ひたすら白い世界に、一人でうずくまっていた。
こんなことになると、わかっていたのに。
予想していた、未来であるはずなのに。
自分は何故、この事態をこんなに嘆いているのだろうか。
彼女はふと、顔を上げた。
白い世界。
レースのカーテン、白い絨毯、白いテーブル、白いソファ。何もかもが真っ白の、それでいて全てが豪奢な部屋。
そんな中、彼女ひとりが、喪に服したかのような真っ黒のドレスを着て、部屋の隅にうずくまっていた。
「……」
彼女は、何も言わない。
白い世界は、四部屋で構成されていた。
現在いる、居間。夜眠るためだけに使う、寝室。暇な時訪れる、書斎、そして、食事をする際に使う、小さな部屋。
トイレもあった。入浴する以外、何も困らない部屋。
居間にある大きな窓の向こうにはテラスがあり、欄干には数羽の鳥がとまっていた。
一目見れば、まるで絵画の中のような、生活感の無い美しい部屋。
その隅に、異物のように、真っ黒な彼女はいる。
彼女は小さくて、折れそうなほど細い肩をむき出しにしていて、それでもなにか温かさを求めるわけも無く、ただ虚ろな目で宙を見ていた。
まるで人形のように。
やがて、彼女は立ち上がる、突然動いたためにもつれた足。音も無く、彼女はその場に倒れた。
しばらくの静寂の後、ノロノロと彼女は再び立ち上がった。ふと、動きを止め、ゆっくりと視線を下げる。袖が無く、腰の辺りの膨らみも無い、質素なドレスを見下ろして、彼女は声も無く顔を歪ませた。
そして、歩き出す。部屋の中を行ったりきたりして、全ての部屋を見終えて、やはりノロノロと、力なくソファに沈み込んだ。
そのまま、静寂。
ネジの切れたおもちゃのようにうつむいて、彼女はしばらく動かなかった。
「起きたかい」
声と共に、扉がノックされた。跳ねるように飛び起きて、彼女は扉から最大限の距離をとる。
「やぁ、久しぶり」
返事もしないうちに扉は開かれ、現れたのは、白い髪、灰褐色の瞳を持つ、青年。
高価な服に身を包んだ、貴族のような青年は、静かに彼女へと歩み寄った。
「覚えてる? わかるかな。俺だよ、―――だよ」
優しげな声で、青年は彼女へと手を伸ばした。その手が頬に触れた瞬間、彼女がぴくりと震える。
「久しぶり」
青年は笑った。無邪気に、本当に嬉しそうに、笑った。
頬に触れていた手が、ゆっくりと彼女の茶色い髪へと移される。
「会いたかった」
彼女の漆黒の瞳は、虚ろから恐怖へと彩られる。
「―――」
「っ!」
名前を呼ばれ、彼女は声にならない悲鳴をあげた。
***
ティムは室内を見渡しながら、息を吐いた。
「……ここどこだっけ」
そうぼやけば、水を持ってきたアウルは、やはり呆れたようにティムを見た。彼の発した問いには答えず、全く関係のない問いをする。
「記憶、戻ったって?」
眼を伏せて、アウルはティムに水の入ったカップを手渡す。ティムはお礼を言いながら、受け取った。
受け取りつつも、目の前の少年の口ぶりに混乱する。
記憶のことを、なぜ見ず知らずの少年が口にするのか。
「僕、お城にいたはずで」
「女の子一人連れて逃げ出してきた」
促されるように、思い出す。ティムは、そうそう、とうなずいた。
「それで―――、あれ?」
えーと、不思議な夢を見た。とある少年の話。黒い髪は、奇跡の子どもで、寿命が―――。
いやなことを思い出して、首を振る。
どうなったんだ。
結局わからず、首を傾げるティム。横目にそれを見ながら、アウルは椅子に座った。
「ここはラークワーナ代表貴族の屋敷。あんたは屋敷郡の入り口に、倒れてた。女の子が、あんたの傍で泣きそうな顔をしてた」
女の子。アウルの言葉を復唱して、ハッと顔を上げる。
「そうだ、ラリス!」
ラリス? と不思議そうな声の後、アウルはすぐに答えた。
「別の部屋で休んでる。あとで会わせる」
間髪いれずに答えを得られ、ティムはホッと息をつく。
「そっか。それで、僕は倒れてたんだ?」
なんで。
「ききたいのはこっち」
ティムの胸の内を読んでか、アウルは伺うようにティムを見ながら言った。
「ここは、あんたが昔住んでた屋敷だよ」
「えっ!」
驚いて、思わず身を起こす。そんなことまで、まだ思い出してはいない。
「ってことは、ドゥーノさんの……」
「そう。ここは、ドゥーノの屋敷」
じっ、とティムはアウルを見る。
「ドゥーノさんのこと、知ってるの?」
「なぜ?」
知ってるも何も。目の前の表情は、そう言いたげだった。
気がついていないのかな、とティムは微笑む。
「顔が笑ってるから」
「……」
固まった表情が心底おかしくて、ティムは声を立てて笑い出す。
「笑うな」
「ごめん」
それでも笑ったまま、ティムは枕元にあったクッションを腰に当て、いずまいを正した。
「僕、ここにいつまでいたの」
「六歳、と聴いてる」
間接的な言い方に、質問を重ねる。
「その頃、アウルと僕は知り合いだった?」
「さぁ」
「さぁって、覚えてないの?」
「五歳の頃の記憶なんて、無い。曖昧だ」
普通。とアウルは付け足した。そういうものか、とティムはうなずき、同時に、彼が自分より一つ下なのだと知る。ひとまず、じゃぁ、と続けた。
「もしかして、はじめまして、じゃ無かったのかな」
さぁ、と、アウルはまた言った。素っ気無い返事ばかりだが、何か言っても返事をしないことはない、不思議な感じだ。
揺らせば響く、鈴のような。
穏やかな、声。
「生まれたときから、この屋敷郡に。ここを離れたのは、あんた達が出てすぐ」
複数形で言われて、姉であるセーラのことだとティムは察した。
何故、ここを出て行くことになったのだろうか。とか、今はあえてそこまで問い詰めたりせずに、そっか、と返す。
「元気になったなら、彼女に会うといい。日、暮れてないから。馬車を出せばすぐ城に戻れる。ここにいたいなら、何日でもいればいい」
そして、アウルは立ち上がり、扉から顔だけ出して廊下を伺う。振り返って、ティムを見た。
「どうする?」
ティムは、いつものようにへらりと笑う。
まさか、ドゥーノの屋敷に、今の自分がいるなんて。
「……ティム、大丈夫かな」
ラリスは息を吐いて、膝を抱えた。
小さな客室に案内されて、ティムは別室に連れて行かれた。一人残され、若い女の使用人に寝る仕度をさせられた。まだ、朝になったばかりだというのに。
ティムと引き離された理由も、寝る仕度をさせられたのも、自分の顔色が悪いからだということに、ラリスは気が付かない。
こんなことになった理由を、ラリスは必死に探す。最悪の事態ではないけれど、予定にはない出来事だった。
ソナタに言われて服を着替えたあと、ラリスは逃げ出した。女の子の格好を、ティムに見られたくなかった。
『どうしてよ』
結局、ソナタの問いには答えずに走り出してしまったけれど。
離宮を出た辺り、小さな庭園の中で、スティールに出会った。シエスタの、第八王女。十歳にもなっていない少女に見つめられて、ラリスは動けなくなった。
目を閉じる。王女の声が、言葉が、耳から離れない。
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