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■神様の歌■第三章■第二話■

■1■
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 物音に目を覚ます。ティムが帰ってきたのだと、頭の片隅でウィルは思った。
 ルースとラリスが村を出てから数日、ティムは村での仕事の後、いつもふらりといなくなる。そして、ウィルが眠りに落ちた頃に戻ってくるのだ。
 いつもは何も言わずにそのまま再び眠るのだが、今日はふと聞いてみたくなった。寝返りを打って、今まさに横になろうとするティムへと声をかける。
「こんな時間まで、いつも何をしているの」
 ティムは驚いたように振り返った。漆黒同士がかち合って、彼のほうが視線を逸らす。
「鍛えてるんだよ」
 呟いて、ウィルのほうを向いたまま、ばすんとティムは横になった。
「どうして?」
「負けたくないから」
 何に?
 短いティムの返答で、彼は会話を拒否している。ウィルはそう察しが着いたため、それ以上聞かない。それでもティムは続けた。
「いろんなものを、僕は守りたいから」
 例えば、誰なんだろう。ウィルはなんと無しにそう思った。その中に、自分はいるだろうか、と。思いついて、湧き上がったその感情に戸惑う。顔が熱いような気がして、さらに困惑した。
「ウィル?」
 闇の中、慌てるように顔を押さえているウィルに気が着いたのか、ティムは小さな声で囁いた。ウィルはぎゅっと目を閉じる。
 わからない。どうしてこんなにも逃げ出したくなるような感情が渦巻いているのか。
 不思議に思ったティムは、音もなくウィルに手を伸ばした。気配に気付き、内心でウィルは悲鳴を上げそうになる。
 頬に触れる直前、ティムの手がぴたりと止まった。
「ごめんね」
「え?」
 ティムの笑いを含んだ困ったような声に、ウィルは閉じた目を開く。
 すぐ傍にあったティムの手は、やはり音もなく引っ込んだ。
「女の人には、気安く触れたらダメなんだって。ダリスさんに言われた」
 恐らくそれは別の意味で言われた言葉なのだが、ティムもウィルもその意味を正しく受け取る知識がない。
 どういう意味だろう、とウィルは首をかしげていた。そんなことは知りもしないティムが、口を開く。
「ウィル、僕はさ……」
「何?」
 しばらく沈黙が続いた。ティムは少し笑って、なんでもない。と呟く。寝返りを打ち、ウィルに背を向けた。
「お休み」
 ウィルが話しかける間もなく、ティムは眠りに着いた。やっぱり、疲れていたのだとウィルはうなずく。
「お休みなさい。ティム」
 ウィルも呟いて横になった。

 ラリスがいなくなってから、ダリスはこの部屋で寝ない。ソナタも、寝てる間も惜しんで教養を積むとかで別に部屋が与えられていた。
 この場所は、二人だけでは広すぎる。ティムも、鍛錬をするようになってから村人と溶け込んでいるように見えた。
 私はこれからどうなるのだろうと、ウィルは身体を丸めて小さくなった。
 村人は、ティムよりもウィルを恐れているようだった。一度だけ、子どもから小石を目の前に転がされたこともある。
 ……どうして?
 その問いに答えてくれる人は、いない。


「お前さ、なんで鍛えてんの? ルースがここにいて、鍛えてた時は見向きもしなかったのに」
 村人に頼まれた仕事を一通り終えた夕方、ティムは一人で剣の鍛錬をしていた。イリアは、そんなティムを村にくるたびに眺めてから帰る。
 イリアが初めてその姿を見たとき、口にしたのは『何も知らないやつが一人で剣を振り回せるか』という皮肉だった。それに対し、ティムはイリアの見たことの無い、けれど確かな型で答えた。呆気に取られていたイリアに、ティムは身体を止めることなく、『剣の振り方ぐらい知ってる』と、こともなげに呟いたのだった。
「理由ができたから」
 一心に剣の型を繰り返し、時折それらを組み合わせる動きをしながら、ティムはいった。
「理由?」
 イリアが独り言のように眉を上げて復唱するが、ティムは答えない。本当に独り言と捕らえたようだった。
「守りたいモノがあるなら、強くならないといけない」
 何の感情もこもっていないソレに、イリアは黙ってティムを見た。
「誰の言葉かは覚えてない。でも、誰かが僕にそう言ったんだ」
「それは、いつの話だよ」
「さぁ」
 ティムはせせら笑うように口元を引き上げた。
「―――ティム?」
 ティムのそんな表情を見るのは初めてだった。イリアの中の彼は確かに純粋で、表裏なく、綺麗な少年だと思っていたのに。
 何が、ティムをそうさせるのだろうか。
「リアほどじゃないけど、僕も夢を見る」
 ティムがそう言ってもイリアは驚かない。ただ、ティムを見続けていた。
 やがて、ティムは動きを止める。イリアの方は見ないままだ。
「僕は丘に立っている。丘から下を見下ろしている。眼下一面が焦土と化している夢だ」
「焦土?」
 イリアは、そんな話は初めてだった。リアも見ていない夢を、どうしてティムが見るのだろう。リアの力を信じるが故の、受け入れがたさが、イリアの思考を邪魔する。
「そう。―――真っ黒の地面。蠢く人々は大群で、何があろうと一心に一つの場所を目指してる。とても異様な空気に満ちている、怖い夢だ。忘れた頃にやってくる、悪魔のような夢」
「引っかかるのか」
「うん。―――あぁ、そうだ。イリアには言ったっけ」
 訊かれて、イリアは首をかしげた。ティムは袖口で額の汗を拭き、イリアを振り返る。
「僕が見る、僕の『気になる夢』。全部『本当』なんだよ」
 イリアは何も言わない。
「僕の予感は全部当たる。ピンと来る時とこないときがあるんだけどさ、ピンと来た時は、怖いくらいによく当たる」
 だから、とティムは剣を握っていない方の拳を握り締めた。
「この夢が『本当』なら? 過去のことならいいけれど、未来のことなら? もしかして、近いうちに大きな戦が起きるかもしれない。気にしすぎかもしれない。今度こそはずれるかもしれない。それでも。それなら、僕は守りたいものを守らないといけない」
 コイツは誰だ。イリアは内心で叫んだ。
「大切なものを、亡くすのは嫌だから」
 目の前のこんな横顔を持つ少年を、イリアは知らなかった。剣を握り、宙を睨むその表情は、けしてあの穏やかなティムのものではない。
 お前は誰だ。そう叫びそうになったときだった。
「戦……?」
 物陰から声がして、イリアとティムは振り返る。
「戦って、なんのこと?」
「ウィル」
 ティムが振り返る、その表情は、いつものティムだった。
「戦って、剣を手にして戦うこと? ソナタの王位継承問題で、そんなことになるの?」
「安心しろよ、ウィル。この世界では世界誕生以来、一度も戦争なんてものは起きてないから」
 イリアがそうなだめると、ウィルの瞳が揺れた。
「今まで一度も無いってこと?」
 ウィルの声は、驚きに震えていた。
「それなら、どうして剣術が在るの? なんのために武器庫が在るの? 客船だって大砲が何門もある。軍が在るのはどうして? 物語に記されてる、『戦争』は、いったい何?」
 まくし立てられて、イリアは黙り込む。その横で、ティムも小さく本当だ、と呟いていた。
「物語なんざ、所詮空想だろう」
「私、知ってるもの」
 甲高くウィルの声が響いた。
「私、戦争って聴いて『え』が思い浮かぶの」
 わけが分からない、けれど、ウィルに限って嘘を言っているはずが無い。
「どうして『起こってない』のに、『言葉』があるの?」
 聴かれても、イリアは返事ができなかった。
「それはとても、おかしい。私でもわかるのに」
 どうして疑問を抱かないでいられるの? ウィルは重ねて問いかけた。
 ウィルは、過去を忘れている。けれど、彼女にとっての常識は覚えている。生きていく上での、当たり前の知識は。
 それが、イリアたちとウィルの間で、かみ合っていない。その事実が浮き彫りになったことに、イリアは全身に粟立つものを感じた。
 何が違うんだ。
 イリアやティムと、ウィルの間にあるものが分からない。
 ウィル自身も何か感じているらしい。意を決したように、口を開いた。
「一つ、聴いてもいい?」
 聴きたくない。そう呟きそうになるのを、こらえる。
「この世界に―――」
 イリアは感じた、ウィルが、決定的な何かを言おうとしていることを。
「―――雨は、ないの?」



 ティムは、どうしようかとその場に立ち竦んだままだった。
 先ほどウィルが呟いた単語を、ティムは知らない。
「アメ……?」
 イリアを仰ぎ見るが、イリア自身何も言えずにいるようだった。ウィルは恐ろしい何かを見つめているような表情のまま、動かない。
「アメって……、食べ物のことじゃなくて?」
 恐らく見当違いだろうと分かっていながら、その場の空気に耐え切れずティムは呟いた。目の前のウィルが、ぶんぶんと首を振る。
「雨、ないんでしょう。どうして? 私、ここにきて一年以上経つのに、雨の日を見てない」
 それはまるで、恐ろしいことだと言うように、ウィルは自分の肩を抱いていた。
「ここは、なんなの。どうして川の水は枯れないの」
 ウィルが小さく呟いて、下がると、イリアが突然立ち上がった。
「イリア」
 ティムの声も聞かずに、歩き出す。
「帰るの?」
 その背中を追ったティムの言葉に、イリアは片手を振って答えた。
 しばらくイリアの背中を見つめていると、ウィルがイリアのほうを見たまま呟く。
「ごめんなさい。さっきの話、聞いてた」
「さっきの話?」
「守りたい人の話、聞かせて」
 ティムの問いに答えずに、ウィルは続ける。
「貴方が剣を持つ理由。剣を捧げる人のこと」
 彼女の胸には一つの仮説があった。これは、それがあっているかの確認だ。どうしようもない、ばかげたやり取り。
 そんなウィルの問いに、ティムはしばらく黙ったままだった。
「そうだな」
 呟いて、微笑む。ウィルに、自分の予想が当たっているかもしれないという予感が湧き上がった。
「実は、もう手をすり抜けてしまってるんだ」
 ウィルは、固唾を呑んでティムの言葉を待つ。
「手を離してしまった。なのに、手を離してしまってから剣を振るのは、未練かな。次に会った時、けしてその手を離さないように。離さずに、守れるように」
 ティムが言葉を切っても、ウィルはやはり何も言わなかった。困ったようにティムが眉を下げるを見て、やっとウィルは口を開く。
「……ラリスのこと?」
 それが、ウィルの抱いた仮説。ティム自身から否定されることを願ってやまない、何か。
 この願いが、どこから来るものなのか。―――ウィルは知らない。
「ドゥーノさんが、死んでしまったのを知った日に」
 乾いた声でティムは言った。
「ラリス、泣いたんだ」
 ティムがその名を口にするたびに、ウィルのどこかがちくりと痛む。
「肩を震わせてさ、嗚咽をこらえて。それでも涙は止まらなくて。耐えられないくせに、強がって。『辛い』って目が叫んでるのに、同じ目で笑ってる。―――それを、見たとき」
 固唾を呑んで、ウィルはティムを見つめていた。続く言葉を聴きたくないと思いながら。身体の痛みは増していて、なのにどこが痛むのかも分からない。
「守ってあげたいと、思ったんだ」
 目の前の穏やかな笑みを見て、ウィルは泣きたい衝動に駆られた。
 何が嫌なのかわからない、なのに、心のうちでは嫌だと何度も叫んでいた。
 半ば諦めた気持ちで、ウィルは口を開く。
「ティムは……」
 一瞬だけ言い淀んで……。

「ラリスが好き?」

 ウィルの問いに、ティムは驚いたような顔をした。少しだけ考えてから、また、微笑む。
「好きだよ」

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