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■神様の歌■第三章■第六話■

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「ティム、城下に降りてみる気は無いかい」
「城下に?」
 ラナイトに問われて、ティムは首をかしげる。
「君の過去を取り戻す手助けになると思う」
「はぁ」
 気の無い返事しかできなかった。胸の奥がそわそわと落ち着かず、ティムは何度もソナタとラリスの去って行った方向に視線を向ける。
「なんだか、そうしていると、本当にラリスのことが好きみたいだね」
「? 好きだよ?」
 さっきも言ったじゃないかと、ティムは呟く。ラナイトは心底おかしそうに声をたてて笑い、ルースは苛立たしそうに額を押さえた。
 その反応の意味がわからずに、ティムはルースを見る。
「ね、兄さんもラリスのこと好きだよね?」
「……」
「どうしたルース、答えないか」
 黙りこむルースを、からかうようにラナイトが小突く。
「ほっとけ」
 あまりにも憮然とした表情で言うものだから、ティムもラナイトと同じように声をたてて笑った。
 そのとき、ひょい、とソナタがなんとも言えない表情で戻ってきた。彼女は一人だ。ティムは首をかしげて、問いかける。
「ラリスは?」
「逃げたわ」
「え」
「一目散に、お城のほうへ」
 よっぽどイヤだったのかしら、とソナタはため息をついた。
 とたん、ティムは走り出した。え、とソナタが呼び止める間もなく、姿が見えなくなる。
 呆れつつも、ソナタはルースへと向き直った。
「聞きたいことがあるの。いやな顔しないでよ、こっちだって重要なことなんだから」
 ルースの面倒そうな表情に向かって、ソナタは両手を腰に当てる。少しためてから、問いかけた。
「『セーラ』って、誰?」
 場が静まった。ルースが小さく息を吐く。
「またか」
「違うわ、この世界の生き死にに関わる意味での、『セーラ』の確認よ」
 パッとルースは顔をソナタに向けた。その様子に、ソナタは眉を寄せる。
「ルース、あんたどこまで知ってるの? どうして、あんたがこんなことまで知ってるの? あんた、いったい何者なの?」
「ソナタ」
 小さく咎めるラナイトの視線に、ソナタは一瞬だけ怯むが、それでもルースを見つめてさらに続ける。
「ティムとは、本当の兄弟なのよね?」
 ルースが「そう」と言えば、このやり取りはあっという間に解決するのだ。ルースの言葉を、ソナタもティムも、疑ったりしない。
 それなのに、ルースは返事をしなかった。ただ、黙っている。
 その時だった。
「そろそろ白状した方がいいんじゃないのか」
 りんと響く、少女の声。
 ソナタは後ろを振り返り、少女の姿に目を留める。
「スティール様……」
 現れたのは、シエスタ王国第八王女。日の光の下見る髪は、白金に輝き、理知的な眼差しは本来の年齢を忘れさせるほどのものだった。
「ラリス≠ヘ、ティムに奪われたぞ、ラークワーナ」
 険しい表情で、ラナイトはスティールに眼をやった。
「……なぜ」
 スティールは、肩をすくめる。
「さあ。突然あの子の手を掴んで、走り去った。会話を多少聞かれたが、仕方ない」
「なんだと……」
 かの王子の眉間に皺がよった。焦りの色に、ソナタはうろたえる。
「ラナイト様?」
 声をかけるが、ラナイトはこたえなかった。スティールはその視線を無視し、別のほうを向く。ただ一言、呟いた。
「連れ戻せ、必ず」
 スティールのその指示は、いったい誰に向けたものだったのか。わからず、ソナタは一瞬会話の流れを見失った。
「あぁ」
 返事が思いもよらぬところから聞こえて、慌てて振りむく。
「どういう、こと?」
 金髪の、青年。かつて、思いを寄せた人。なぜ、彼が今ここでその言葉に返事をするのか。
 ニコリと微笑む女の子が、ここまで醜悪に見えたのは初めてだった。ソナタ口をパクパクと動かし、やっとのことで声を出す。
「な……何? あんたまさか―――」
 脳裏を過ぎった予想に、否定を願う。一度ルースから視線を外し、再び戻した時、同じ場所にルースはいなかった。
 慌てて視線を下げる。眼を疑った。
 片膝を折って、頭を下げている、彼。
 ソナタの前でさえ、一度もしなかった、姿。
 止まりそうになる思考の中、ソナタはもう一度スティールを見る。彼女は薄く笑んでいた。ゆっくりと、歩き出す。王族にしては珍しい、肩までしかない短い白金の髪を、さらりと揺らして。
 優雅な動きでルースの目の前までやってきて、静かに手を差し出した。
「顔を上げろ」
 その許しに、ルースが従っている。彼の琥珀の瞳は、じっとスティールに向けられていた。
「何……、それ。どういうこと?」
 目の前では、ルースが差し出されたスティールの手の甲に、口付けをしている。そのルースに、スティールは労いの言葉をかけていた。
「もう役目は終わりだ。今までご苦労だった。九年? 十年近くか? 私が生まれてすぐに、お前はわが国を出た」
「はい」
「つらいことは無かったか」
「つつがなく」
 形だけのやり取りの末、スティールは握られている手を軽く引いた。釣られるように、ルースが立ち上がる。
 手を離し、スティールはふわりと目の前の身体に抱きついた。ルースに寄り添ったまま、彼女はソナタを振り返る。
 直後、背中に触れたルースの手の感触に、薄く笑みを浮かべ、桜色の唇を開いた。
「ティムに会った。ティムとラリスが並び立つ姿は壮観だな。あの男が、神を恨む気持ちもわからなくはない」
 わけがわからず、ソナタは返事ができなかった。
 軽い動作でルースから離れると同時に、彼の手を掴んで、スティールは歩き出す。
「スティール様?」
 弱々しいソナタの声に、スティールが気だるそうに振り返る。草色の瞳と、碧眼が交わった。
「まだわからないのか、箱入りのラデン王国第一王女」
 なにが、とソナタの唇が動いた。そこから音は奏でられない。
「これは我が国のモノだ。気が付かなかったか? 三年前から、密に連絡を取り合っていた。つまり、これはわが国のスパイだ。魔女のこと、異変、監視対象の様子、そして思わぬ収穫となった、ラデン国内の内政」
 ルースの手を離し、幼い王女がつかつかとソナタに歩み寄る。
「まさか、ラデン国王女と親密な関係になるとは思わなかった。これは私にとって思わぬ収穫。嬉しい誤算だ。礼を言う」
 言葉を失い、目を見開き、スティールを凝視するその目に向かって、スティールはこれでもかというほどに笑みを引き伸ばして微笑んだ。
「私も、なんとか首の皮が繋がった。本当に、感謝しているんだ」
 踵を返し、再びルースの元に戻ったスティールを、ソナタは再度呼び止める。
「待って」
 今度は、振り返らなかった。その背中に、震える声で問いかける。
「じゃぁ、……ティムは?」
 情けないほどに小さな声。
「あの子は違う」
 ぴしゃりとスティールは言い放った。
 その後姿を、ソナタはただ見つめる。
「気が付かなかったわけ無いだろう? ソナタ王女。貴方だって薄々勘付いていたはずだ」
「そんなの、嘘」
「何に対する否定だ? ティムの出生に関してか? 自分の頭脳に対する評価に関してか?」
「……」
「気が付かなかったはずは無い。これだけ似てない兄弟も珍しいと少しも思わなかったか。金の髪に琥珀の瞳、これらはシエスタ国人が持つ典型的な特徴だ。それに比べて、あの子は? 黒目黒髪。おかしいと思ったことは無いのか? あったはずだ、見てみぬフリをしただけだ」
「どうして」
 ソナタは言葉を途中で切り、ハッと目を見開いた。
「監視対象って……、まさか」
「そう、ティムのことだよ」
 震える言葉を、突然ルースが引き取った。身体半分だけ振り返り、冷たい表情を浮かべて。
「俺はあいつをずっと見張ってたんだ。そうシエスタ国王から命を受けていたから」
「嘘ついてたの? ずっと、あんな子どもの時から―――」
 ルースはニコリともしない。ただ、感情の無い表情で、ソナタを見ている。
「嘘をつき始めたのは、三年前からだ」
 わからない。ソナタはルースを見ていた。ずっとずっと見ていた。小さな頃から、この国に彼らがやってきた頃から。三年前に、突然何かが変わったなんて思わない。そう、訴えた。
「何が変わったのよ。三年前が何? その前だって、ずっと兄弟を演じてたんじゃない」
「俺は―――」
「それ以上語るなよ。許されない、お前も、私も」
 スティールの鋭い言葉に、ルースは口を閉ざした。
「ルース……」
 ソナタの口からこぼれたのは、そんな言葉だけだった。スティールは驚いたように振り返り、ソナタとルースを見比べる。
「ソナタ王女、今、コレをなんと?」
 言いように、不快さを隠さずソナタは眉を潜ませる。
「モノみたいな言い方はやめて下さい。彼を、ルースを、どうなさるおつもりですか」
「ルース?」
 スティールは顔を上げ、まじまじとルースの顔を見つめる。やがて、楽しそうにクスクスと笑い出した。
「何が―――」
 おかしいのです、というソナタの言葉も、遮られる。
「ルース、ルースか! これは面白い、傑作だ」
 王女とは思えぬ言葉遣いで、両手を広げてくるくると回りだす。その様子のみ、年相応の少女のようだった。突然つまずきぐらりと傾いた、今にも折れそうなほど細い身体を、ルースが手を伸ばして支える。そのルースの腕を、彼女は抱いた。
「これに名前など存在しないよ」
 言い捨て、ルースの手から離れて歩き出す。
 動かないルースに気が付き、スティールは不機嫌に「行くぞ」と呟いた。しばらくルースは床に視線を落としていたが、やがて歩き出す。
「待って下さい!」
 ソナタが叫ぶ。けれど、今度は二人とも立ち止まらなかった。
「……」
 何も言わずに、ラナイトまでもがその場から立ち去る。スティールたちとは反対の方向へ。けれど、ソナタ一人をその場に残して。
 ソナタはぎゅっと拳を作った。
「何よ……。なんなのよ―――」
 突然膝から崩れ、身体の沈んだソナタはその場に座り込む。支えてくれる者はおらず、作った拳を床に叩きつけた。
 涙に濡れはじめた表情のまま顔を上げ、前を見る。
「これから、どうしたらいいのよ」
 ばらばらになってしまった。
 村に残されたウィル。
 スティールに連れて行かれたルース。
 姿を消した、ティムとラリス。
 泣きそうになり、眼に力を込める。ぎゅっと目を閉じて、昨日の物語を思い出し、考えた。
 ラナイトの語った、神話。
 本当にあったと言う、物語を。


 「それ」に、今、この事態の秘密が隠されているのだと、ラナイトが言ったから。


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