*

■神様の歌■第二章■第四話■

■1■
BACK TOP NEXT 

「なにが?」
 その声は強ばっていた。ティムは戸惑い、思わずイリアを見上げるが、彼は首をふるだけだ。
「ウィル?」
 そっとティムは彼女の髪に触れ、その頬に触れた。怯えるようにウィルは身を硬くし、身体を縮こめる。そんな彼女を励ますように、イリアはウィルを、ティムのほうへと押しやった。
「本当にどうしたの? イリア、村の外にいる間、いったいウィルに何があったの?」
 感情を余り表に出さない少女だけに、この怯えようは異常だった。 ティムはただひたすらに、自分と同じ色を持った少女を心配する。
「俺からは―――なんとも。ただ、ウィルに話させるのも酷だな」
「……たしは、……」
 ウィルが口を開いた、イリアとティムは黙ってウィルを見る。
「私は、大丈夫。なんでもないの」
 そう呟くウィルに、ティムは小さく首を振る。ウィルが少しうろたえた。
「なんで」
「だってウィル……」
 ティムは痛ましいものを見るような顔だった。切なそうに、ウィルを見ている。
「泣きそうな顔してる」
 ぴくりと、ウィルが震える。ティムは、硬く握られた彼女の手を取った。
「ウィル? そんなに泣きそうな顔をしているのに―――」
 続く言葉を予感して、ウィルがきつく目を閉じた。
 はっきりと何を言われるかわかったわけではない。けれど、ウィルには予感がした。言われれば、張りつめた何かが切れてしまう予感を。
「どうして―――」
 さらにウィルは目元に力をこめる。

「どうして、泣かないの?」

 熱い何かが、ウィルの目から零れた。
 それは後から後から溢れて、ウィルの視界を覆っていく。ティムは一瞬だけ戸惑った後、イリアを見上げた。
 ティムの視線から逃れるように、イリアは顔を背ける。
「何かあったのか、今は言えない。でも、いつか―――」
「うん。わかった」
 ティムの返事は、早かった。まるで、本当のことを言われないことに、慣れているように。
「僕は待つよ、本当のこと言ってくれる時まで」
 ティムは穏やかに笑った。優しく、裏などひとつもなく。
 イリアはひとつ息を吐く。ティムの綺麗なままの心に対して、僅かに羨望の意を滲ませて、目を細めた。
「ティム……」
 小さな声に、ティムはウィルを振り返った。
「ウィル? 大丈夫?」
「分、からない―――。後から後、から……溢れ、て。止まら、まらなくて……」
 嗚咽交じりに、ウィルは呟いた。
「何? 泣く? これが……」
「そうだよ。ウィルは今、『泣いてる』」
「そう……。ない、たの、……は、初めて……」
 そんなことはありえない。赤ん坊と言うのは泣くのが仕事なわけだし、ウィルだって例外ではないはずだ。けれど、何も覚えてない、過去のない彼女は――――――。
 何も言わずに、ティムはウィルに微笑みかけた。背中を流れる黒髪に手を添えて、梳くように動かす。
 ボロボロと涙をこぼしながら、きょとんとした顔でウィルはその丸い双眸をティムへ向けた。
「村に戻ろうか」
 うん、とウィルは首を縦に動かした。その様子がなんだかおかしくて、ティムはまた笑った。
「テントに入ったら、出るなよ。『村』は今から集会をする」
 はい、とティムはうなずいて、ウィルの手を引き村へと入った。その様子を、ダリスとイリアはしばらく眺める。
「『集会』があるなら、俺は帰ったほうが良いな」
「ああ。悪いな」
「気にするなよ。ウィルを連れ出したこと、チャラにしてくれると助かる」
「そうか」
 ダリスはひとつ笑って、
「これだけ答えろ。どこに行っていた?」
「……北の遺跡群だよ」
「ホーリー王国……」
 そうか、とダリスは呟いた。
「ウィルが、遺跡に行ったのか」
「……どうせ、あんたは何か知っているんだろう」
「ウィルのことか?」
「他のこともだ」
「そりゃ、『村』の長だからな。知らないわけには行かない」
 言って、ダリスはイリアに背を向けた。村へと戻る。
 その後姿を眺めながら、イリアはほんの少しだけ表情を歪めた。苦々しげに、吐きすてる。
「……人でなしめ」
 夕焼けは、心臓をわしづかみにするような赤だった。



 ティムとウィルがテントの中に戻ったとき、ルースとソナタ、それからラリスが揃っていた。
「あれ、ラリスは『集会』いかないの? 『村人』全員が参加するって聞いたけど」
 ソナタが首を傾げて問いかけると、ラリスは苦笑して手をパタパタと振った。
「ボクは、先に内容知ったから」
 そう、とソナタはうなずく。ちらりとウィルのほうを見やって、少し考え込んでから、ウィルのそばに寄った。
「ウィル」
「何?」
「何かあったの?」
 ひゅッ、とウィルの息を呑む音がした。硬い声で、問い返す。
「どうして?」
「なんとなく。……ごめんなさい、気にしないで」
 そう言いつつ、ソナタはウィルの頭をなでた。きょとんと首をかしげるウィルを見て、ソナタは微笑む。
「うん、なんでもないわ」
 そう言って、ウィルの見えないところで息を吐く。ソナタにだって気が付いていた。ウィルとラリス、それからティムの三人に、どこか元気がないことに。
「何かあったのかしら?」
 ソナタは息を吐きながらルースに向かって呟いた。ルースは何も答えない。
「ダリスさんが、夜ご飯って言ってさっきパンをくれたんだけど……」
 沈んだ空気の中で、ソナタは籠を指し示した。
「みんな、食欲……」
 なさそうよね、と続けようとして、ソナタは口をつぐんだ。後ろのほうから伸びたルースの手が、むんずとパンを掴む。
「食っとけよ」
 言われて、ソナタはコクリとうなずいた。他の三人に声をかけようとするが、ルースに先を越される。
「お前ら、食わないなら寝ておけ。ごろごろしてれば自然に眠れる」



 暗闇の中で、ルースは目を覚ました。
 ゆっくりと身を起こし、周りを見渡す。両隣にはティムとラリス、ラリスの傍にウィルがいて、ウィルの傍にソナタがいた。奥の寝台には誰もいない。
 息を吐いて、もう一度寝ようと体制を変えたとき、遠くから子どもの声がした。ルースは眉をしかめ、外に出ようと立ち上がる。
「なんだ、この声は……」
 よくよく耳を澄ませば、ソレは泣き声だった。
 大勢の、子どもの泣き声だった。
 テントから出てすぐの広場、真夜中近くだと言うのにもかかわらず大勢の大人たちが広場を横切っていた。ちょうど『集会』が終わったのだろう。
 大人の中からダリスを見つけ、ルースは駆け寄った。
「この騒ぎはなんだ」
「ルース、起きていたのか」
 ダリスは「子どもが夜更かしをするなよ」と少しだけ眉をしかめ、
「今さっき終わったんだよ『集会』がな」
 ルースの問いに答えた。
「……誰か、死んだのか?」
「いいや」
 ダリスの歯切れは悪かった。
「……あいつが、関係していることか?」
「もう寝ろ、ルース」
「答えてくれ!」
 ルースはダリスの服を掴んだ。ダリスを見上げて、眉間にしわを寄せる。
「教えてくれ……」
 ダリスは無言でルースの手を振り解き、引っ立てるようにテントへと向かわせた。
「明日、朝早くに起こすから、しっかり寝ておけよ」
 ルースは返事をしなかった。テントの中で、歯を食いしばり目を閉じた。

 ―――それさえ教えてくれれば、あとは何も要らないのに。

BACK TOP NEXT