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■神様の歌■第三章■第六話■

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ラリスが消えた
 今朝早く、ルースからの報告に、ラナイトは冷静に条件に当てはまる兵士だけにそのことを通達し、捜索を始めた。
 手がかりは一切無し。一度はもう二度と見つけられないかと覚悟までしたのだ。
 その彼女が……。
 よりによって、客人の部屋から顔を覗かせたのだった。

 ラナイトはすぐに、この騒ぎを収めるため事情を知る全ての兵士への伝達、そしてルースをここに呼ぶようにと、その場にいる兵に指示を出した。間もなく、ルースが到着する。その金に輝く琥珀の瞳が、ティムとラリスを視界にいれた瞬間、ルースはティムに掴みかかっていった。
「ルースっ?」
 ソナタの悲鳴、残った兵とラナイトが慌てて止めに入り、いつも冷静な姿しか見ることのなかったルースが……。ソナタとティムは唖然とし、慌ててティムの背後に隠れたラリスは、何も言えずに恐る恐るルースを見上げていた。
「ティム、ラリスに何をした?」
「何をって……」
 わけがわからず戸惑うティムと、怒りで今にも爆発しそうなルース。
「ちょ、ちょっとまって! ルースったら、落ち着きなさいよ!」
 その様子を見て、二人の思考の食い違いにいち早くソナタが勘付き、慌てて間に割って入った。ルースを背にして、ソナタはティムと向き合う。
「ティム、いまからいくつか訊くから、正直に答えなさいよ」
「ソナタ」
 ルースの不機嫌な声を無視して、ソナタはティムだけを見、問う。
「ねぇ、ティム。あんた、ラリスが好き?」
 その場が静まり、一同が恐る恐るティムを見る。当の本人は、わからない、というように首をかしげながら答えた。
「好きだよ?」
 ルースの腕に力が入るのを、音もなく兵達が押さえ込む。
「じゃ、私のことは?」
 ソナタの背後が静まり返った。それでもティムは変わらず、わからない、というように戸惑ったまま、答える。
「好きだよ?」
 ソナタは一度、自分の背後を振り返り、静かになったルースを見る。一つ呆れたように笑って見せた。
 そしてティムに、向き直る。
「じゃぁ」
 突然満面の笑みを浮かべ、ソナタはティムに問いかけた。
「ウィルのことは?」
 とたん、ティムの表情が固まり、黙り込む。あからさまな違いに、その場にいる一部の人々は混乱した。
「ねぇ、ウィルは?」
 事態を飲み込んだラリスが、追い討ちをかけるように、背後から楽しそうに問いかける。
「なんで……」
 ぽつりと、ティムは言った。
「そんなこと聴くのさ?」
 かすかに頬を染め、顔を逸らしたその姿を見て、ラリスとソナタはクスクスと笑い出し、兵士たちはそろそろとルースから手を離す。ルースはもうティムに掴みかかって行ったりせず、なんとも言えない表情で、ティムを見ていた。取り乱した自分に、落ち込んでいるようにも見える。
「悪かったよ」
「でも」
 ルースが両手の平を向けて謝るのを見て、ティムは首を捻る。これ以上コイツは何を言う気だと、その場にいる誰もがティムを見た。
「でも、どうして兄さんは僕に掴みかかってきたりしたの?」
 その場にいる誰もが、その答えに窮した。ティムの背後にいるラリスでさえ、きょとんと首をかしげているのだから手に負えない。
「やっぱり、ティムもルースと一緒に王立学校に行くべきだったと思うのよね……。頭はよかったんだもの」
 変なところで鈍感なんだから。困った顔で、ソナタが呟いた。
「そうしたら、兄弟で首席取ったかもしれないね」
 見当外れなラリスの返事に、ソナタとルースは苦笑し、事態が収まったと見てラナイトは兵を下がらせた。
「それで、ラリス?」
 ラナイトは静かに切り出した、ぴく、とラリスはその声色に反応し、サッとティムの背後に隠れる。
「何故、部屋を抜け出したりしたんだ?」
「目が醒めたから」
 ラリスは即答し、ラナイトを伺う。その視線をはねつけて、ラナイトはラリスはを睨んだ。
「じゃぁ、どうしてこの部屋にいる」
 ティムと二人、顔を見合わせて、ラリスは答える。
「中庭で会って、話が弾んだから」
 色々と省略すると、見透かしたようにラナイトの目が光った。慌てて言いなおす。
「気分悪くて、疲れてて、うっかり眠っちゃって、ティムが運んでくれたんだよ。目が醒めても、気分悪かったから、そのまま会話して、そのまま寝ちゃったって言うかーーー」
「そうだ、お前風邪は?」
 ルースに問われ、え? とラリスは顔を上げる。
「治ったよ? もう辛くない」
 これだけは正直に、ラリスは答えた。事実、数日間苦しめられ続けた頭痛や眩暈が、嘘のように消えている。
「治ったって、んなわけーーー」
 突然、ルースの視線がずれた。ゆっくりとティムに向けられる。
「……ティムが?」
 兄の飛びかけに、ティムはじっと見返して答えない。
 サッとルースの表情が変わり、今度こそ本当にティムにつかみかかって行った。今度は、周りが止める暇もなく。
「ラリスに、何をしたんだ?」
 ルースの声は震えていた。ソナタが慌てて口を挟む。
「ちょっとルース、何にも無かったって、さっきわかったばかりでしょ? そういうこと、ティムはまだよくーーー」
「それじゃない」
 ピシャリと言い放たれ、ソナタがびくりと肩を震わす。
「こたえろ、ティム。自分が何をしたのか、本当にわかってるのか」
 ソナタは縋るようにラナイトを見た。けれど、ラナイトは黙って首を振る。
 首元を掴まれたティムは、何も言わなかった。ただ、じっとルースを見返していた。
 背後のラリスが、小さな声で問いかけてくる。
「…………何か、したの?」
 それが決め手だったかのように、ティムは肩をすくめ、大きく息を吐き出した。
「思い出したことを、僕はしただけだよ。兄さん。たぶん、ダリスさんの言う、失われた技術。古の力」
 その声色が、やけに乾いていて、ラリスの背筋に悪寒が走る。
 ラリスの位置から、ティムの表情は見えない。
 けれど、ルースの硬い表情から、ティムの表情も想像できるようだった。
「惹かれる力を、吸い取っただけだよ、ラリスから」
「……」
「魔性の力。ラリスの奥に巣食って、数日間くすぶっていた、風邪の原因に、僕は惹かれたんだ」
 手の平を上に向けて、ティムは首を傾げてみせる。
「思い出したことを、思い出した手順で試してみた……。それだけだよ」
 挑むようなティムの視線に、ルースはサッと顔を逸らした。
「もういい。わかった」
 低く呟いて、ルースは手を伸ばしてラリスの腕を掴む。
「戻るぞ、シエスタがもうきている。今日明日には、ここを出なきゃならない」
「わ、わかった」
 腕を引かれ、ティムの上着を羽織ったままラリスは部屋から出た。
「ちょっと……」
 ティムの部屋から出てきたラリスの姿を見て、ソナタが低く呟く。
「ラリス、貴方ーーー、それ寝巻き……?」
 へ、とラリスが振り返る間もなく、ソナタの手によってラリスとルースは引き離された。
「何考えてんのよ! 信じらんない!」
 彼女は顔を真っ赤にして、ラリスの腕を掴んで歩き出す。残された男性陣三人は、呆気に取られて二人の後姿を見送った。
「信じらんない信じらんない信じらんない!」
 ぶつぶつと呟きながら、ソナタはラリスの手を引いて一室に入る。衣装棚を開き、着るものを探し始めた。
「ソ、ソナタ? 別に裸でいたわけじゃないんだしーーー」
「ラリスあんたそれでも女の子? 自覚が足りないのよ、城内において、寝巻き姿なんてーーー、人前にさらすものじゃないわ。あの人たちそれを平然と見てたなんて……、信じらんない!」
 ソナタは憤りを隠さずに、何枚かの衣服をラリスへ投げた。
 放られた物を拾い上げ、呆然とラリスは言葉を返す。
「これを着るの?」
「? そうよ」
 まじまじと両手で布を持ち上げ、光にすかす。パッと手を離して、首を横に振った。
「無理……」
「なんでよ?」
「こんな女の子みたいな格好したくない」
「みたいなって、貴方は女の子でしょう」
 ラリスは口を閉じた。さらに言い返そうとするのを、ソナタは押さえ込む。
「いい? 貴方がどういう身分でこの城にいるかは知らないけど、ラークワーナ城にはラリスが村で着ていたような服は無いわ。これだけは確実。いいからさっさと着替えて頂戴」
 手始めにといわんばかりにティムの上着を脱がされ、ラリスは慌ててソナタの手をさえぎった。
「……わかった、着替えるよ」
 観念したように呟けば、ソナタは満足げに微笑む。
「手伝うわ。これでも、ラデンのお城にいた頃、侍女の真似事を一通りやったんだから」
 その当時のラデン城を思い浮かべて、ラリスは苦笑した。
 さぞかし侍女たちは閉口したのだろう。
「ソナタは、いつからボクのこと気が付いてたの?」
 寝巻きを脱ぎさり、ソナタの服を身につけながら、問いかけた。ソナタは笑い混じりで答える。
「本当に最近よ。貴方たちが旅立つ直前。ルースと話している姿を見て」
「ルースと話してたとき? なんでわかったの?」
「ルースの表情」
 背中の紐を縛るのと同時に、ラリスは口を閉ざした。
「あんな表情、十年近く一緒にいたのに、初めて見たのよ」
 優しい、というよりも。穏やかな、というよりも。
 ルースのあんな、『甘い』表情。
「ルースが恋してるのを、初めて見たのよ、私」
 そんなソナタの声は、どこか悲しそうで。ラリスは困ったように顔を背けた。
 淡々と、ソナタは作業を続ける。
「あたしが好きになったルースの中に、あんな表情は無かった。だから、諦めることができたのよ」
「そなーーー」
「だからね、ラリス? 遠慮なんかしないで頂戴」
 クスクスと笑うソナタに、泣きそうな顔をラリスは見せる。ソナタはぎょっとして、ラリスの前に向き直った。
「どうしたのよ」
「違う。違うよソナタ。ボクとルースはそんなんじゃない。そんなーーー」
 ルースがラリスに寄せるを想いは、ソナタが思っているような、そんな綺麗なものじゃない。
 未来なんて無くて、希望なんて無くて、終わりしかなくて。
 醜くて、汚くて、浅ましい。その場限りの欲に満ちたーーー。
「ラリス?」
 呼びかけに、ハッとする。
「どうしたの? 顔色悪いわよ」
「なんでもない……。ほら、続き。続き、お願いしてもいい?」
 パッとラリスはソナタに背を向け、何事も無かったかのように明るくせがんだ。
 ソナタはしぶしぶ手を伸ばし作業を続ける。
 ラリスに見られていないその表情が、一瞬だけ暗く沈んだ。

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