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■神様の歌■第三章■第六話■

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 外套を脱ぎ、長椅子の上に置きながら、ティムはラリスを部屋に招き入れる。
「とりあえず、横になってなよ」
 ティムに促され、ラリスは限界といわんばかりに寝台に倒れこんだ。緩慢な動作で、ティムから借りた上着をその辺に脱ぎ落とし、毛布に包まる。
「……しんどいなぁ」
「飲む?」
 ティムがカップを勧めると、ラリスはいくつかある枕を腰に当て、寝台に座った。ティムも、ラリスが落とした自分の上着を椅子の背にかけてから、、寝台の淵に腰掛ける。
 ラリスはティムからカップを受け取り、一口飲むとゆっくりと呟いた。
「……おいしい」
 ティムはにっこりとして、自分もカップを口に付ける。しばらく二人は沈黙の中、ミルクを飲んでいた。
 二人のカップが空になった頃、ティムが小さな声で呟く。
「ねぇ、ラリス」
「ん?」
「君の傍にいると、すごくホッとするんだ」
 突然の告白に、ラリスはきょとんと目を丸くした。が、すぐに笑みを浮かべて言う、「それは、光栄だな」と。
 慌てたようにティムはラリスを振り返り、そのしぐさに、ラリスは首をかしげた。なんでもない、とティムは首を振って、顔を逸らし、ラリスを見ずに、前に向き直って続ける。
「ラリスが悲しいと、僕も悲しい」
「ボクも、ティムが悲しいと、悲しいな」
 ティムの呼吸に合わせて、歌うように呟くラリスの言葉に、ティムは静かに声をたてて笑った。
「知りたいことがあるんだ」
 とたん、空気が張りつめた。
 ラリスの纏っていた柔らかい空気がそぎ落とされ、冷たい気配がティムを取り囲む。
 その異様さに怯むことなく、ティムは言った。
「ラリスは、知ってる?」
 振り返り、漆黒の瞳同士がかち合う。
「知ってるなら、教えてほしいんだ」
 見返すラリスの瞳は、ティムの視線を受け、揺れていた。
「『セーラ』って、誰?」
 ゆっくりと、ラリスが瞳を閉じる。
「その名前、どこで聴いたの」
 静かな問いかけだ。
「記憶の中に」
 ぴくりと、ラリスが目を開く。記憶の中? と、小首をかしげた。
「全てじゃないけど、少しだけ、取り戻した」
「……」
「セーラと、母さん。そして……。ドゥーノ、父さん…………」
「ドゥーノ……」
「あの人、僕の、父さんだったんだ。記憶の中にいたんだよ。怒り狂う母さんを、必死に説き伏せようとしてた。『セーラ』を、守ってた」
 わからない、というようにラリスの表情が険しくなる。
「僕の母さんは、この城の玄関ホールに飛び降りたんだ」
 ハッと彼女の表情が凍った。
「どうしてあの時この城にいたのかは、全くわからないんだけどさ……」
 ティムは笑わず、口元に笑みを残したまま。
「そうだ、ラリス」
 色を失いかけていた空間に、突如として色が戻ってくる。パッと身にまとう空気を変えて、ティムはラリスに問いかけた。
「ラリスとドゥーノって、どういう関係だったの? 知り合いだったんでしょ?」
「えーっとね」
 ラリスは口を噤み、視線を泳がせる。
「……内緒」
 言った瞬間のティムの顔にラリスは苦笑し、小首をかしげて呟いた。
「実は恋人でしたーって言うのは―――、あ、いや。冗談、冗談だからさ、ティム」
 笑いながら、時間は経ち、ラリスは頭に響く衝撃にたえきれず、横になって毛布の中にもぐりこんだ。
「もう寝る?」
 ティムが問うと、ラリスは小さな声で返事をする。そういえば、と顔を上げた。
「ティムは、どこで寝るの?」
「え? そこで」
 指差されたのは、ラリスの寝ている寝台。
「えーと」
 わけがわからずラリスが首をかしげると、声をかける間もなくティム毛布の中にもぐりこんでくる。
「床で眠れる気はしないし、せっかく大きいんだから、二人くらいわけないよ」
 確かに、王族の客人用である寝台は広く、大人三人分ほどの幅があったが―――。
 ラリスは、早々に横になったティムの背中を、しばらくじっと見ていたが、やがて小さく息をついてから、笑った。
「うん、お休み」
 お互い背を向けて、二人は眠りに落ちる。懐かしさと、温かさが拡がっていく。


 泣きそうになって、慌てて目をこすった。
 何故涙が出てくるんだろう。どうして今さら?
 笑って、再び目を閉じる。
 かつて持っていた幸せは、今は無いのだと言い聞かせて。
 なのに、背中から包みこむように忍び寄ってくる温かさは、かつてのそれを思わせて。


 二人は目を閉じ、眠りに落ちた。
 お互いがお互いの背後に、何の緊張感も持つことなく。



 部屋の外から響く騒がしさに、目を開けた。ティムが身を起こすと、その隣にいる存在に、ふと疑問符が浮かび上がる。
 昨夜のことを思い出して、少しだけ照れ笑いを浮かべて立ち上がった。同様に、背後の彼女も身動きする。
「これ、何の騒ぎ?」
 予想以上にすっきりとした顔に、「風邪は?」とティムは問う。ラリスは小さく、あ、と呟いてしきりに首を捻ってから、「もうなんとも無いよ」といった。安堵の息をついて、ティムは衣装棚を開き、扉の影で着替え始めた。ラリスは立ち上がり、着替えが無いな、と、寝巻きのまま昨夜と同じくティムの上着を羽織った。
「何の騒ぎか、ちょっと聴いてくる。着替えとかも、考えとくよ」
 昨日の夜はそういうの全然考えてなかった、とティムは苦笑して、扉を開いた。すぐにラナイトが現われ、ティムは慌ててその腕を捕まえる。
「この騒ぎはなんですか?」
 扉を開けたまま、部屋の中から手を伸ばすティムを見、ラナイトは口を開きかけ、すぐに閉じる。ティムが不信がる暇も与えずに、言った。
「ティムには関係ない。ちょっと―――」
 言いかけると、数人の兵士がやってくる、その全てが三十以上であろう年齢で、一様に浮かない顔をしていた。そしてティムのほうへ、一度は視線をやってくる。
「東塔にはいません」
「温室の方にも」
「念のため、地下も見ましたが」
「国王陛下の下にも」
 その報告のどれもが別々の場所を言い、共通するのは『探し物が見つからない』という旨だけ。
 ラナイトの表情に焦りが浮かび、その表情に戸惑いながらも兵士達はさらに報告を続ける。
「なくなった船はなく、夜更けから今朝にかけての国外に出た人々にも確認が取れています。他、荷馬車など、全て確認をとったとのことです」
 重苦しい空気に、本当に何があったのかとティムは眉を寄せて首をかしげる。教えられないと首を振ったくせに、報告をその場で済ませるのは、なぜか。
「殿下、まさか―――」
「逃げたわけではないとしたら……何者かに……」
 場がどよめいた。廊下の向こうからソナタもやってきて、パタパタとラナイトの元へ駆け寄ってくる。
「調べが事実であるなら、まだ城か町に身を潜めているはずだ。見当をつけ、しらみつぶしに探そう」
「この騒ぎはいったいなんですか」
 ラナイトは言いにくそうにソナタを見ていた。その場はしんと静まり、ティムは困ったように扉のこちら側、ラリスを振り返る。
 扉の向こう側で交わされるかすかな声の会話を、一応全て耳にしていたラリスは、首をかしげながらティムの脇から顔を出した。
「いったいなにが―――」
 不穏なものとは違う形で、その場の空気が固まった。予想もしない人物の出現のせいか、ラナイトも、他の兵士達も、ラリスを見たまま動かない。
 ソナタだけが、ティムとラリスを見比べて、一度だけ「ん?」と首を捻り、やがて、赤面しパッと口を押さえた。
「ティム、まさか―――」
 扉が理解の境界線のように、こちら側のティムとラリスは、顔を見合わせ、ちょん、と首をかしげた。

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