうだった。ソナタは慌てて身を引く。
「ルース? ごめん、起こしちゃって悪かったかしら? 頼むから怒鳴らないで――」
 幼馴染のただならぬ様子に、ソナタは小さな声をかける。ティムも、周りの兵士も、心配そうにルースを見つめた。
「いや、助かった。ありがとう」
 ルースは息を大きく吐いて、再びベッドへ背中から倒れこむ。何度も何度も、深呼吸をしていた。
 汗の浮いている顔を見て、心配そうにソナタが言葉をかけた。
「嫌な夢を見たのね? どんな夢? 私には言えないかしら? ほら、嫌な夢って人に話せば大丈夫って言うじゃない?」
 必死なソナタに、ルースは小さく笑う。
「大丈夫だ。ありがとう」
 ソナタの頭に手を置き、お礼を言うルース。周りの兵士も心配していた。
「無理すんなよ!」
「お前すぐ出るからな。顔と体調に! 生き急ぐなよ、少年!」
「いいか! お前とティムは、みんなの息子だ! 勝手な振舞いは許さん!」
 ソナタの父の手によって、王国に引き取られた兄弟は、それはもう、国中の人々から愛されていると言っても過言ではなかった。
 口々にかけられる温かい言葉に、ティムは照れくさそうに微笑み、ルースも口の端を僅かにあげた。
「そういえばソナタ、重傷患者って?」
「そうだった!」
 ティムの言葉に、ソナタは手を叩く。
「黒髪の女の子なんだけどね」
 調子を取り戻したのか、ルースが立ち上がる。
「行くぞ」
「あ、待って兄さん」
 走り出したルースを、ティムとソナタが追った。

BACK TOP NEXT