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■神様の歌■第三章■第一話■

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 森の奥の、ひとつの小屋。そこから聞こえる声。
「はじまって、しまったわ」
 神秘的な声。大気を震わせ魔力の帯びる、優しい言葉。その声の主の表情は、悲しげに歪んでいる。
 赤い瞳を濡らして、予言者リアは顔を上げた。
「もう、止まらない」
「そうね」
 そんな声に、魔女は変わらぬ声で答える。
 小屋の中、椅子に座り、ぎゅっと拳を握って、リアはリシアと対峙していた。魔女は、リアの机をはさんだ向かいで、優雅にカップを手にしている。
 さらに表情を歪めて、リアは呟いた。
「夢が止まらないの、リシア。あの子達の夢が止まらない。悲しい夢が、どうしても止まらない」
 ぽろぽろとこぼれる涙が、リアの手の甲に落ちていく。リシアはふ、と息を吐いて、カップを机に置いた。
「けれど、いくつか不確定要素があるでしょう」
 リアはゆっくりと顔を上げる。肩から、赤い髪の先がいくつかこぼれた。
「でも、それは―――」
「本当に幸せな結末なんてものがあると思うの?」
 厳しい物言いに、リアは口を閉ざした。
「でも、誰かを犠牲にしなければありえない幸せに、意味があるとは思えないの」
「御綺麗な理屈ね、人の子の癖して。そんなに綺麗事がお好きなのかしら? 類まれなる力を持つ、夢見の予言者様は」
 無表情でつむがれる言葉、漆黒の主は、静かに席を立った。リアは視線でその姿を追う。
「簡単なことじゃない。全てを知ってる貴方が、最も必要の無い人間を犠牲にして、仮初の『幸せ』を作ればいいことだわ」
 漆黒と、赤の視線が絡まった。
 魔女は予言者が硬直したのを見て、意地悪く微笑む。
 静かに席を立ち、魔女は小屋を出て森の奥へと歩き出した。
 低く、呟く。
「偽りは一つも言ってないわ」
 残されたリアはその言葉を聴くこと無く、小屋の中、一人手の甲で涙を拭いた。

***

 村の入り口付近で、ソナタはルースの横に立ち、村の中を見つめていた。
 息を吐いて、頭上を仰ぐ。
 子ども達がたくさん泣いていた。
 その中心で、ラリスが困ったように一人ずつあやしている。
「どうして行っちゃうの! ずっとずっとここにいてよ、目の前から消えていなくなったりしないでよ!」
 比較的年長の子さえ、喚いてラリスに縋りつく。
「今回は、すぐに帰ってくるからさ。帰ってこれるから」
 そうやってあやすラリスの姿を見ながら、ソナタはため息をついた。
「まるで今生の別れみたいなお別れ会ね。あんたたち、一年か半年で帰ってくるんでしょう?」
「ああ、その辺はシエスタ王家しだいだって言われた。気分屋な国王らしいからな」
 それはそれで迷惑な話ね。ソナタはそうため息をついて、
「ラデンは今頃どうなってるのかしら」
 小さく呟いた。
「悪いな、ラデンにはよれない。国中の人間が俺のことを知ってるから」
「わかってるわよ。『村』の人たちがたまに情報仕入れてくれてるし、気にしない。伯父様がとうとう実権を握ってしまっても、ハーヴィーとラッセルが、女王制継続派としてがんばってくれてるらしくて。このままここでじっとしているつもりはないけど、今は我慢する」
 そうか、とルースはうなずいた。ソナタとルースはしばらく黙っていたが、ソナタは再び口を開いた。
「ルース」
「なんだ?」
「風邪、引かないようにね」
「ああ」
「ラリスと、仲良くね」
「ああ」
「怪我、しないでね」
「それは約束できないな」
「もう!」
 クスクスと、ソナタは笑った。
「無茶しないでね。私はここで待ってるから」
「待ってなくていい」
 うつむいていたソナタの顔が、上がった。驚いたように、ルースを見つめている。
 二の句がつげないソナタを見もせずに、ルースはもう一度言った。
「待ってなくていい、ソナタ」
「そ、っか」
 ルースの言葉の意を汲んで、ソナタは歯を噛み締める。そんな様子を見ながら、ルースは言った。
「……ありがとう。ごめんな」
 ルースはソナタの傍から離れ、子ども達の中心にいるラリスの元へと行く。ラリスに話しかけているルースの表情を見ながら、ソナタは小さく呟いた。
「そっか、やっぱり。でも、気がつかなかった」
 ずいぶん前から、ルースが誰かを想っていることは気付いていた。ことあるごとに、空を見上げて、やりきれなさそうに、悲しそうにしてたから。
 気付かなかったのは、その相手。
「そっか、気がつかなかった」
 繰り返して、納得した。息を吐いてうつむく。何も考えないようにと、目を閉じる。
「ビビ、どうかしたのか」
 後ろから声をかけられて、ソナタは慌てて振り返った。
「なんだ、イリアじゃない。どうかしたの?」
 驚いて損した。そういうようにソナタは胸をなでおろす。
「出発、今朝ってリアが言ったから」
「リアが? 今朝出発って、昨日決まったのよ? なんで―――」
 口にしてから気付いて、ソナタは口元を押さえた。
「それも、リアが夢を見たの?」
「ああ」
 驚きの正確さだった。脅威でさえあると思った。
「それで、ビビはどうしたんだよ」
「別に、ちょっと失恋」
 舌を出して、こともなげに言って見せると、イリアは眉を上げた。
「そっか、お子様でも恋はするよな」
 それがなんとなくバカにされているようで、ソナタは眉を寄せた。
「どうせ、お子様よ」
 むくれた瞬間、ぽんとソナタの頭にイリアの手が乗った。
「お前は王女だからさ、人より恋がしにくいかもしれないけど。それでも、誰かを好きになったって損は無いと思うぞ」
「……辛いのは、いやだわ」
 そうか、とイリアは苦笑した。人の気も知らないで。ソナタは息を吐いて顔をそらす。
「お前をふった男に言ってやれ」
「へ?」
「後悔するぞってな」
 イリアの言葉に、ソナタはクスクスと笑った。
「なあに、それ?」
「バカにするなよ。俺に審美眼は確かなものだ」
「しんびがん?」
 みるみるソナタの顔が赤く染まっていくのを、イリアは面白そうに眺めた。
「即位と同時に大陸一の美女として触れ回られるだろうな」
 何を言っているんだろうこの人は。ぐるぐると巡る思考に、ソナタは慌てて首を振った。
「冗談でしょ?」
 イリアは何も答えなかった。ソナタも何も言えず、最後に苦笑して視線をラリスたちへ移す。隣で、イリアが呟くのが聞こえた。
「二人とも、無事に帰ってくると良いな」

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