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■神様の歌■第二章■第三話■

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 ソナタと分かれたティムが、村の外へと駆け出し、山に向かったのを見て、ウィルも村の外へ出た。ティムを追ったわけではない。彼女には、彼女なりの理由が存在した。
 村を出てすぐのところに立っていた、赤い髪の青年を見上げる。イリアは困ったように問いかけた。
「いいのか? 勝手に出てきて」
「良いかどうかわからない。だから」
 内緒なの。と、ウィルはイリアを見上げた。
 村の近くまでやってきたイリアは、ウィルの格好を見て息を吐く。
「そんな格好で、山道を歩けるのか?」
「歩くの」
 歩ける、では無い。そういうように、膝丈のスカートを身に纏っているウィルは、ただこっくりとうなずいた。イリアは息を吐き、歩き始める。その後を、ウィルが付いていった。
「ダリスさんに怒られても、俺は知らないからな」
「わかってる。迷惑はかけない。でも、どうしても行ってみたかった」
 数日前、宣言どおり『街』との橋渡しを定期的にやってきていたイリアは、ウィルからひとつの『お願い事』をされた。必死な瞳で、『お願い』と、言われれば、さすがのイリアもすぐには断れず、結局無言の圧力に押し切られてしまったのだった。
「理由は? 俺、それを聞いてない」
 ウィルのお願い事、それは、島の北に位置する、ホーリー王国跡に行くことだった。
「わからない。ただ、そういう場所があると聞いて、叫び出したくなるような衝動に駆られた。今すぐそこに行きたかった」
 ポツリ呟くウィルは、やはりどこか感情の起伏に乏しい。変わらないものか、とイリアは息を吐き、ウィルはソレに気が付いて首をかしげた。



 遺跡に着いたのは、昼と夕暮れの中頃だった。村では今頃、村人が全員揃って一休みをしている頃だろう。そう思いながら、イリアは遺跡に足を踏み入れる。けれど、ウィルはその場から動かない。
 何故か、目を見張って景色を眺め、門からこちらへは一歩も進もうとしなかった。
「お前が来たいっていったんだろう」
 そんなイリアの言葉にも、彼女は耳を貸さない。
「イリア」
 か細い声で、彼女は呟いた。
「右手の奥に、酒場はある?」
「は?」
 ウィルの手は震えていた。自分の胸に抱いて、その場から動こうとしない。何かを恐れるように、繰り返し呟いた。
「右手の奥に、酒場はある?」
「……いいや、見たところ無い。まだ奥があるようだが―――」
「見てきて」
 不思議に思いながら、イリアは右へ歩いていく。奥へと進み、突き当たりにある店のような名残を見て、目を疑った。
「ウィル」
 ぴくり、と、彼女の方が震える。
「あったぞ、多分、当時の酒場だ」
「……」
「何で知ってた? ここに来たことがあるのか?」
 その問いには、即座に首を振った。
「でも、私」
 口元を押さえる。
「この街を知ってる……?」
 呟きながら、ウィルは視線を上げた。崩れた城のを目にして、心臓がつぶれるような思いをした。
「ホーリー王国というのは、いったいいつ滅びたの?」
「さあな。少なくとも、神の時代だ。セイカ様が生まれ育った国で、ラデン王国の初代国王ソナタが滅ぼした国」
 その言葉に、ウィルは瞬いた。
「セイカというのは、人なの? 初代国王ソナタも? そう言えば、『村』の人はその末裔だって……」
「まさか、神だよ。この遺跡は、まだ神が地上を歩いていた頃のものだ」
 何で知らないんだ? と、イリアはウィルへ呟く。
「わからない。知らない事だらけなの」
「まさかお前、過去からきたんだったりしてな」
 そう、彼は笑ったが、ウィルの顔からは血の気が引いた。
「嘘っ!」
「冗談だっつの」
 イリアのなだめるような口調に、ウィルは息を吐く。
「落ち着けよ。それで? もう、ここには用はないのか?」
 その問いに、ウィルは小さく首を振った。視線を巡らせて、迷うように足を一歩踏み出す。二歩、三歩。突然驚いたように立ち止まり、イリアを見上げた。
「どうした?」
「……」
 答えず、素早く首をふる。ウィルの表情は泣きそうで、足を再び動かし始めた。どこに行くか分からないウィルの後を、イリアは見失なうことなく追う。
 突然どうしたのだろう、と、イリアは思い、息を吐く。今は何も聴かずについていくことに決めた。突き進むウィルは、ただ狼狽していた。
 あちこち欠けている、ラデンのものとはまた違った石畳は、何故だか足にすんなりと馴染んだ。崩れた町並みに違和感は持っても、進めば進むほどこの街を自分は知っていると核心が強まるばかりだった。
 この道を歩いたことがあるような気がした。どこに向かっているのかはさっぱり分からなかったが、それでも足は勝手に動いた。



 ウィルの足が止まり、イリアも足を止める。ウィルの見上げている建物をイリアも見た。
「でかい家だな」
 豪邸というほどではなかったが、それなりに大きな屋敷だった。
 王国の家々の建築様式は統一されていたが、目の前の屋敷を中心にした一帯は色や材質、扉や窓枠のデザインまで統一されている。
 三階建てほどの屋敷は、中心の一軒だけだったが。
 ―――尤も、そのほとんどは崩れているが。
「ウィル、ここには何がある」
「わからない」
 ポツリとウィルは呟いた。視線を動かし、一点で止める。イリアはその視線を追い、その先にあるものを見た。
 そこにあったのは、屋敷の敷地内、母屋から少し離れた二階建ての小屋だった。
「あそこか?」
 答える前に、ウィルはその小屋へと歩き出した。イリアはその後を追う。
「何がある」
「わからない」
「思い出したことはあるか?」
「何もない」
 本来、記憶を取り戻すつもりなどなかった。行きたいと強く願い、そしてきて、見て、それで終わるはずだった。予定外の自体に、ほかならぬウィルが困惑していた。
 ウィルは小屋の扉へと手を伸ばす。石造りの家々が、あちこち崩れているのだから、この木造の小屋が残っているのは酷く違和感があった。
「何故だ?」
 イリアは眉を寄せ、その小屋を見る。
「……開かない」
 ウィルの呟きに、イリアは違和感の正体に気付いた。小屋は、新築のように綺麗だったのだ。
「それ、開け方が違うんだ」
 そう言って、口だけで開け方を説明する。開け方は判明しているものの、作り方は解明されていない古代の仕掛けだった。
 扉が開かれた瞬間、遠くで何か堅いものが折れたような音が響いた。ウィルとイリアは顔を見合わせて、小屋の中に入る。
「綺麗な小屋だな。神代に作られたものだとは思えない。誰かがここにやってきて、立て直したか……」
 呟くイリアの手を取り、ウィルは二階へ駆け出した。
「ウィル?」
「イリア、どうして私、何も覚えてないの?」
 唐突に呟かれたその言葉に、イリアは黙り込む。
「どうして私、ここにいるの?」
「ウィル、落ち着け」
「私、本当に……?」
「さっきのは冗談だ。そんなことがあるわけない」
「どうして、何も覚えてないの!」
 混乱したウィルは、力任せに部屋の扉を押し開く。その部屋の中を見て、イリアとウィルは固まった。
 部屋の中にいる、黒い人影。白い肌。暗い森の似合う女性。凍り付いてしまったかのような震える唇で、ウィルはかすれた声で叫んだ。
「―――リシアっ!」



「どうしてあなたがここにいるの」
 リシアに向かって、呆然とウィルが呟いた。
「あら、ここにいちゃいけない?」
 その声は恐ろしく冷たかった。白い顔に浮かべられた笑顔は、この上なくおぞましいもののように感じた。
「リシアさん、あんたは何でここに? あんたは、聖域と縁のある場所にしかいけないんじゃ―――」
 イリアの言葉に、ウィルは驚いて目を向けた。その視線を受けて、イリアはうなずく。
「そうなんだよ。リシアさんは行動を制限されてるんだ。何者かによって」
「よく知っているわね」
「リアが言っていた」
「あの夢持ちの子は、どうも油断ならないわね」
 そう呟いて、クスクスと笑った。
「リアに何かしてみろ―――」
 顔面蒼白で、イリアは呟くが、リシアは見向きもせずにウィルへと向き直る。
「ウィル、自分のこと知りたい?」
「っ」
 目を見開いてリシアのほうも振り向けずに、ウィルは固まった。
「記憶が無い理由なら、教えてあげられるわ」
 ウィルの肩が震えるのを見て、リシアは微笑む。
「私が消したの」
 その言葉に、ウィルは顔を上げた。どういうこと、と声も出せずに訴える。
「あなたが泣いて訴えるものだから。さすがの私も断れなかったのよ」
 淡々と呟いて、リシアはウィルとイリアに背を向けた。窓を開いて、王国の遺跡群を見渡す。
「私は言ったわ。『泣いて後悔するかも知れない』と。それにあなたはこう返した。『これ以上どう後悔しろというの。死にたいくらいなのに』とね」
 リシアは手を伸ばして、椅子の背もたれに触れる。そのままゆっくりと腰を下ろした。その横顔は、悲しそうだった。視線だけを動かして、ウィルを見る。驚き、狼狽している彼女の顔を見て、微笑んだ。
「さらにこう続けたわ。『それでも死なないのは、あの子に申し訳ないからなのに。記憶をなくしてくれないなら―――

 ―――殺して頂戴!』」

 目を見開いて魔女が吼えた。その声音に、ウィルは自らの肩を抱く。半歩下がった体を、イリアが受け止めた。
「私にあなたは殺せない。だから、願いを聞き入れたの」
「―――私、何をしたの?」
 リシアは答えない。
「記憶の向こうで、私はいったい何をしたの!」

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