「ごめんくださーい」
扉を叩いて、ティムが叫んだ。
しばらくの沈黙の後、肩をすくめる。
「だめだ、いないみたい」
「困ったわね」
「……」
小屋の前についてから、ティムのやること、ソナタのやること、黙って見ていたルースが動いた。
「え、ちょっとルース? あ!」
ルースより先に、少女が動いていた。黒髪の少女は何も言わずにふらついた足取りで小屋の扉を押し開ける。
「兄さんっ」
ティムによる、少女を止めて、といった意味の慌てた声も、時既に遅く、少女が先に、ルースがその後を追うような形で小屋の中へと消えてしまった。
「なんでっ」
ティムが絶句している横で、ソナタが眉を寄せる。
「変ね、ルースがわけのわからない行動取るなんて……。本当、どうしちゃったのかしら」
とにかく、ティムとソナタは、ルースを追って小屋の中へと入った。
「ルース?」
「兄さん?」
中に入ると、ルースは闇と対峙していた。
「まさか、私の小屋に無断で入るなんてね」
「居留守を使う、あんたが悪い」
声は大人びた女性の声で、凍るような響きだった。
「あら。私は本当に今までこの小屋にはいなかった。嘘はつかないわ」
言いながら、ルースと対峙していた闇が、ティム達のほうへと歩み出てくる。
「あっ」
幼い頃、いつだったか忘れてしまったが、一度だけ見たことのある闇の出で立ちに、ソナタが小さく声を漏らした。けれど、その声は誰の耳にも届かない。
闇は、女性だった。漆黒の髪と目を持ち、漆黒の衣に身を包んだ、年若そうに見える短い髪の女性。
女性の出で立ちを見て、ティムは無意識に呟く。
「魔女……」
思わず視線を逸らして、兄を呼んだ。
「兄さん?」
「無礼なお客さん達ね、本当に」
その冷たい声の響きに、ティムとソナタは息を呑む。
「名乗ったらどうなの」
そう言われて、ティムの口が自然に動いた。
「ティムです。ティム・ヴァーレン」
そう呟いたティムを、魔女は見つめ返した。
冷水を浴びせられたような気分で、ティムはその時間に耐える。
「そう、あなたが……」
魔女の言葉は、ティムには届かなかった。しかし、魔女のすぐ脇にいたルースは、言葉を聞き取っていた。ルースは睨むように、魔女を見つめる。
「あ、あたしは……」
すっかり気圧されているソナタが、震える唇で名乗った。
「あたしは、ソナタ。ソナタ・ビビ・ヴィーブルス・ラデン。王族よ」
魔女の視線は、ソナタからルースへと移る。
「ルース・ヴァーレン」
そっけなく呟いたルースを見て、魔女は微笑んだ。その微笑は、あまりに温かみのある笑みで、ティムは驚きを隠せない。
「そう、二人は兄弟なのね」
先ほどの笑みで、幾分か恐怖が抜けたティムが、その魔女の言葉に答える。
「はい。一つ違いで、あっちが兄さん、僕が弟です。えっと……」
ティムは魔女を見つめて、困ったように笑う。魔女はまた微笑んで、名乗った。
「リシアよ。リシア……」
魔女は一瞬だけ名乗るのを躊躇するかのように言葉を止めた。ソナタがそれに気付くことは無く、ティムは少しだけ違和感を覚える程度だったけれど。そしてルースは、間違いなくその間を感じ取り、その理由をも把握して、表情を歪めた。
「……ウィッチ」
「リシア・ウィッチさんですか」
「リシアでいいわ」
ティムは、そう言って微笑むリシアを見て、ほっと息を吐いた。
だが、すぐにまた思い出す。
「女の子は――」
「リシア。あの子を返せ」
ティムの言葉にかぶさるように、ルースが言った。それを受けたリシアは、口元の笑みを消す。
「あなたたちが連れてきてくれたんでしょう?」
「何、どういうこと……?」
ソナタの問いは、黙殺された。
「貴方たちが、ウィルを連れてきてくれた。探していたのよ、ずっと。迷子になった子だから。助かったわ」
冷たい瞳、それを見てしまったソナタは、何も言えずに口元を手で覆う。
ティムは無意識に身構えながら、問いかけた。
「ウィル? それが、あの子の名前なんですか?」
「そうね」
答えは簡潔で、それでもまだリシアを見つめるティム。リシアは息を吐いて、続けた。
「ウィル・ズ・ドール。それがあの子の称号よ」
「称号が、ウィル・ズ・ドール?」
Will's doll
それが何を意味するのか、ティムにもソナタにも、ルースにさえ、理解はできなかった。
短い沈黙が続き、あの女の子……ウィルのことはひとまず置いて、ティムはリシアの名を呼んだ。
「あの、リシアさん……」
小さな声の呼びかけだったが、リシアは何? と返事をする。ルースも、ソナタも、何事かと言うようにティムを見た。
ティム自身は言いにくそうに下を見つめていたが、やがて顔を上げ、口を開いた。
「リシアさんは、僕らの……」
見返す冷たい瞳に気圧されて、ティムは一瞬口ごもる。けれど、自分と同じその漆黒の瞳と、その髪の色を見て、ティムは意思を強く持つ。
知りたい。
知らなければいけない。囚われるわけにはいかないから、どうしても生きていかなければいけないから。
ティムは、口を開いた。
「リシアさんは、僕らの母さんじゃないの?」
「ティム?」
ルースの驚きの声が小さく響く。
唐突に言われたリシアだったが、驚くこともせずに、優しい笑みを浮かべ、諭すように囁いた。
「いいえ、違うわ」
本当に優しく言うため、ティムは納得できない。
「だって、黒髪の女の人なんて、ラデンで見たこと無い……。リシアさんじゃないの? リシアさんが、僕らの母さんじゃないの? 本当のことが知りたいんです」
リシアは笑みを浮かべたまま、囁いた。
「そう、本当のことを私に聞くの。それは正しい判断だわ。私は魔女だから、嘘はつけない」
え、とソナタが顔を上げる。彼女にとって魔女というのは絵本や小説に出てくる意地の悪い魔法使い。彼らにそんな制約があるなど初耳で、意外すぎた。
「でもね、私は魔女なの。この意味がわかる?」
ティムはリシアを見つめたまま口を開かない。
「人の親になど、なりえないのよ」
「っ……。じゃあ、僕らの母さんは……」
リシアは息を吐き、ティムから目を離す。ほんの一瞬、その一瞬で、ルースと目が合った。
「……」
睨むようなルースの目つきに、リシアはもう一度息を吐く。
「これだけ言わせて。あなたの両親は、黒髪ではないの」
ティムの目が見開かれた。
「お願い、私にこれ以上聞かないで」
まるで、誰かから怒られるという口ぶりで、肩をすくめてリシアは言う。一度閉ざしたティムの口は、再び開く機会を失ってしまった。
ほんの少しの沈黙の後、今度は先ほどからずっと黙っていたルースが、口を開いた。
「人を探してる」
「教えられないわ」
驚くほど素早く帰ってきたその返答に対して、悔しそうにルースは唇を噛んだ。ティムとソナタが首をひねるのも構わずに、ルースは続けて別の問いをする。
「ある方法を捜してる」
「あったとしても、あなたには不可能ね。諦めなさい」
睨むようにルースはリシアを見た。そんなルースを、ティムとソナタは驚いて見つめる。兄が、何を求めているのかがわからない。いつだってある程度の意図は推し量れたのに、今はそれがわからない。
この人は誰だろう。
唐突にそう思った。
言葉を選びながら、ティムは問いかけた。重ねるように、ソナタも問いを口にする。
「兄さんが最近図書館に通ってるのって、それが理由?」
「ルース、それいったい何の話よ」
「お前等には関係ないよ」
ごめんな、とルースはそう言って、俯いた。
嫌な雰囲気になってしまった三人を見つめ、リシアはさらりと言い放つ。
「何もないわね、もう帰りなさい」
「なっ」
最も食って掛かったのはティムだった。
「何を言ってるんですか! 女の子を返してください、ウィルをっ」
「できないわ」
「どうしてっ」
リシアの凍るような視線に射抜かれて、ティムは身を竦ませた。
「帰りなさいな」
一瞬の沈黙、ソナタは怯えるように、ティムを見つめた。
「ティム……?」
ソナタがルースのほうへと視線を移す。声をかけようとして、思いとどまった。
先ほどとは打って変わり、ルースの表情はどこまでも冷めていた、まるで次にティムがどうするのかを見るためにそこに立っているようにも見えた。
ティムは、動かない。
「強情っぱりなのね」
リシアはそう呟いて、手を振り上げる。
強烈な光が満ちて、三人は反射的に手で目を庇った。
次に三人の視力が回復した頃には、揃ってラデン王国前だった。
「何……」
目の前の門を見つめたまま、呆然としているソナタの口からこぼれた言葉がそれだった。
ルースは黙っている。黙って、ひたすら考え込んでいた。
「ウィル……」
森の方向を見つめたまま、ティムは呟いた。
自分と同じ色を持った少女を、ただ心配していた。
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