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■神様の歌■第三章■第二話■

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 息を吐くダリスを見上げたまま、ティムは本を床に投げつける。
「この本を、読んだのか」
 ダリスは、本を眺めて、呟いた。ティムは怒りを抑え、静かに言う。
「その本に書かれていることは、事実ですね」
「否定しても、信じないだろう。ああそうだよ、事実だ」
「なぜ、」
「王族は皆知ってる」
 その言葉に、え、とティムは止まった。
「ラデン、アリナーデ、マーリン、ラークワーナ、シエスタ。大陸五国の王族は全て知った上で、認めていることだ」
 カッと顔に熱が上るのを感じた。憤りに任せて壁に拳を打ち付ける。
「どうして全てを隠してるんですか。全て内密に処理しているとでも?」
 問いに、ダリスは答えない。
「それなら、この世界は―――」
 ティムの耳に、聞こえない歌が響いた。

 一人の少女と少年が
 支える世界が ありました

 大きな大陸二つの小島
 七つの国が ありました……。

「僕らは―――」
 後ろから足音がした。恐らくソナタとウィルのものだと思う。ダリスの表情が変わった。
 かまわずに、続ける。

「何人もの子供を犠牲にした上で、今を生きていることになる!」


 ダリスの舌打ちと―――、

 ウィルの、息を呑む音がした。



「ちょっとやだ。ティムったら、あんたらしくないわよ。いったい何があったの」
 その場を明るくしようと努めたソナタの声が、寂しく響く。
 その後ろにいたウィルは、ふと視線を落とした。床に投げつけられた本を見つける。
 何も言わずに、手を伸ばした。
「ウィル、よせっ」
 ダリスの制止も振り切って。ウィルは本を拾い、開いて、視線を這わせる。
「なに。これ……」



 遠い昔、不老長寿の一族の一人が、戦いを憂いた末に呟いた。
―――人などいなければ良いのではないか―――
 人によってもたらされた悲劇は数知れず、樹々は枯れ、川は濁っていくばかり。
―――このままでは我らとて危うい―――
 不老長寿という力の代わり、美しい場所でなければ長く生きられないという枷を持った我らは、と。
 けれど人と共存しつつあるのも事実だった。戦には何人もの同族が、愛する『人』のために、人間と連合軍を組んで戦っている。
 人を殺しつくすか、それとも自らが危険にもかかわらず、今までどおり沈黙を守るか。一族は二つに分かれた。
 一族の中で戦いにまで発展しそうになっていたときだった。
―――人質を取ったら良いじゃないの。世界に対して―――
 若い娘が、突然立ち上がったのだ。
 ただ一人中立を守り続け、一族同士の争いでさえ楽しそうに眺めていた娘が。
 困惑する一族を相手にもせず、娘は次々と手を打ち始める。
―――そうすれば、人も滅多なことはできないわ―――
 恐ろしいほど無邪気な笑みで。
 一人の男が、問いかける。世界を相手取るのに、どれほどの人質が必要なのだ、と。
―――奇跡の子供と、世界の息子を使うのよ―――
 娘の言葉に、一族中が騒然となった。
『百年に一度生まれる、奇跡の子供』
 空を割り、海を割り、全てに死を与えうる力を持つ二人。
『奇跡の子供と同じ日に生れ落ちる、世界の息子』
 一族と同じほどの生命力と再生力をその身に受けた、人とかけ離れた力を身に秘める、少年。
 この世のものとは思えぬほど美しい容姿をしている娘のその笑みは、酷く無邪気だった。
―――そして、信仰を世界に広める。神を前にすれば、人なんて驚くほど簡単に操れる―――
 そして娘は力を使う。一族にのみ与えられた、魔性の力を。


 そして世界の理ができた。

 一人の娘の力で世界が変わった。


 世界の息子へ力を送った。永遠に受け継がれる、決して抗いようの無い呪い。
 彼が死ねば、娘にわかる呪い。それを持って、娘が世界を滅ぼすという誓約。
―――人々がいけないのよ、世界をかえりみないから―――
『けれど、それではあんまりだ』
 世界をたてに、半ば脅すように娘は神と契約した。縋るような神の願いに、娘は満足そうに譲歩をする。

 万が一世界の息子が死にそうになる時、奇跡の子どもの片方を差し出せば、考えないことも無い。無邪気な笑みで、娘は言った。



 そして捧げられる片方には、『生贄』という名を与えた。



 理ができてから何千年過ぎただろうか。
 人々の多くは忘れ、一握りの覚えている人々は御伽噺だと嘲笑う。
 けれど理は生きていたのだ。
 理を告げられ、戦をやめ、奇跡の子供と世界の息子を監視するようになった各国の王達は、今も同じことを繰り返している。



「なんですか、これは」
「お前たちには関係のないことだ」
「じゃあ、何故隠していたんですか」
「関係ないからだと言っただろう」
 ウィルの手から本が落ちた。わからないとその目が言っている。どうしてティムが、そんなに怒っているのかが。
「何をそんなに怒っている」
 ダリスの言葉に、ハッとティムが息を呑む。
「あなたは知らないんですか?」
 何を、とダリスが聞く前に、ティムは言った。
「本とカバーの間に挟まれた、一枚の絵を―――」
 ダリスの目が見開かれ、「まさか」とその口が動く。
 振り返り、ウィルと目が合い、ウィルはその視線を受けて本のかバーを外そうと手を伸ばした。
「っ」
 ダリスが悲鳴を飲み込む。ウィルの手は止まったが、ダリスは諦めたかのように肩を落とした。大きく息を吸って、吐く。
「ウィルにこそ、関係のない話だ」
 その言葉に、ウィルは首をかしげて、止めていた手を動かす。
 カバーを外した瞬間、一枚の紙切れが床に舞った。
 黙って、ウィルは拾う。
 紙切れを覗き込んだとき、ウィルは不思議そうに首をかしげた。
 紙切れには、黒い髪に黒い瞳を持った、一人の女の人しか描かれていない。
 疑問に思ってティムを見ると、顔を逸らしたまま、短く呟かれる。
「裏」
 言われたとおり、裏を見る。文字が書いてあった。

『最初の生贄、優しき娘』
『百年に一度しか生まれぬ黒髪の娘。紛うこと無き、神の子供』

「……つまり、私は―――」

 黒髪、娘、百年に一度、誰もいない、神の、見たことの無い、記憶は。
 頭の中で、言葉のカケラが乱舞する。


「イケニエ、なの?」

 百年に一度。
 あぁ、だから、黒い瞳も黒い髪も、持つ人が少ないのか。
 変に納得してしまったのは、実感出来ていないからだった。

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