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■神様の歌■第三章■第三話■

■3■
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 ぬくもりに、安堵する。
 夢の続きを切望しながら、ラリスは目覚めかけていた。
 木々溢れる森の中の小さな村。優しい声に、無邪気な笑顔。かつて持っていたもの、やがてすぐに、失ってしまったもの。
 持ち上がる瞼によって目に映る視界に、まず飛び込んできたのは、鮮やかな金だった。
 とても好きな色だ。
 とても、待ち望んでいた色だ。
 とてもとても、会いたかった―――。
「っ」
 バチッと覚醒し、飛び起きる。すぐ隣で横になっていたルースが、黙ってラリスを見上げていた。
「おはようラリス」
「……おはよう」
 ルースの静かな声に、ラリスは返事をしながら冷静になろうと努めた。
「ずっと起きてたの?」
「そんなわけないだろ。俺だってちゃんと寝た。起きたのは、結構前だけどな」
 それなら、どうしてずっと隣にいたのだろう。ラリスが起きるまで、ルースが隣にいる理由は思い当たらない。
 なんで? そう顔に書いてあるのを見て取ったルースは、黙って右手を持ち上げた。同時に、ラリスの右手も持ち上がる。
 どういうことか理解し、ラリスは閉口した。
 ルースの袖を、難く握り締めていたラリスの右手。慌てて手を離し、胸元で両手を抱きしめる。
「えっと、ごめん」
 苦笑混じりに謝れば、何も言われず苦笑を返された。
 ルースは無言で立ち上がり、簡単な身支度を始める。ラリスは黙って壁のほうを見つめた。
「先に食堂に行ってる」
 ルースの言葉を背に受けて、ラリスが振り返るのと部屋の扉が閉まるのは同時だった。一つ深呼吸をして、ラリスも自分の身支度を始める。
 ふと服を脱いだ時、首から下げた鎖を思い出した。無言で外し、目の前に掲げ持つ。
 鎖に通された、月と、星をかたどったモチーフ。それをしばらく眺めて、泣きそうに笑った。
 片隅に掘られているのは、持ち主の名前。
Tim
 愛しそうに撫でて、ラリスは一時目を閉じる。
 やがて鎖をかけなおし、服を着替えた。

「ラリス、おはようございます」
 食堂に入った瞬間フィーリに声をかけられ、ラリスはその姿を探した。
 彼はルースと同じ席、朝の混雑している食堂の隅のほうに陣取っていた。
「おはようフィーリ」
 駆け寄って、椅子に腰を下ろす。昨夜同様、見たことも無いメニューに眉を寄せ、適当に選んだ。
「馬か何か調達するって言ったよね、どうするの?」
「あてがある。こいつにその話をしていたところだ」
 名前も呼ばない辺りに、不穏な意思を感じ、ラリスは少しだけ不安になる。
 気を取り直して、ラリスはそっか。とうなずいた。
「俺は別に行かなきゃいけないとこがある。あんたは馬の方に。ラリスは―――」
 どうする? と問われて、ラリスは即答した。
「馬を見てみたい。触ってもいいんだよね?」
 目を輝かせるラリスを見て、ルースは黙ってうなずいた。
「じゃ、俺はもう行くからな」
「え、朝ごはんは?」
「心配するな、向こうで食べるから」
 言い捨てて、ルースは振り返りもせずにその場を立ち去ってしまった。
 残されたラリスは、ルースの姿が見えなくなるまで見続けて―――。
「はぁー……」
 見えなくなったとたん、机に突っ伏した。
「どうしました、ラリス。ルースと何かありましたか?」
 おそらく下品な邪推をしているだろうフィーリに、ラリスは苦笑して見せた。
「誤解だよ」
「さあどうでしょう。昨夜は本当に何も無かったんですか?」
 邪推というよりはむしろ期待しているようだった。そうだったら面白いのに。青い目は、そう語っていた。
「遠慮せず、相談してみてください」
 にこやかな笑顔の裏に、計り知れぬ何かを企んでいそうで、ラリスは体をそらす。フィーリの水を奪って、手遊びする。
「本当に、何も無かったんですか? 例えば―――」
 しつこいよ、ラリスが水を口に運びながら、言おうと思っていた時。
「―――押し倒されたり?」
「ふぐっ」
 ラリスの慌てように、フィーリは笑みを深くした。それを、彼女は恨めしげに見上げる。
 まさか廊下で聞き耳を立てていたのではないか。フィーリならやりかねない。それをやってのけてしまうのが彼だ。でも本当に誤解のはずだ。不信感を募らせていると、フィーリは爽やかに言った。
「いやー。ルースも人の子でしたか」
 しみじみ言う彼に、ラリスは瞳を瞬かせる。その、昔からルースを知っているような物言いは、いったい―――。
「フィーリ」
 フィーリ、と。名を呼ぶ。
「知ってるの?」
 考える前に、口が動いた。
 ルースと、知り合いだったの? と。それなら、どうして黙ってたの? と。
「私も、遠い人を想うより、すぐそばの人を想うほうが、良いと思いますよ」
 ラリスの問いを無視して、フィーリは穏やかな笑みのまま、それに……、と続ける。
「愛する人から、この上なく恨まれている。そんなの、辛すぎるじゃありませんか」
 ラリスは目を見開いた。それはいったいどういうことか、とフィーリを凝視する。
「セーラ≠ヘルースを恨んでる。……そういうこと?」
「おや、セーラ≠ニいう名が、あなたの口から出るとは思いませんでしたよ」
「……」
 ラリスはじっと手の中のカップを見つめていた。
 人の気配に顔を上げると、ふくよかな中年女性の手に、ラリスが頼んだ朝食が乗せられていた。
 笑顔で礼を言って、食べ始める。その様子をフィーリは微笑ましそうに頬杖をついて見つめていた。
「なに?」
 首をかしげてその視線の意味を問うと、フィーリは小さく肩をすくめた。
「私は、あなたが良い」
 その言葉の意味が判らず、ラリスは首をかしげたままだ。
「セーラ≠謔閧焉Aラリスのほうがルースには相応しい」
「馬鹿なこと言わないでよ」
 ラリスは笑いとばした。
「セーラ≠ネんて人、今はいないんだよ?」
「ラリスを、この世にいない人と比べるような品のない男になったつもりはありませんよ。―――とにかく、私はセーラ≠謔閨Aラリスがいい」
 含みを持ったフィーリの笑顔に、ラリスは目を見開いた。
「ダ、ダメだよ」
 消え入りそうな声で、小さく呟く。
 体の心から凍ってしまいそうで、その先の言葉を口にするのが恐ろしくて。
 それでも、ラリスは呟いた。
泣きそうな笑顔で、呟いた。
「ダメだよ。だってボクは、ラリスはもうすぐ―――」
「スイマセンでした。もうこの話はやめましょう」
 言葉を遮って、フィーリは眉を下げた。
 ぼんやりと、ラリスはフィーリを見上げる。心苦しそうに、フィーリは言った。
「そんなつもり、無かったんですよ」
「フィーリ」
「貴方を泣かせるつもりなんて、最初からないんです」
 泣きそうなラリスの頬に、フィーリの手が触れる。その手に自分の手を重ね、ラリスは無理矢理に微笑んだ。
「平気だよ? ボクはもう、泣かないもの」
 食器返してくるね、ラリスはそう言って席を立った。その背中を見て、フィーリはため息をつく。
「そうですか」
 悲しげに、どうしようもなく。
「ドゥーノは、死にましたか」

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