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■神様の歌■第三章■第三話■

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 国境を越え、街に入り、ほんの少しだけ散策した後、見つけた宿に入る直前のことだった。突然、ラリスがルースを引き止めた。
「ね、ルース。一つ聴いても良い?」
 黙って、ルースはラリスを振り返る。
「昨日の夜、どうして途中で小屋から出て行ったの」
「……」
 ラリスの言葉に、ルースは目を丸くした。
「起きていたのか?」
「物音で起きたんだよ」
 不機嫌にラリスは呟いた。
「すっごく怖かったんだよ? 知らない土地で、夜に一人きりにされてさ」
 その言葉に、ルースは視線を逸らす。ため息をついて、言い返した。
「悪かった。でも―――」
「よし。じゃ、今夜はずっとそばにいてよね」
「は?」
 ルースの言葉を遮って、ラリスは一転して上機嫌にルースの腕を掴み、歩き出した。
「まて、それは―――」
「決まりっ。何もいわずにボクをひとりにしたんだから、これくらいのわがままは聞いてよね」
「ラリスッ」
 ルースの抗議も虚しく、ラリスは宿の受付をとっとと済ませてしまう。呆れてルースは何も言えなかった。
「ラリス」
「何?」
 部屋を取ったことで満足したのか、やっとラリスはルースに向き直った。
「普通、男女は部屋を分けるものじゃないのか」
 呆れて呟くルースに、ラリスは笑顔を返す。
「普通はね。でも」
 ふ、とラリスの表情が消えた。
「一人でなんかじゃ眠れない。一人は、嫌い」
 ルースは眉をしかめた。何か言おうと口を開くが、諦めてラリスから部屋の鍵を奪う。
「あ」
「部屋に荷物を置いた後、食事をして、さっさと寝る。明日は馬か何か調達して、来た道を引き返す。何か言いたいことは?」
「その前に、シエスタに詳細を聞いたりしなくていいの? もしかしたら、通してくれるかもしれないじゃん」
「試してみるけど、多分無駄になる」
「そう?」
 ルースは肩をすくめて、部屋の前で立ち止まった。鍵を差し込み、扉を開ける。
 料金と相応の部屋かどうかを確認し、
「ま、こんなもんだな」
 寝台があるだけでいっぱいいっぱいの部屋を見て、ルースは呟いた。二つの寝台の間は、人一人が通れるほどの隙間しかない。天井の高さはルースが伸びをしても平気なほどだった。
「食堂があるんだって。そこでご飯にしよう」
 ラリスはそう言い、荷物を寝台下の引き出しに投げいれた。
「ずいぶん慣れてるな」
「ラデンとか、街には何度も遊びに行ってるから」
「泊まりで?」
「まあね」
 同じく荷物を寝台の下にいれたルースの腕を掴んで、ラリスは歩き出す。
「何食べるの?」
「あるもの。何があるか見てから決める」
「食堂だもん。何でもあるんじゃ―――」
「米」
「あぁ、そっか」
 納得したように、ルースの言葉にうなずいた。
「アリナーデには、お米が無いんだっけ?」
「ああ。もともとラークワーナの食物だ、東側にはあまり出回ってない」
「ルースは、ご飯が好きなの?」
「パンよりはな」
 言いながら、ルースは食堂の入り口をくぐった。ラリスもそれに付いていく。
 大きな食堂で、
「けっこう空いてるね」
「もうだいぶ夜が更けてるからだろう」
 むしろ、こんな時間まで食堂を空けていてくれることに感謝だ。
 見たことも無いメニューを前に、ラリスは眉を寄せる。
「何食べようかな……」
 言いながら食堂を見渡した。ある一点で視線を止める。
「ラリス?」
 ルースの言葉を聴きもせず、ラリスは突然立ち上がった。ルースが止める暇もなく、一人の男の背後へとラリスは歩いていく。男の肩へ、ラリスが手を伸ばした瞬間だった。
 ラリスの視界が反転した。
 床に叩きつけられ、一瞬意識が飛ぶ。遠くでルースの怒声が聞こえた。両手を背中に捻り挙げられ、膝を背中に乗せられる。肺が圧迫されて、おもわずラリスは呻いた。
「うぐっ」
 その声に、男はため息をつく。ラリスの背中に乗せていた膝をどけた。
 肺が開放され、ラリスが軽く咳き込む。ふと顔を上げると、ラリスを押さえていたのとは別の手で、ルースが捕らえられていた。
 盛大なため息をつき、ラリスは寝返りをうって男を仰ぎ見る。
「相変わらず手ひどい歓迎……」
「あなたのほうこそ、何度言えばわかりますか」
 くすんだ金髪に、青い瞳。黒い耳飾をした男は、ルースを拘束したままラリスを立たせた。
「そんなことどうでもいいからルースを放してよ」
「ルース?」
 男は言いながら視線を落とした。険しい目で自分を睨む金髪の青年を見て、ほんの少しだけ目を見開いた。
「へぇ、ラリスの友だちですか」
「そうだよ、だから放して」
 男が手を緩めた瞬間に、ラリスはルースを引っ張った。男の手から開放されたルースは、ラリスを振り返る。
「ラリス、コイツは―――」
「知り合い。悪い人じゃないよ」
 そう言って、ラリスは男を見上げた。その視線を受け、何か言われる前に男は口を開く。
「言っておきますけど、悪いのはラリスですよ」
 一度ルースに詫びてから、男はラリスを睨んだ。
「背後から近づくな、と。いつも言っていたでしょう」
「いい加減、人の気配くらい読めるようになったら? 自称武人なんでしょ」
「自称とか言わないで下さい。これでも武官ですよ」
「あちこち放浪してるくせに。お城勤めなんて冗談でしょ?」
 どこの国か知らないけどさ。とラリスは息を吐く。
「信じる信じないは、好きにしてください」
「そうだね、勝手にするね」
 しばらく二人は黙って見合った。
 やがて、突然ラリスが笑い出す。
「久しぶり、フィーリ」
「はい、お久しぶりです。ラリス」
 様子を見ていたルースは、二人のやり取りを聴いて小さくため息をついた。
「茶番かよ」
 その言葉を耳にしたラリスは、振り返って苦笑する。
「ごめんねルース。この人はフィーリ。一つの場所に留まらずに、あちこち回ってる人」
「フィーリ・セイクリッドです」
 ルースはじっとフィーリを見上げた。含みを持った視線が、フィーリから注がれる。
「はじめまして」
 わざとらしい笑顔に、ルースは眉を寄せ答えた。
「ルース・ヴァーレン」
 それだけだった。ルースはそれ以上に、語る言葉を持っていなかった。
 特別な肩書きが、あるわけではない。
「ラリスは、どうしてこんなところにいるんです? 年頃の娘が、家出ですか?」
「違うよ。えっと……」
「その前に、晩飯を食わせてくれ」
 ルースは再び席に着く。ラリスも慌ててそれに倣うと、フィーリは穏やかな笑みを浮かべて言った。
「それでは、食事をしながらお話しましょうか」
 ラリスはちらりとルースを見る。
 露骨にいやそうな顔をしながら、ルースは了承したのだった。

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