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■神様の歌■第二章■第二話■

■2■
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 ティムは村の外にいた。
 今は歌うのをやめ、『村』にやってくる一人の男性を見ている。近づくにつれて、あちらもティムに気が付いた。ティムの方をはっきりと見ずに、呟く。
「さっき歌っていたのは、君かい?」
 年齢不詳の男性だった。若くも見えるし、年をとっている、と言われても戸惑わない。濃い茶色の髪は、懐かしい気持ちにさせるような、優しい色だった。
 そんな彼からの問いに、ティムは黙って頷く。
「そうか、私も聞いたことのある歌だ。妻がよく歌っていた」
 聞いてもいないことを言う男性に対しても、ティムはいつもの穏やかな表情を変えない。
「私は、村長に会いにきた。彼は今いるかい?」
 やっと、真正面から男性はティムを見る。その瞬間、男性の時が止まったように見えた。
「あの?」
 明らかに様子の代わった男性を見て、逆にティムがうろたえる。
「君、名前は?」
「あ、えっと。ティムです」
 男性はハッと息を呑んだ。戸惑ったまま何も言え無いティムは、黙って男性の様子を見つめる。
「……。君は、この村の少年かい?」
「いいえ、えっと、話せば長くなるんですけど」
 ティムの言葉に、男性は笑みを浮かべた。
「よし。聞かせてくれ」
 そう言ってその場に座った男性を見て、ティムは慌てる。
「え、ダリスさんに会いにきたんじゃ無いんですか?」
「別に逃げたりはしないだろう。せっかく、こうして会えたんだ、ちょっと喋ろうじゃないか」
 本来の用事を後回しするほどの何かを、ティムに見たのか分からないが、男性は楽しそうだった。それを見ているうちに、ティムもまあいいか、という気になってくる。
 男性の隣に腰を下ろし、ティムはどこから話そうかと考える。考えている時、ふと思いたった。
「そういえば、あなたの名前は?」
「ああ、まだ名乗っていなかったなぁ。私はドゥーノ」
「ドゥーノさん……? それだけ?」
 そう聞き返すと、ドゥーノは苦笑した。
「気になるかい? あまり、知られたくないんだ。家は好きじゃないから」
「え、あっ、ごめんなさい」
 困ったように謝るティムに、愛嬌を感じたのか、ドゥーノはまた笑った。
「私の名前はドゥーノ・ウィッチ。元々は本家じゃないけれど。妻が本家で、婿入りをした。この『村』の人間とは、遠い親戚になる。血縁関係はないが」
 そういえば、君は? ドゥーノが、ティムのした質問と同じ意味のことを言っている事に気がつき、ティムは慌てて答える。
「僕はティム・ヴァーレンです」
「ヴァーレンか、良い名だな」
 ファミリーネームは、ソナタの父、ラデン国王から賜ったものであり、ソナタの祖父の名だった。本当の名前では無いということは、あえて言わず、ティムはただ笑みを返した。初対面の男性に、なぜか口が滑る。何故だろうと自分で考えるが、答えは出ない。



「―――そういう話をしていたから、そのすぐ後に兄さんが現れたとき、僕、驚いちゃって」
「それはそうだろう。してやられたな!」
 ティムの話に、ドゥーノが笑っていた。
 自分の弟が、村の入り口で見知らぬ男性と喋っているのを見て、ルースは驚き、次の瞬間には焦った。あれは誰だ、近づいても大丈夫なのか。体全体で警戒した。
 そして、ルースはドゥーノをよく見る。
「―――なっ」
 とっさに額を押さえた。驚きと、苛立ちと、焦り。一瞬後には、地面を蹴っていた。
「ティム、その人は?」
 肩で息をしながら、感情を押し殺し、ルースはティムの腕を引っ張りあげる。つられて立ちながら、ティムは明るく返した。
「この人はドゥーノさん。ダリスさんに用があってきたんだって。ちょっと長話ししちゃったかな」
 そう笑顔で話す弟に、ルースはかろうじて笑顔を返す。
「そうか、それなら、ダリスさん呼んでこい」
「分かった」
 内心、なんで早く呼ばないんだ、と怒られることも覚悟していたティムだったが、それだけですんだため、さらに何か言われる前にその場から立ち去る。
 その様子を見て、分かっているなら最初からちゃんとしろ、とルースは毒づいた。
「あなたは?」
「私はドゥーノ。年に一度この村に来て、暮らしの研究をしている。昔の暮らしが、ここは今でも残っているからね」
 そう笑って言うドゥーノの顔を、ルースは黙って見つめていた。ドゥーノは、ルースから返事の来ないことに苦笑し、ティムの走り去った方向を見る。
「あの子は、幼い頃の記憶が飛んでいるらしいね」
「はじめまして、ドゥーノさん。俺はあいつの兄、ルースです。何か失礼なことはありませんでしたか」
 ドゥーノの言葉を無視し、ルースは見上げつつ形式的に言った。警戒されていることに気がつき、ドゥーノは再び苦笑する。
「それはどうも。綺麗な金髪だね」
 その言葉に、ルースは怯んだ。表情を歪ませて、ドゥーノを睨むように見上げる。気にせず、ドゥーノは言葉を続けた。
「―――『まるでお星様みたいだ』」
 笑い混じりのドゥーノの言葉に、とうとうルースは押し黙った。目を閉じ、何も言わない。
「君は自分の過去を持っているのかい?」
 静かな、とても静かな問いだった。
 こめられた圧力に、返事をしないわけにはいかない。
「俺は……」
 搾り出すようにつむがれた言葉は、体全体が口にすることを拒否するかのような様子だった。
「俺は……」
「持っているんだね」
 ルースの頭は、動かなかった。
 苦しそうに、顔を歪ませる。けれど、それが答えだった。
「いつからだい」
「何でそんなことを聞くんだ」
「さあ、ただの好奇心だよ。兄弟揃って子どもの頃の記憶がないのは、とても興味深い」
「……ウィルって言う女の子に会った日だ。黒髪の女の子」
 それを聞いて、ドゥーノはへえ、と呟いた。
「黒髪の? 近頃はたくさんいるのかい?」
 ラークワーナでの田舎暮らしで、街へは滅多に行かないものでね、とドゥーノは笑った。
「知り合いには何人かいるけど……」
 ルースの言葉は歯切れが悪い。
「何度見ても、『黒髪』がありえない気がするのは、変わらない」
「そうか」
 短い沈黙ができ、それで、とドゥーノは呟いた。
「君たち兄弟の出身は、どこなんだい?」
 その問いに対して、ルースは誤魔化すように、ドゥーノから顔をそらした。



「兄さん、ダリスさん呼んだよ」
 そう言って、ティムは再び戻ってきた。後ろのほうから、ダリスがウィルと並んでゆっくりと歩いてくる。
「久しぶりだな」
「ああ、久しぶり」
 そう挨拶を交わし、「こっちへ」とダリスはドゥーノを案内する。村の入り口から、奥の村長の家へ。その時にも、ドゥーノとティムの会話はやまない。
「そういえば、ドゥーノさんいくつ?」
「三十五くらいかな。若く見えるかい? ティム君は?」
「ははっ。僕は十四です」
 家に近づいた時、先頭を歩くダリスが、振り返った。
「ティムには見送りを頼みたい。家の外で待っていてくれないか。すぐに終わるから」
「はい。わかりました」
 ダリスの家に入る際、ドゥーノはウィルをちらりと見た。目のあったウィルは、あまりに一瞬だったため、きょとんとしたまま見返すしかなかった。
「そういえば、ドゥーノさんって……」
「年に一度『村』に、ラークワーナから来るらしい。なんか、『村』の暮らしを研究してるとか」
「ラークワーナ」
 これまで黙っていたウィルが復唱する。普段は静かだが、彼女は知らない言葉に敏感だ。ルースが頷く。
「大陸の西の国だ」
「遠い?」
 今度はティムが。
「大陸の中心は聖域だから立ち入り禁止だ。南国マーリンを通ってくるにしても、船で来るにしても、何日もかかる」
 あれ、とティムは首をかしげる。
「北国シエスタからまわってくることはないの?」
「ラークワーナとシエスタはお国柄なのかどうなのか、よく知らないが仲が悪い。五国が成立してから、過去に戦争があったって聞いたことはないけどな。それにシエスタとラークワーナ間の山は高い。岩がゴロゴロしてるから、馬車も使えない。どっちにしろ、時間はかかる」
 へえ、とティムは呟いた。その横で、さらにウィルが訊ねる。
「そんな何日もかけて……」
 大変じゃないの? と。
「でもさ、そしたら来年もあの人来るよね!」
 身を乗り出してそう呟くティムを見、ルースは不思議そうな顔をする。
「……気に入ってるな」
「うん。僕、ドゥーノさんのこと好きだよ」
「……そっか」
 ルースはそう呟いて腰を下ろした。ティムは『嫌いじゃない』とはよく言うが、『好きだ』とはっきり言うことは珍しい。ということは、相当だ。
 意味もなく、彼は空を仰いだ。
 少しして、ティムもウィルもルース同様に腰を下ろして話をしている頃、家の戸が開き、ダリスが顔を出す。
「ルース、お前の話も聞きたいって」
「は? 何で俺」
「その髪だろ。勘違いされてるんならちゃんと訂正しておけ」
 ルースはその説明を聞いて、どこか納得したような顔をした。ティムは、立ち上がるルースを見上げる。
「金髪だよ。シエスタ国人に間違われたんだろ」
「そっか」
 待ってるよ、とティムは言い、ヒラヒラと手を振った。あの懐きようからして、本当は自分もドゥーノと喋りたかったろうに、彼は何も言わない。
「ティム」
 ウィルに呼ばれ、ん? とティムは返事をする。
「あの人、何でそんなに……」
 そうして彼女は口ごもった。どう表現していいのかわからないのだろう。
「懐いているか、って話?」
 ティムの問に、ウィルは黙って頷いた。
「うーん、なんだろう。ほら、僕さ、両親いないだろ?」
 っていうか、覚えて無いんだけど。そうティムは笑う。
「ラデンのおじさん達は、なんていうのかな……世話の焼ける弟を見守る、兄。って感じ? それが、ドゥーノさんはちょっと違って」
 ふと、ティムは視線を逸らした。
「理想の……、思い描いてた、お父さん。みたいな……」
「ティムの両親は、死んじゃったの?」
 率直に問われ、ティムはウィルを見た。見返す瞳は、ただ単に質問した。と言った感じで、怯む様子も、バカにする様子も無い。そこでようやく、ティムは「そういえば、ウィルも自分のことわからないんだったっけ」と思い出した。
「どうだろう、考えたこともなかった。リシアさんに会った時は―――二年前だね―――まだどこかにいるって信じてたと思うけど。今は……」
 そう言って、笑った。
「多分、もう諦めてる」
 そっか、とウィルは呟いた。そして、ティムの頬へと自分の手を伸ばす。
「ウィル?」
 呼びかけにも答えずに、ティムの頬をつまんだ。
「いった!」
「それ、やめて」
 突然呟かれた堅い声に、え? とティムはウィルを見つめる。
「上手じゃない笑顔は、嫌い」
「え?」
 再度問われる言葉に、ウィルはティムの頬から手を離した。膝を抱えて、ぷい、とティムから顔をそらす。
「ウィル?」
 どうして返していいかわからないティムは、困ったように頭をかいた。それでも、ウィルは立ち去ろうとはしなかったから、ティムは怒ってるわけじゃないんだな、と結論付ける。
「ウィル」
 少ししてから名前を呼ぶと、何? と小さく返ってきた。
 返事が来たことにほっとして、ティムは続ける。
「僕の笑顔、下手かな」
「私は好きじゃない」
 間髪入れずに帰ってくる返事に、続けて質問するのをためらってしまう。
「そんなつもりじゃ、無いんだけどな」
「わだかまりがあるように見える」
 言われて、ティムは苦笑した。わだかまり、そう言われて、思い当たるのはひとつしかない。
「小さい頃の記憶かな。ラデンに来る前の記憶。七歳か六歳の頃だし、覚えてないのも普通なんだろうけどさ」
 言い訳のようなティムの言葉に、ウィルは返事をしなかった。
 村長の家の、近くのテントから。ラリスが顔を出す。ティムの姿を見つけて、ラリスは一瞬固まった。ティムが首をかしげると、その視線から逃れるように、走り去る。
 不思議に思ったのか、他にも何かあったのか。そのことは、ティムの中で強く印象に残った。

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