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■神様の歌■第二章■第三話■

■3■
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 ああ。
 心の中で、何かの予感を、ティムは感じた。
 どこか切なく、泣き出したくなるような衝動。


 ―――喪失の予感を。



「ティム? どうかしたの」
 ソナタの声に、ハッとしてティムはソナタを見る。
「ごめんソナタ。やっぱりいいや」
「え? あたしが習ってること知りたいってあんたが言い出したんじゃない」
「そうなんだけどさ。えっと、ごめん」
 本当に申し訳なさそうにするので、ソナタは別に良いわよ、と肩をすくめる。
「本当にごめん。また今度頼むよ」
 そう言って、ティムは駆け出した。ソナタが止める間もなく、村の外へと。

 朗らかな空気漂う昼下がり。
 ただ一心に、ティムは走る、整備されていない道に、一度は躓き、地面へ転がり、泥だらけになりながら。歩みは止めなかった。
 彼は山道を突き進む。むき出しの地面に、できる限り足を食い込ませて。
 以前ラリスと共にきた山、開けた場所へと駆け込んだ。あの時示された空を、見る。
「あぁ」
 一筋の黒い線に、短い声を漏らしてその場に座り込んだ。
「あれが、黒煙か」
 苦々しげに呟いて、空を仰ぐ。
 叫びたかった。こんなの僕は知らない。と、泣きたかった。同時に、何故、と心が呟く。
 どうして、ティムはここまで心をかき乱されているのか、と。
 彼の存在は、どうしてそこまで膨らんだのだ、と。
 別の人だという考えは浮かばなかった。そしてそれが間違っていないのだと確信があった。
 ティムの表情が、泣きそうに歪む。


 ドゥーノが、死んだ。


 村に戻ったとたん、顔を合わしたくなかった人物と鉢合わせた。
「あ、ティムー。ウィルを見なかった?」
 ラリスに声をかけられて、ティムは思わず顔を逸らす。
「ティム? どう、し たの  ―――」
 呟く端から、ラリスの顔が凍りついていった。ティムはラリスに向き直り、ああ、自分もこんな顔をしているんだ、と自嘲する。目の前のこの表情は、鏡なのだ、と。
「―――っ」
 ラリスの顔は真っ青になり、ティムの腕をつかんで村の外へと走り出す。「ラリス!」というダリスの呼び声も無視して、山へ向かった。
 ティムは必死で名前を呼んだ。
「ラリス、ラリスっ」
 無我夢中で走るラリスの顔は蒼白で、ティムは少しでも落ち着かせようと、その名を叫ぶ。
「ラリっ」

 泣きそうに歪んだ横顔が、誰かの顔と重なった。

「―――?」
 混乱した頭は、更なる思考を許さない。ラリスに腕をつかまれたまま、ティムはついさっきいた山の場所へと連れられた。
「あの」
 手を放されたティムは、よろよろと座り込むラリスへ、戸惑いがちに話しかける。
 遠くの空に、黒い線。
 遠い国の空、高く上れば風にかき消され、見えるはず無いのに。その黒い線はティムとラリスのためだけに、高く上っているようで。
「ラリス?」
 その肩は、震えていた。ラリスの横に、膝を突くと、ラリスはティムの服を握る。
「ドゥーノ?」
 小さな声で、呟いた。
「あの、えっと……ラリス―――」
 ティムが声をかけたとたん、ラリスは泣き出した。堰を切ったように大声を上げ、ティムにしがみつく。
「うわあああああああん!」
 その泣いている姿は、子どものソレでもなく、少年のソレでもなかった。
 ティムは、今まで気になっていた答えにたどり着き、息を吐く。ラリスの細い肩に手をまわし、しっかりと抱きしめた。
 強くすれば壊れそうで、透けて消えてしまいそうなその肩を。胸の奥にある切ない気持ちと一緒に、ただ抱きしめた。


「ラリス。泣かないで」
 ティムの声に、ラリスは次第に落ち着きを取り戻していく。
「もう平気?」
「……ごめん」
「泣くのは別にいいんだ。僕も、辛いし」
 ラリスはティムの方に目を押し付けたまま、動かなかった。ティムは子どもをあやすようにぽんぽんと背中を叩く。
「ううん。もう、泣かない」
 え? とティムがラリスの顔を見ようと、その細い肩を掴んで離した。
「もう泣かない」
 顔を濡らしたまま、ラリスはティムを見上げる。そっか、とティムは小さく呟いて、その頭をまたなでた。
「無理は、しないでよね」
「……大丈夫」
 ラリスは笑っていたけれど。それでもやっぱり、悲しみは消えない。
 見ていられなくなって、ティムはラリスから顔をそらした。
「戻ろう。村に」
「うん」
 ラリスが素直にうなずいたのを確認して、ティムは立ち上がり座り込んだままのラリスに手を差し出す。ラリスは、迷い無くその手を取った。
「ティムは、優しいね」
「そう?」
 突然のラリスの言葉に、ティムは驚いて瞬く。
「うん、優しい」
 ラリスの笑顔はどこか温かくて、ティム自身つられてニコニコと笑った。
「ありがとう。でも、ラリスも優しいと思うけどな」
「そう?」
「うん」
 全く同じようなやり取りをして、ティムはまた笑った。
「ラリス」
「何?」
「君は、誰かに嘘をつく?」
 ティムの言葉に、ラリスはきょとんと目を丸くした。
「どうしたのさ、いきなり」
「……なんとなく。ねえ、どう?」
 歯切れの悪いティムの言葉に、ラリスは首をかしげながら答える。
「生きるためなら、つくけど」
 でも、とラリスは続けた。
「できることなら、つきたくないなぁ……」
「そっか……」
 やはり歯切れ悪く、ティムが黙り込んだことに、ラリスは首を傾げた。不思議に思いながら、けれどいちいち気にするほどのことでも無いと思い、何も言わない。

「だったら―――」
 あと少しで村と言う時に、ティムが口を開いた。え、とラリスはティムを振り返り、何の話だと一瞬だけ考える。すぐに先ほどの続きか、と聞く姿勢をとった。
「だったら?」
 促すように問い返すけれど、ティムはなかなかその先を言わない。眉をひそめて、どうしたの? と重ねて問う。
「あの、今からものすごく失礼なことを聞くけどさ、怒らないでくれる?」
「ボクはティムに怒ったりしないよ」
 クスクスと笑いながら、何? とラリスは聞いた。
「ラリスは、どうして――――――」
「ラリス!」
 言葉の途中で重なった声に、二人は村のほうを振り返る。村の入り口からダリスが歩いてきた。
「村人全員で『集会』を開く。『客人』は全員集めて外に出ないようにしてくれ。聞かれたくない」
 ぴく、とラリスが立ち止まった。数歩進んだティムが慌てて振り返る。
「……ラリス?」
 その顔は、蒼白だった。
「どうしたの? 『集会』って?」
 ラリスの異常に、ティムは慌てて駆け寄る。近寄ったダリスの手がティムの頭に乗った。
「悪いな」
 腰をかがめて、ダリスはラリスの顔を覗き込む。少しだけ意外そうな顔をして、呟いた。
「―――泣くかと思った」
「ドゥーノが死んだ」
 間髪いれずに呟いたラリスの言葉に、ダリスは眉をひそめる。
「だから、もう泣かない」
 そのダリスの脇を、ラリスはすり抜けるようにして通り、村へと入る。ティムはその様子にどうたら良いのかわからず、ただ立ち尽くしていた。
「ダリス、さん」
「……なんだ」
「ラリス、どうしたんですか?」
「……」
「教えてください。どうして、ラリスはあんな姿を?」
「気付いたのか」
「否定しないんですね」
「あいつが望んだことだ」
 ティムはわけがわからず眉をひそめた。
「またいつか、近いうちに説明してやる」
 ダリスはそれだけ言って、村とは反対の方向、町へ続く道のほうを見た。
「お帰り」
 かけられた言葉に、とぼとぼとイリアの後ろを歩いていたウィルは顔を上げた。ダリスを見て、その隣の漆黒に思わず一歩下がる。石に躓いてよろけた身体を、イリアが手を伸ばして受けた。
「ウィル? イリアと二人して、いったいどこに―――」
 ティムは驚いて駆け寄ったが、ウィルはその場から動かない。様子がおかしいことに、すぐに気が付いたティムは、ウィルを見つめた。
「どうしたの……?」

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