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■神様の歌■第一章■第二話■

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 誰一人、お茶に手をつけずに黙り込んでしまった時だった。
 一人の男性が、ノックもせずに部屋へと入ってくる。
「伯父様っ。お帰りなさい」
 ソナタは慌てて立ち上がり、召し使いはさっと脇に下がった。ウィルは、座ったまま黙って男を見上げる。
「ソナタ。いい子にしてか」
「ええ、それはもう」
 にこやかにソナタは応対する。しかし、彼はテーブルに載った手付かずのティーセットを見つけた。
「どうした、飲まないのか」
 その言葉に吐きそうになりながら、ソナタは答える。
「今手をつけようとしていたところです」
「そうか、それなら飲むといい。おいしいお茶だ」
 その顔は、笑っていない。
 気付いているのだ。ソナタ達の固い表情で、自分の意思を正しく受け止められていることを。だからこそ、あえて、笑わずに、ソナタ達がどうするのかを見ようとしている。
 ソナタが沈黙すると、ウィルが突然口を開いた。
「港の最高責任者は、あなた?」
「なんだ、お前は。見ない髪の色だな」
 ウィルは小さく頭を下げ、呟く。
「港のジンさんが、探しているようでした」
 え、とソナタとマリアナがウィルを見る。伯父は覚えがあるのぁ、不服そうに、そうかあいつが。と呟いた。
「伝言感謝する。それじゃあ、ソナタ。またくるよ」
 そう言い、伯父は部屋を出て行った。ソナタはソファへと身を投げ出す。
「ソナタ」
 クッションに顔をうずめて、ソナタは震えていた。
「ソナタ」
 もう一度ウィルは名前を呼ぶ。それでも反応しないソナタを見て、ウィルはそのまま続けた。
「マリアナさんの言うように、私が何かできるとは思えない」
「……」
「だけど、役に立てたら、とは、思う」
 ゆっくりと、ソナタは顔を上げた。ウィルは、僅かに表情を綻ばせて、呟く。
「だって、『友達』なんでしょう? 私達」



「それにしたって、困ったな。港の人たちにばれちゃったら逃げる意味ないわよね」
 夕刻、とりあえず身元が一目で分かる上、目立つ髪を纏めてフードに隠したソナタは、物陰から港を見つめる。
「ところで、どこに行くのウィル?」
 脇にいたウィルは、すぐに答えた。
「隣の島」
 ああ、とソナタは頷く。その時、道行く人の会話が聞こえた。ウィルは思わず、そちらのほうを向く。
「なんか、ソナタ様失踪したって」
 びく、とソナタの体が震えた。
「はぁ? なんでまた。というか、城下に降りるならいつものことじゃないか」
「知らないさ、なんでも、忽然とお姿を消されたらしい。兵が探している」
 会話を聞いて、ウィルが眉を寄せる。
「こんなに早く話が回るなんて……」
「どうしよ」
 はあ、とソナタがため息をついたとき、遠くの方から兵達がやってきた。ソナタとウィルは、慌てて隠れる。
「そこの者、王女を見かけなかったか」
 いや、と人々は答えて、立ち去っていく。
「あーもう、本当にどうしたら……」
「何をなさっているのですか」
 背後から聞こえた声に、ソナタは冷水を浴びせられたような気分で固まった。ウィルがソナタを庇うように振り返る。
「そんな怖い顔をなさらないでいただきたい」
 ソナタは、その声の響きに聞き覚えがあり、振り返った。
「ハーヴィっ――」
 叫びそうになったのを、手で塞がれる。
「お静かに、兵がまだうろついています。こちらへ」
 ハーヴィーの大きな手に引かれ、ウィルとソナタはただ付いていった。



「ハーヴィー、あのその……」
 兵宿舎、ハーヴィーの個室に案内され、ソナタは困りきった様子で、わけを話すか話すまいかで思い悩む。
 それを見たハーヴィーは、口を開いた。
「マリアナから聞きましたよ。とうとう彼が動いた、と」
 ソナタがほっと息をつく。
「ところでこちらは?」
 ハーヴィーが、部屋の隅にいるウィルを見て問いかけた、ウィルは、黙ってハーヴィーを見上げる。
「あ、彼女はウィル。あたしの友達」
 そうですか、と呟いて、ハーヴィーはウィルを見つめる。
「逃げるのに、少女二人ですか」
「だって」
「たしかにあなたの味方は少ない」
 ソナタの言葉を遮って、ハーヴィーは言った。
「けれど、敵が多いわけでもない」
 その言葉に、ソナタは口を閉ざした。
「この国では、男の王が支配をするということさえ、考えに及ばないのです」
「守護神、ソナタ様の……」
「ええ、ラデン国初代王の成した女王制です。国民の思想はそれに基いていますから。ですが、それで安心してはいけません。人数が少ない分、精鋭ばかりが追っ手にやってくる」
 そこまで言って、ハーヴィーは扉へと視線を移した。
「ですから、二人を呼びましたよ」
 扉の開く音に、え。とソナタが振り返った。
 ウィルが、わずかに目を見開く。
「ハーヴィーさん」
「呼んだかよ、って」
 黒と、金。対照的な二人の兄弟。ティムとルースが、入ってきた。
 ソナタの姿を見つけた二人は、慌ててかけよる。
「ソナタ、表ではすごい騒ぎになってるよ?」
「何でこんなところに……」
 ルースはハーヴィーの部屋を見回した。ある一点を見て固まる。
「お前っ」
 ティムもルースを見てから同じ方向へと目を向ける。
「あっ!」
 あまり変化のない顔のまま、ウィルは小さく頭を下げた。
「ウィッ」
 ティムの叫び声は、ハーヴィーによってさえぎられる。



「ティムたちも巻き込めって言うの?」
 突っかかるようなソナタの物言いに、動じることもなくハーヴィーは頷いた。
「どの道、二人を引き取ったのは先代です。彼が動くのも時間の問題でしょう」
「……さっきから思ってたけど、彼って伯父様のこと?」
 ソナタの問いかけに、ハーヴィーは簡潔に答える。
「それ以外に誰が?」
「一応、王族なんだけどな」
「親戚ですから」
 子ども達がハーヴィーを見つめた。
「なんですか」
「え? どういう……」
「彼は私の義弟です」
 なるほど、とソナタは息を吐く。新たな不安が生まれてしまった。
「ハーヴィーは、私なんかに手を貸していいの? だって、伯父様がもしも王座を手にしたら、あなたは……」
 王様の兄になりたいとか、普通思ったりしないの? その言葉を、ソナタはハーヴィーに睨まれて、飲み込んだ。
「私をなんだと思っているんですか」
「だって。そういうものだと思うじゃない」
 すっかり人間不信になってしまったソナタは、弱々しく呟いた。
「私が兵士に志願した理由、あなたにお話しましたか?」
 そう聞くハーヴィーに、ソナタは首を振った。ハーヴィーはルースやティムにも視線を向けたが、二人も首をふる。
「私は、出世に興味はないんですよ」
 今現在で、既に年齢にしてはなかなかの地位にいるハーヴィーの言葉に、信憑性はあまりない。
「私は、守護神ソナタに忠誠を誓いました。この国のあり方を守るために」
「この国のあり方……?」
 ハーヴィは口を閉ざした。ソナタが問い詰める。
「どういうこと。何なの? この国のあり方って」
「あなたが女王を継がなければならない。そういうことです」
 そう言いながら、ソナタの頭に手を置いた。
「さて、話を戻しましょう。表の兵も大分減ってきているはずです。ソナタ様は今夜、船に乗り国を出てください。ウィルさんとティム、ルースがそれに同行しなさい」
「でもティムとルースはっ」
 ソナタが慌てて言うのを、ハーヴィーは頭に乗せた手に力を込めて黙らせた。
「この二人には、私とジンが剣を教えていました。すぐにやめてしまったティムはともかく、ルースの腕には期待して良いでしょう。ないよりはマシ、程度ですが」
 ハーヴィーはそう言って、ルースを見る。
「でも……」
「行ってください」
 机の上においてあった箱から、数枚のマントを取り出し、ハーヴィーは言った。子ども用だ。いつから準備していたのか。ソナタが衝撃を受けている中で、ハーヴィーは厳しい声で告げた。
「この国の女王は、あなたです。――わかりますね、ビビ様?」
 ビビというのは幼名だ。ソナタとは代々受け継がれるラデン女王の名であり、母は幼名も『ソナタ』だったため、区別されるためにソナタにはビビと言う幼名が与えられた。
 しかし、それは母を失くした時に捨てたのだ。王位継承の義に正式に受け取るべき名だが、父と同時に母を失ったときから、ビビはソナタとなった。
 だから、その名前はもう要らない。
「……あたしは、ソナタよ」
「それでいいんです」
 ハーヴィーは頷いて、それぞれにマントを渡した。そして、それぞれを見て、苦笑する。
「貴方達は、揃って少ない髪の色ですから」
 呟いて、ハーヴィーは続ける。
「この大陸の人は、主に茶髪が大半を占めます。国を出るまで、気を抜かないように。それから、ソナタ様」
 なに、とソナタがハーヴィーを見る。
「名乗ってはいけませんからね」
 ソナタは、あ、と声をあげた。そして、笑顔で答える。
「わかった、あたしはソナタだけど、向こう二年はビビと名乗らないといけないのね」
「ビビ様に戻っていただきます」
 ハーヴィーは頷いた。最後に、ルースとティムへ荷物を渡し、子ども達の背中を押す。
「フードをかぶり、暗闇に乗じなさい。お気をつけて」
 子ども達は、窓から外に出た。今夜の最後の便が、間もなく出航する。
「ルース、本当にいいの、あたしなんかについてきて、せっかく――」
 学校、卒業できるのに。ソナタが早足でルースに聞く。
「ふーん、ソナタは、僕達の幼馴染じゃなかったんだ」
 ティムの言葉に、ソナタは振り返って。首をかしげる。
「ティム? 何を……」
「一人で冒険は許さない」
 ティムがそう言って、笑った。
「そんな軽い話じゃっ」
「国の外に出られるんだ、もう少し楽しいほうに考えろよ」
 ルースがソナタの頭を叩いた。
「そんなやり取りなら船でできる。急ぐぞ」
 歩き出したとき、ティムがウィルを振り返った。いつかのように、手を差し出す。ウィルは黙って、迷うことなくその手を取った。

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