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■神様の歌■第二章■第二話■

■3■
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「それじゃ、ティム。好きなところまででいいから」
 ダリスの言葉を受け、ティムは頷く。ドゥーノと並んで、村の外へと歩き出した。
 他愛の無い会話をして、この辺でいいかな、とティムは足を止める。
「ドゥーノさん、また来年」
 そういうと、ドゥーノは笑った。笑っているのに、楽しそうじゃない。ウィルに言わせれば、『下手な笑い方』で。
「来年は、もうこれない」
 その笑顔を、ティムは知っている気がした。どこかで見た気がした。そしてその人には、もう二度と会えなかったような、そんな気がした。
 ―――なんだろう、この感覚は。
 ティムはその感覚の名を知らなかった。腹の底が重くなるような、背中が薄ら寒くなるような、胸がちりちりと痛むような。
 呆然とその笑顔を見たまま、考えをめぐらせ、ひとつの意味に思い当たる。体中が否定する。けれど、頭でこれだとわかる意味に。
 震える唇で、ティムは呟いた。
「―――死ぬつもりですか」
「寿命だよ」
 間髪入れずに返ってくる答に、どういうことだと悲鳴を上げそうになった。かろうじてティムはこらえ、静かに言い放つ。
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「だって、ドゥーノさん、まだそんな年齢じゃ……」
 静かにドゥーノは首をふる。
「私の一族は短命だから。その時が近づけば、そうとわかる。例えば……そうだね、動物の中には死期が近づくと群れから離れるのがいるようにね」
「……」
 ティムはうつむいたまま、返事をしなかった。黙ってドゥーノが見ていると、その唇が小さく動く。
「―――……死なないで」
 その言葉を聴いて、ドゥーノは苦笑した。
「自惚れでなければ、私はずいぶん君に気に入られてしまったらしい」
「……」
 ティムは何も言わない。唇をかんで、うつむいたままだ。
「ティム君、君に逢えてよかった」
「……」
「どうか幸せに。君は君の生を、生き抜いてくれ」
「……もう少し先まで、送ります」
 ティムがそう返すと、ドゥーノは優しく笑った。
「ありがとう」



 少しの沈黙。そのまま歩き、ふと、ドゥーノが呟く。
「本当は、ラリスに会いにきたんだ」
 ラリスに? そうティムが見上げると、ドゥーノは小さく頷く。
「ここ三年ほど、死期を感じてこの村に三度来た。結局は、会えずじまいだ」
「―――っ」
 どうして? 今すぐラリスに問いたかった。こんな目をして、この人は会いたがっているのに。どうしてラリスは会ってあげないんだろう、と。ひょっとすると、怒鳴りたかったのかもしれない。いや、その場にラリスがいれば、きっとティムは怒鳴っていただろう。まったく自分らしくない。そう思い、ティムは大きく息を吐いた。
「あの子にも伝えてくれないか? 『どうか幸せに』と」
「……はい」
 ティムが小さく返事をした時だった。二人の背後から、威勢のいい声が響く。
「ドゥーノ!」
 甲高い、少女のような、まだ声変わりのしていない少年のような声。
 二人の背後には村があるだけで、ティムとドゥーノが振り返る前に誰か気付くのは造作もないことだった。
 ティムは振り返り、ドゥーノは振り返らない。
「振り返るなよ、絶対振り返るな!」
 ラリスはそう叫んで、さらに続ける。
「何しに来たんだよ、なんで。どうして今頃! こうやって、何度もっ」
「もうこないよ」
 ドゥーノは、ラリスに背を向けたまま静かに言い放った。ラリスの呼吸が、一瞬止まる。
「―――これないんでしょ?」
 ラリスの声は、震えていた。ティムは、泣くんじゃないかと、意味もなく不安になる。
「そうだね、もうこれない」
「っ」
 ラリスは突然ドゥーノに向かって突進した。岩だらけの道を、軽々と、躓くこともなく。
 力いっぱいにドゥーノへ体当たりして、そのまま押し倒す。子どもの力で大の大人が倒れるわけも無いから、恐らくドゥーノがわざと倒れたんだろうとティムは思った。
 驚いてティムは動けず、ラリスはドゥーノの背中に突っ伏していた。ティムの見下ろす横で、ラリスはドゥーノの耳元に口を寄せる。
 何かを囁き、ラリスは体を起こした。ドゥーノの横で、座り込んだまま、伏せている彼を見つめる。
「……私もだ」
 ドゥーノは小さく返した。ラリスの肩に、小さな力がこもる。
 ティムは、ドゥーノとラリスの関係を全く知らない。けれど、この二人の間には何かがある。それだけはわかった。だから、黙ってみていることにした。口出しもせず、ただ静かに見ていよう、と。
 ドゥーノは体を起こし、あぐらをかく。ラリスのほうは、見ないで口を開いた。
「ラリス」
「何」
 いつになくぶっきらぼうに答えるラリスに、ドゥーノはかまわず続ける。
「顔は、どうしても見せてくれないのかい」
「……」
「さいごなんだ。頼むよ」
「ラリスっ」
 ドゥーノの懇願の言葉に、ティムは思わず口を出してしまった。ラリスは黙ったまま、微動だにしない。
「私の顔は、変わってない」
「知ってる」
 そこまで聞いて、二人は顔見知りなのだとティムが気付いた。昔、会っているのだ、と。
「それならラリス、目を閉じて」
 ドゥーノの言葉に、ラリスは従った。目を閉じて、あごを出すように顔を上げる。
 目を閉じたラリスの顔を、ドゥーノは見つめた。
「っ」
 ラリスは、笑った。
「さいごになるのに、見ないなんてできないや」
「ラリス?」
 ティムは小さくつぶやくけれど、返事はない。
 ドゥーノは小さなラリスの体を、大きな腕を伸ばして抱きしめた。背中に当たる感触に、ラリスは泣きそうになる。
「―――……」
 ラリスの耳元で、ドゥーノが何かを呟いた。華奢で細い肩が、ぴくりと震える。
「ずるいよ」
 呟いて、笑った。漆黒の瞳を、ドゥーノの琥珀色としっかり交わして。
 ドゥーノの顔が、泣きそうに歪む。
「ティム君」
 振り返ったドゥーノに呼ばれて、ティムはドゥーノを見る。おいで、と示されて、ラリスの横に彼は並んだ。
「君たちに、逢えてよかった」
 ドゥーノはそう呟いて、二人を同時に抱きしめた。
 大きな手だった。
 不思議と、いやな感じはしなかった。戸惑いもなかった。ただ、ああ、温かいな。と、それだけをティムは思った。
 横で、ラリスの肩が震えていることに、ティムは気が付いた。泣いているんだろうか、と思い、いつか、ドゥーノさんと何があったのかを聞こうと、心のどこかかで考えた。
「ティム、逢ったばかりの君に気に入られて、私は嬉しかったよ」
 その言葉に、ティムは微笑む。
「ドゥーノさんは、僕の思い描いていたお父さん、みたいです」
 その言葉に、ドゥーノはしばらく返事をしなかった。
「―――光栄だね」
 その顔を、ティムはまぶたに焼き付けるように見つめ続けた。忘れるもんか、とひたすら唱える。
「ドゥーノさん、どうか幸せに」
「君も」
 ティムとドゥーノの、静かなやり取り。ラリスが、叫ぶ。
「っ、ドゥーノッ! お願いだから―――」
「サヨナラ。ラリス、村の人たちによろしく」
 言葉を遮られても、ラリスは何も言わずに頷いた。



 二人と別れ、ドゥーノは『街』の港へ向かう。
『どうか幸せに』
 ティムの言葉を思い出し、ソレに今、返事をした。


「私はもう、十分だ」

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