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■神様の歌■第三章■第二話■

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 残されたティムは、剣を手にしたままその場に座り込んでいた。
 問われるがままウィルの質問に答えると、ウィルは何も言わずにその場を去ってしまった。
「なにか、まずいこと言ったかな」
 首をかしげる。最初ほどではないが、やはりウィルの心情は少々掴みづらい。
 ティムは先ほどの会話を思い出しながら手の中の剣を見て、ぎゅっと握りなおした。
「消えない予感が、災厄とは限らないけど。―――兄さんも、ソナタも、ウィルも、ラリスも。みんな好きだから」
 何かあったら、絶対守る。だから、ティムは剣を手にする。

「ティムぅ?」
 幼い声がして、ティムは振り返る。村の子供が、大きな本を手にしてそこにいた。
 ティムは思ったままを口にする。
「なにしてるの?」
「ふふぅ。悪戯だよ」
 子供は楽しそうに笑っていた。本をティムに差し出す。
「村長が言ってたの」
 ダリスのことだろう。
「この本をね、客人に読まれさえしなければ、邪魔されることは無いんだ、って」
「本?」
 ティムは本に視線を落とす。だいぶ年季が入っている本の装丁は豪華で、この村の蔵書を一通り見たティムだったが、格段に貴重な物であろうことが見て取れた。
「村長は、ラリスを売ったの。だから、絶対許さない」
 子供特有の純粋さに溢れたその表情に、一対の目が爛々と輝いていた。
 恐怖が芽生えそうになることに、驚く。慌てて押さえ込んで、その言葉を繰り返し訊ねる。
「ダリスさんが、ラリスを、売った?」
 眉をひそめると、子供は真面目な顔でうなずく。
「だから、ちょっとくらい悪戯したって良いでしょ? みんな、ラリスのこと大好きだったのに。村長、勝手に神様に売ったんだもん」
 意味が分からなかった。ティムはどう返せばいいのか分からずに視線を逸らす。
「だからね、ティムぅ。この本を読んでね」
 にっこりと子供は笑い、本をティムに押し付けた。
「ダリスの邪魔をしても良いから」
 そういい残して駆けていく。取り残されたティムは、呆然と押し付けられた本に視線を落とした。
「……題名は、書いてない。か」
 興味を抱き、剣を傍らに置く。
 あぐらをかいた足に本を置き、開いた。

 数ページ読み進めて、手が止まる。

「何だ、これ」

 ようやくティムは、隠された世界の真実の一端を手にした。



 突然やってきたまま何も言わない来客を横目に見ながら、ソナタは本を読んでいた。
「それで? 何があったのよ、ウィル」
 見て取れるように落ち込むウィルは珍しく、どう扱って良いかもわからなかったけれど、とりあえずソナタはいつもどおりに話しかける。
「ティム、が…………」
 長い沈黙の末、ウィルの口は閉じてしまった。ソナタは苦笑して、本を閉じる。
「喧嘩でもしたの?」
「違う、けど」
 あちこちへ視線を逸らすウィルを見ながら、ソナタは微笑む。出会ったばかりの頃が嘘のようで、ウィルは可愛くなった。そう思って、手を伸ばし、黒髪ごと抱きしめた。
「ソナタ?」
「あんた、変わったわ」
 腕の中のウィルは、慌てたように、え? と呟く。
「出会ったばかりの頃とか、リシアさんのところから帰ってきたばかりの頃、あんたまるで人形だったもの」
「人形?」
「そう」
 まるで、『ドール』という彼女の称号そのもののように。
「でも、今。泣いたり悩んだりしてる。ラリスやティムみたいに笑うことは無いけど、微笑むことだってある。私は、それが嬉しい。―――って、え、嘘」
 突然泣きそうに歪んだウィルを見て、ソナタは慌てた。何かまずいことを言ってしまったのだろうかと思考する。
 しがみつく腕を離しながら、先ほどのウィルの言葉を思い出した。
「ティムと、―――ラリスがどうかしたの?」
「ち、がっ」
「そうなのね」
 ソナタが目を輝かせると、ウィルは顔をそらした。これではますます気になる。
 よりによって、ラリスとティムとウィルの三人だ。いったい何があったと言うのか。
「さっさと言っちゃえば良いじゃない。さもなきゃ、言うまで離さないんだから」
 ソナタの笑顔に、ウィルは肩を落とした。



 話を聴いて、まずソナタは驚きの声をあげた。
「ウィルったら、もしかしてティムのこと―――」
「?」
 その反応に、驚く。
「えーと」
「何?」
 自覚無いのかしら……。そう思い、言ってしまうべきか悩む。こういうのは、自分で気が着くべきだ。ソナタは息を吐いて、ウィルを見た。
「で、ティムが言ったのね? ラリスが好き。って」
「……」
「あー。ごめんごめん」
 思い切り傷ついた顔をするのだからたまらない。これで自覚がないというのはあまりにも―――。
 はた、と気が付く。
 ―――違うか、記憶が無いだけだわ。
 異性として『好き』という感情を。ウィルは知らない。もしくは、覚えていないのだ。幼かったため、そういった単語さえ知らないのかもしれない。
「―――初恋ってことになるのかしら」
 ポツリと呟くと、隣から「ハツコイ?」と返ってきて、苦笑する。
「大丈夫よ、ウィル」
「何……?」
「ティムは、ラリスと同じだけ、ウィルのことも好きだから」
 学校に通わなかったティムは、同年代の子供との交友経験が少ない。よって、人間関係のあれこれに少々疎い。……少々どころじゃないか。
 と言っても、ウィルに誤解され、泣かしてしまったのは、ティムの配慮のなさのせい。この際問答無用だ。次に会った時はひっぱたいてやろう。
 ラリスが好き? と聞いた後に、じゃあ、ウィルのことは? と聴けば、ティムは表情を変えずに「好きだよ」と言っただろうし。気づきなさいよばか。といってやりたい。
 そこまで考えて、ソナタは落ち着いた。落ち着いて、疑問を口にする。
「でも、守りたいと思ったのは何故かしらね……」
 あの子が人に執着するのは珍しいのよ。ソナタはそう呟いて、ウィルを覗きこんだ。
「ルースと違って、他人と仲良くするのは得意だったみたいだけど。私の相手をするとき以外は、図書館で本読むほうが好きな子だったから」
 同い年にもかかわらず、姉のような気持ちになってしまうのは何故だろう。ウィルには悪いけれど、ルースやソナタ以外の誰かを重要視してくれるのはとても嬉しい。もう十五なのだ、いつまでも三人一緒と言うわけには行かないから。
 けれど、それも最初はウィルのはずだった。
 はじめてみる『同じ色』に、親近感がわいただけかもしれなくても、確かにティムは、ラリスよりも先にウィルに執着した。
 ティムの中で、ラリスとウィル、どちらが重要視されているのかまでは、わからない。
「とにかく。元気を出しなさいよ、ウィル。ティムに恋愛感情なんて十年早いんだから」
 何故ラリスに執着するのか、その理由は分からないけれど。それをウィルに言うわけには行かない。
「安心しなさい」
 そういうと、ウィルは顔を上げてソナタを見た。小さく微笑む姿はとても貴重なもので、それを独占できているということにソナタは嬉しくて笑った。
「笑ってたほうが、あんたは可愛いわよ」
 言うと、きょとんとした顔が返ってくる。もったいないことをした、とソナタは苦笑した。
「なんでも―――」
 ない、と言おうとしたのに―――。
 家全体が震えたかのような音に、二人は身を震わせる。
「何? 誰か壁でも蹴ったの?」
 荒々しい足音がしたかと思うと、ソナタ達がいる部屋の前でぴたりと止まる。思わずウィルにしがみつくが、ウィルはじっと扉のほうを見つめていた。
 蹴破らん勢いで扉が開かれ、そこにいたのは―――
「ティム?」
 ソナタの声も聞こえていないのか、ティムは部屋中を見回した。
「ソナタ、ダリスさんを見てない?」
 その声は怒りを押し殺したように低く、別人のように見える。
「見てないわよ。奥の部屋にいるのかも」
「そう。ありがとう」
 そんなティムを見るのは初めてで、ソナタでさえも、どうしていいのかわからない。ただ、問われるままに答えることしかできなかった。
 すたすたと奥に行くティムの姿を眺めて、視界から消えたとき、大きく息を吐いた。
「なんだったのかしら」
「本を」
「え?」
 ポツリと呟いたウィルを見る。
「ティム、本を持ってた」
 壊れそうなくらい、強く掴んでた。そう呟くウィルを、さらに問い詰めようとソナタが口を開くと。
「どういうことですか!」
 ティムの、怒りが爆発した声が、響いた。

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