「奇跡のきょうだい≠、知ってる?」
姉からの問いに、ボクは答えない。
「奇跡の、きょうだい=B私達は、愛されるために生まれたのよ」
生まれたばかりのボクを前に、幼い姉は無邪気に微笑んだ。
「ねぇ、ディル。貴方は世界を好きになるかしら。私が大嫌いなこの世界を、貴方は愛せるようになるかしら」
ボクは手を伸ばす。姉は優しくその手を包み込む。
「アリディリィ。世界の母の名を持つ、貴方なら」
漆黒を身にまとう、二人。
黒い瞳に黒い髪。
世界の誰も、持たない色。
百年に一度だけ生れ落ちる、二人だけの奇跡の色。
それは、けして逃げることのできない刻印。
そんな世界に、ボクは生きていた。
黒目黒髪を持つ僕は、屋根の上にいた。遠くに見える城を見て、小さく笑みを浮かべる。
「王女様、今日も元気かな」
「ディル」
階下からの呼び声に立ち上がる。たった一言、名前を呼ばれただけで指示を理解した。慣れた動作で窓から部屋に入り、壁にかけてある剣と荷物をその身に帯びた。
その上から外套を被り、急いで階下に降りる。
「お待たせしました、父様」
暗い茶の髪に、冷たく輝く濃緑の瞳。僕の父は、じっとこちらを見つめ、ふい、と視線を逸らした。何も言わずに、家を出る。その後を、ただ追った。
「今日は、どういったご用件なんですか?」
無邪気な問いかけに、父は何も返さない。それでもめげずに、言葉を重ねた。
「ここ最近、父様が登城なさるときは、いつも僕を従えますよね。何故ですか? 結局、僕は何も手伝うことなく、第一王女様と第二王女様のお話し相手をするばかりなんですが、本当にそれだけでよろしいんでしょうか?」
返事が貰えないとわかっているからこその、矢継ぎ早の問いかけ。
さて、次は何を言おうかと考える前に、予想外のことが起きた。
「ディル」
呼びかけに、意識を父へと集中させる。素早く返事をした。
「はい」
「姉のように、なりたいか?」
突然に問われ、一瞬言葉を失う。父親からこんな風に何かを聞かれることは、十年という短い半生の中で、記憶にある限り初めてのことだった。
「姉さん……?」
というのは、間違いなく一人しか思い浮かばない。
十代前半のうちから軍籍に身をおき、史上最短、最年少で士官学校を卒業後、やはり史上最年少で将校まで上り詰めた、魔道の天才である、七つ年上の姉。
現在は、南の国との戦争で、最前線の指揮官として、寝る間もなく働いているはずだ。
そんな姉を身内に持って、憧れないはずが無い。
けれど、このときばかりは返答の速さよりも、父の質問の真意が気になった。
「あの……」
「いや、いい」
父は短く、僕の言葉をさえぎった。返事が遅すぎたのだ。内心落ち込むが、すぐに気を取り直して口を開こうと顔を上げた。
「城で働け、ディル」
僕が言葉を発する前に、父の言葉が下りてきた。
「城で、両姫君の護衛官としての任に付け。これは、ウィッチ家当主としての、命だ」
二の句が告げなかった。
「本日を持って、国王直属の聖騎士、『セイクリッドナイツ』への入隊を、申請する。そのつもりで」
「父様……? 突然何を―――」
聖騎士、護衛官、姫君、国王直属。繋がれていたはずの言葉が、ばらばらになって僕の周囲を回り始める。
「僕は、戦士になるのではなかったんですか」
戦に、行くのでは? そのはずだったのでは? 今度は、重ねて問わない。
話が違う。自分が今まで王立学校に通っていたのは、父の命に背かず必死についていったのは、いつか姉と共に、姉の背中を守る剣として、戦場に立つのを夢見ていたからこそだ。
「前線がいつ突破されるかもわからない。お前は、王族を守る盾となれ」
違う、僕がなりたいのは、盾じゃない。王国の、姉の敵をなぎ払うために振るわれる、揺ぎ無い剣だ。
けして折れることの無い、姉のみが従えることを許される剣。最高の魔道士に送られる称号、『ドール』を守る、最高の騎士、『ナイト』。
ただ、それだけを目指してきたのに。
それなのに―――。
父親の背後で唇を噛んだ。俯いて、父親の言葉への反論を飲み下す。
「敵をなぎ払うのは、あいつに任せろ。ディル、お前は、お前が、国を守れ」
「御意、確かに承りました」
喚く心を噛み殺して、命に従った。夢は潰えた。ならば、心を殺そう。
我を失う前に、一族に歯向かう前に。
どれほどの望みを捨てることか、なんて。
あの父に、どれだけ訴えたって、きっと伝わらない。
ディルは父親の後ろに従いながら、空を仰いだ。
(姉に倣おう)
小さく唱えた。
かつて、泣き叫んだ姉を思い出す。戦になど行きたくない、と。人など殺したくない、と。
どこまでも優しかった姉を、思い出す。
聖王国ホーリー、その魔法軍に代々優秀な魔道士を輩出してきた名門貴族ウィッチ。王族に次ぐ権力を持つ、長としての父の力は絶大で、その子どもといえど、その子どもだからこそ、歯向かうことは許されなかった。
だから姉は、心を殺した。
心を殺して、人を殺した。
士官学校は史上最年少の最短で卒業し、その二年後には数十年に一度、もしくは、数百年に一度現われるか否かという、魔道士として最高の称号『ドール』を与えられた。
それまでに、姉がどれほどの犠牲を出したのか。僕は知らない。
だから、僕も心を殺した。
笑いたくなくても笑って、気に入らない命令にも従った。
それが義務だと。自分の、ウィッチとして生れ落ちた、義務なのだと、言い聞かせた。
士官学校で七年のカリキュラムを二年半で修了、卒業し、セイクリッドナイツとして正式に入隊を許可された。早々僕が守れといわれたのは、父が望んだとおり、砂糖菓子のような、誰からも大切にされ、愛されてきたであろう二人の王女。
第一王女シェリアと、第二王女ルシカ。改めて知る必要もない、何度も会っている。僕にとって馴染みある存在。
だからなのか、数日後の就任式の際、二人は顔を見合わせてクスリと笑った。
「ディル・ウィッチ。聖騎士として、お役目に励んでください」
「歓迎いたします」
年の離れた、よく似た姉妹はそう言って、僕に剣を授けた。
「ありがたき、幸せ」
本当に心を殺して、願いを捨てた、瞬間だった。
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