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■神様の歌■第三章■第三話■

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 宿の部屋、二人は寝台に座って、会話する。
 ルースは壁に背をあずけ、ラリスは腰かけ枕を抱いて。
「本当に、フィーリと一緒にシエスタまで行くの?」
「大陸五国の中で、次に向かうマーリンが一番治安が悪いんだ。正直、不安だった。だから、武官と名乗る人が一緒だとすごく心強い」
「そっか」
 うなずきながら、ラリスは先ほどのフィーリとの会話を思い出す。
 そして不服気に、眉を寄せた。
「別に、ボクはルースだけでいいんだけどな」
「バカ言うな。お前になんかあったら―――」
「ダリスに申し訳ない? 平気だよ。滅多なことあるわけ無いじゃん。今までだって、けっこう一人で大陸まわってたよ? ラークワーナとかシエスタは、さすがに遠くて無理だったけど。マーリンにだって行ったことある」
「それは、ラリスが」
「何?」
 聞き返されて、ルースは一瞬逡巡した。
「あいつも言ってただろ。ラリス、お前はもう世間で言う『年頃の娘』なんだ。少なくとも俺は、もうお前のことを少年だとは思えない」
 ラリスは苦笑して、布団にもぐりこんだ。うつ伏せになり、顔だけルースのほうを向く。
「ルースは、これからボクを女の子扱いするの?」
 嘲笑と共に告げられた言葉に、ルースはすぐに返す。
「俺は、いつだってラリスは女だと思ってた。―――今日はもう疲れただろ。早く寝ろ」
 ラリスは漆黒の瞳を見開いて、ルースを凝視した。気付いたルースと目が合った瞬間、慌てるように枕に顔をうずめ、不可解な声をあげる。
「あぁ〜……。もうっ」
「どうした?」
 ラリスのほうを見ずに、ルースは苦笑しながら問いかけた。
「言ったでしょ。―――苦手なんだよ。女の子扱いってヤツは」

 ラリスの寝息を聞きながら、ルースはゆっくりと起き上がった。隣の寝台で眠るラリスを見つめて、狭い室内で立ち上がる。
 部屋を出ようと扉に手を伸ばしたとき。
「どこ行くの」
 背後から声をかけられ、ルースの手が止まる。
「夜にいなくなったりしないで、って。言ったじゃん」
 責めるような口調に、ルースは不機嫌に息を吐いた。
「……」
「理由は? 聴いてあげないことも無いよ」
 闇の中、影が動いた。ラリスが静かに身を起こし、寝台の上で膝を抱える。それが見えて、ルースは目を細めた。
「少しは自覚してるのか」
「何が?」
 理由を聞く姿勢になっていたせいか、質問されラリスはきょとんと首をかしげた。黙って、ルースはラリスに近づく。
「ルース?」
 無言のまま傍らに立つルースを、ラリスは首を傾げて見上げた。
 真っ暗闇、寝台の中の女である自分と、その傍らに立つ、男であるルース。二人きり。そんな状況下から連想されるものを、ラリスは知らない。
 目の前の金髪の青年から発せられる空気を、ラリスは恐れたりはしなかった。ただ、彼が返事をしないことが怖かった。
 再度、名前を呼ぼうと口を開く。
「……ルーうわっ!」
 名前は最後まで口にされることは無かった。
 後頭部にあたる枕の感触、こめかみのすぐ横にあるルースの左手、肩に押し付けられた彼の右手の平の感触、迫る胸、目の前の、暗闇の中でさえ煌々と輝く黄金色の瞳に、ラリスは戸惑いを隠せない。
「何……」
「頼むから、少しは警戒心とか、自覚とか、そういうのを持て」
 細められた目が、ルースではない別人のものだったなら、ラリスは間違いなく恐怖を抱き、悲鳴を上げただろう。けれど、目の前にいる相手は違った。ラリスにとって、恐れの対象にはなりえなかった。
 だからこそ、戸惑いを隠せずにラリスはルースに問いかける。
「どうして? そこにいるのは、ボクの隣にいるのは、ルースなのに?」
「お前は女だ、ラリス。その意味を、正しく理解しているか?」
 幼子に教えるように、ルースは囁いた。徐々に近づく彼の顔を、ラリスはただ見つめていた。
 ルースの膝が寝台に乗り、僅かにきしむ。ここでようやく、ラリスは身を強ばらせた。
 首元に埋められたルースの顔。頬に触れる柔らかい髪。触れているのは、それだけだ。そのことに気が付いて、ラリスは体から力を抜いた。目を閉じて、呟く。
「信じてるから」
 ぴくりと、ルースの体が反応する。
「ルースが、ボクの嫌がることするわけないって。ボクは知ってる」
 笑みを含んだ声に、ルースは黙って耳を澄ます。
「心配してくれて、ありがと」
「ラリス」
 険を含ませて、ルースは彼女の名前を呼んだ。顔を離して、黄金と漆黒が見つめ合う。
 先に笑ったのは、漆黒の方だった。
「仮にだよ? もしもがあったってさ、ルースが助けてくれる」
 そうでしょ。笑顔で呟かれた言葉に、ルースは脱力した。ごろりと反転して、布団の上に転がる。
「知らないからな」
「ボクは、ルースを信用してる。それだけだよ」
 クスクスと笑って、ラリスはルースの袖を握った。
「村を出た今、ボクが一番頼りにしてるのは、ルースだからね」
 ルースは答えなかった。ラリスもそれ以上何も言わなかった。沈黙が、続く。
 長い沈黙の後、ルースは小さく息を吐いて、言った。
「しょうがないヤツだな。本当に。―――ラリス」
 呼びかけに返事はなかった。不思議に思い、ルースはラリスを覗き込む。
「……」
 寝台の上、ルースのすぐ傍らで、
「ここまで信用されると、逆に落ち込むな」
 苦笑して、眠りに落ちているラリスの肩に、布団をかけなおした。

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