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■神様の歌■第三章■第五話■

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 慣れ親しんだ海に沈む夕日を見て、ラナイトようやく心が落ち着いた。船が着いた知らせを受けて伸びをする。ソナタが船酔いをしたと聞いて船旅は幸先悪かったが、数日たった今はすっかり慣れたようだ。知らせを持ってきた者に様子はどうかと問えば、ティムと二人、すでに甲板に出ている。と返ってきた。

 無邪気な王女に、小さく笑ってラナイトは立ち上がった。



 着いたばかりのラークワーナで、船を下りたラナイトにすぐさま従者が近寄った。
 彼は初老の男性で、幼い頃からラナイトの元に侍っており、ラナイトが最も信頼している従者だった。
 優雅に、彼は一礼する。親しんだ顔に、ラナイトも表情を緩めた。
「お帰りなさいませ」
「あぁ。報告どおり、ラデン国次期女王陛下とティムを連れてきた。失礼の無いよう私の力が及ぶ限りで最高のもてなしを。しばらく滞在していただく」
「は。ソナタ様と、―――ティム様?」
「ああ」
 問い返した従者へ、ラナイトは顔色も変えずにうなずいた。みるみる従者の顔が青くなり、ですが、と言い募ろうとするのを、ラナイトが手を挙げて止める。
「後ろがつかえている。用があるのなら手短に済ませてくれないか」
 そう言って歩き出すラナイトの後を、従者は慌てて追った。船からソナタ、ティム、と続けて出てくるのを見て、さらに驚きをあらわにする。
「その、……お耳に入れておくべきことが」
 立ち止まり、振り返るラナイトへ、従者は小声で呟いた。ハッとラナイトの表情が変わる。
「城にいるのか」
「お風邪を召されているため、迎えを待っているところでございます」
「会いたいな」
「貴方様が、お望みならば」
 ラナイトは従者に鋭く、行け、と命じた。空を仰いで、目を閉じる。小さく、拳を握り締めた。
 深く呼吸をして、振り返る。少し離れたところで、ラークワーナの話を聞いていたソナタとティムが気付いてこちらを見た。
「ご案内する。こちらへ」
 言うと、周りが慌てた。「殿下自ら、そのようなこと」周りの反応に、ソナタやティムが不思議そうな顔をした。
 ラデン王国城は、上下関係に差があまり無いと聴く、だからこそ浮かべることができるその反応が、おかしかった。
「ティム? どうしたの?」
 ソナタの声が聞こえて、ラナイトは振り返った。ボーっとしているティムを、二人で伺う。
「え? いや、なんでもないよ」
 笑顔でティムは取り繕ったが、ソナタの不信感は消えない。本当に? と彼女が念を押すと、本当に、とティムは笑顔を返した。
 馬車に乗り、揺られ、城に着いた時にはあたりは真っ暗になっていた。
「城へ。長い船旅、疲れただろう。あなたの滞在は非公式なもので、街の者や、城の中でも位の低い者達はソナタ王女が城に来ることを知らない。国王への挨拶は明日にして、今日はゆっくり休んでくれ」
「あ、はい。ありがとうござい―――」
 敬語で、頭を下げようとするティムを、ラナイトが肩を掴んで遮った。きょとんと見返してくるティムに、微笑む。
「君は、僕に敬意を払う必要はないよ」
「え? だって―――」
 意味深に、ラナイトは笑った。
「ソナタ王女の家族のような人なのであれば、僕にとってもそれと同じだ。気にしないでくれ」
 はぁ、とティムは戸惑い、けれど大人しくうなずいた。






 城に案内され、ここから少し離れた離宮を一つ与えられるときき、ティムはため息をついた。
 ラデンは領土が少ない、と言うわけではないのだが、人が住んでいる地域が少ない。町は城を囲む一つしかないし、城だってラデン城だけだ。離宮、と言われては、当然驚く。
 ラークワーナの城はラデンの城よりも大きく、それぞれの貴族との結びつきを強くするためと、それなりに後宮もあるらしい。側室の子どもも、少なからずいるということだ。それら全てが、この城で過ごしているのだった。
 本の中や歴史の知識として、ティムはそれらを知っていたが、実際城の大きさを目にするとため息が出る。どこか夢物語や空想、別世界のことだと思っていた。
 そういえば、ラデンの王族がどれだけいるのか、ティムはよく知らない。ティムが知っているラデン王族は、ソナタの両親を除けばソナタとその叔父くらいだ。
 大して考えたことも無かったため、あらためてどこか引っかかった。どういうことなのだろう、他に誰かソナタに親族はいるのかと尋ねようとして、顔をあげる。とたん、玄関ホールが目に入った。
 吹き抜けの玄関ホール。両脇にある階段。見える、二階、三階の廊下。美しく装飾された、欄干。
 あれ、と息を呑む。
 頭の中で、白い何かがはじけた。
 女の声、大人たちの悲鳴。
 思い出す、染み渡る赤。
 自然、足が動いた。意識の遠くで、ソナタの呼ぶ声が響く。
「どこへ行くのよ、ティム!」
 きいてなどいられない。
 自分でもわからない。
 ティムはこのとき、考えてさえいなかった。



 突然駆け出したティムを、ソナタは目で追う。ラナイトは動かなかった。客人としての身分をわきまえないティムに、呆れたのだろうか。
 嫌われたらどうしようと、考える。好きになった覚えもないのに。
 とりあえず、目の前の階段を駆け上がる幼馴染を追うため、階段へと向かう。
「えっ」
 地面から突き上げるような振動に、ソナタの足がもつれた。倒れそうになるのを、ラナイトが引き寄せ支える。
「何?」
 ティムは二階まで上がっており、三階へと足を速めている。彼らしくない行動、ただでさえ天井が高いのに、どんどん上がっていくものだから、ティムがすっかり小さく見えた。
 二度目、地面から突き上げる振動に、身体が震える。
「まずいな」
 小さな声で、頭上のラナイトが呟いた。どう言うことかと訊ねる前に、聞きなれない悲鳴が聞こえた。
 慌ててティムのほうを振り向く。悲鳴を上げていたのはティムだった。
「ティム?」
 遠目で、何かを呟いている。何度も頭を振っている。泣いているように見えるのは、ソナタの気のせいだろうか。
「どうして―――」
「ソナタ王女。手荒な真似を、お許し下さい」
 ラナイトはうろたえる様子も無く、静かに言った。そして、変わらぬ調子で、声を張り上げる。
「ティムを誰か、その場から引き離せ。多少手荒になってもかまわない、眠らせろ」
 遠くで歯切れの良い声が、あちこちからいくつも聞こえた。見えなかったところから現われ、ティムを囲む。
「ティムに何をするの? いやよ、だめっ」
「何も。ただ、眠ってもらうだけだ」
 走り出そうとするソナタを、ラナイトは引き止めた。それでももがく彼女を、力強い手で拘束する。
「信用してもらえないかな? 大丈夫だ。酷いことはしない。ただ―――」
 小さく、ラナイトは息を吐いた。
「彼が、正気を保っていられるかどうかは不明だけれど」
 ソナタの目が見開かれた。どういうことですか、と、掠れた声で問い返す。ゆっくりと、ラナイトは歩き出した。くればわかる、と。
 このままこの中を通り、中庭を突っ切った先、庭園のさらに奥に離宮があるらしい。それを聴いて、うなずいた。ふと気になって見上げると、ティムはぐったりとしており、おそらく三十代くらいの男性に抱えられ、階段を下りていた。
 地面を突き上げるような振動は、もう無い。
「どうして」
 再度、呟く。何故、こんなことになっているのか。
「この事態を危惧していなかったわけではないのです」
 ラナイトの言葉に、瞬いた。
「こちらの責任です。すみません」
 けれど、その言い方がどこか引っかかった。鋭い目で、ソナタはラナイトを見上げる。
「こうなることを、期待していたのではありませんか」
 頭上の表情はもう窺えなかった。
「何故です? どうして、こんなことになったのか、貴方はご存知なのでしょう?」
 彼はこちらを見もせずに、呟いた。
「離宮でお話しする」
「全て?」
 ソナタの追及に、ラナイトは返事をしなかった。ソナタはのろのろと自分の腕を掴んだままであるラナイトの腕を解く。
 ラナイトはソナタを振り返ったが、ソナタはそちらを見なかった。歩くラナイトの後に、黙って従った。
 時折、背後の運ばれるティムを気にしながら。

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