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■神様の歌■第四章■第2話■

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 パタパタと、静かな宮殿内を年頃の少女が走る。誰かに目撃されれば咎められるだろうに、誰もいない回廊をドレス姿で走っていた。
 前方の突き当りを、右から左へ通り抜ける金髪姿にあっ、と声をあげる。
「ルーセント!」
 声をあげたとたん、金髪の青年は歩みを止めた。けれどこちらを見ない。キッと眉を上げて、少女―――シンシア・フィリス・セイクリッドは、青年を睨みつけた。
「久しぶりね、二ヶ月ぶり? たしか、前に会ったのがあんたの誕生日が終わってすぐの頃で、もうすぐクロウ様の誕生日でしょ? あ、それじゃ三ヶ月ぶりくらい?」
 首をかしげて、ね? と問うてくるシンシアに、彼は返事をしなかった。
 代わりに迷惑そうな目を向ける。
 むっとして、シンシアは両手を腰に当てた。
「何よ」
「死んだ子どもの名で、俺を呼ぶな」
「あんたの名前でしょ? 『ルーセント』って、あんたがお母様からいただいた名前。それとも、お父様からいただいた名前のほうがお好みかしら。ねぇ、ルース?」
 シンシアの両目に光る、暁色がルースを睨んだ。ルースは静かに視線を逸らす。
「なんで、そんなこと知ってるんだ」
「わたしはね、ダリスと同じくらいの事実を掴んだのよ。ラデン王家のことも、奇跡の姉弟のことも、世界の要のことも、全部手の中にいれたわ。唯一知らないのは、過去の話。絶対神セイカのことと、守護神ソナタのことと、ウィルのことだけ。でも、それには興味ないから、かまわないの。探りを入れる気もない。わたしはね、ルーセント」
 微笑を浮かべて、下からルースを覗き込む。
「神子の辿る、幸せな結末を見たいの。世界と神との契約なんて知らないわ。セーラ≠ェ幸せになることを、願ってるのよ」
 ルースは何も言い返さなかった。ただシンシアを見ている。
「それでね、ルース」
 にこっと、彼女は微笑んで、
「このっ―――バカッ」
 ルースが反応する間も与えずに、右手を振り上げた。

 乾いた音が、響く。

 大きく息を吐くシンシア、何も言わないルース。キッとシンシアはルースを睨み、叫んだ。
「殴ったわよ!」
 盛大にシンシアは宣言した。左手を腰に当て、右手はルースの頬をひっぱたいた形のままで。
 後ろにのけぞり、壁に背中を打ちつけたルースは、ずるずるとそのまま座り込んだ。
「殴るぞって言えよ、殴る前に。普通そうだろ」
 低い声の呟きにも、威圧感は覚えない。シンシアは盛大にため息をついた。ルースを見下ろし、両手を腰に当てる。
「どうして、手を離したりしたの」
「……」
「わたし、忠告したわよねぇ?」
「……」
 どうあっても目をあわせようとしないルースの傍らに、シンシアは膝をついた。
「ばーか」
 ひとつ、呟く。
「うるさい」
 くすりと笑って、シンシアは両手を耳元に当てた。
「ばーかばーか。あばばばばばばば」
 文句と同時に指を動かす。ルースはちらりとそれを見て、視線が止まった。発言も行動も、一国の筆頭貴族のご夫人がするものではない。
「あのな」
 呆れて肩を落とす。言葉をシンシアに投げかけようとした時、シンシアの指が数本、ルースの口元を覆った。
「肩の力、抜けた?」
「シア―――」
「お礼はそうね、セーラの、『本当の笑顔』で、良いわよ」
 彼女は晴れ晴れと笑って、立ち上がった。


「そうだ、ティムに伝言お願いしていい?」
「ティムに?」
 会う機会が、この先あるだろうか。ルースには、この国から出る気はもうほとんど無いに等しい。そして、ティムがこの国に来る理由もない。それなら―――。
「問答無用よ。あんたはティムに、わたしからの伝言を渡すの」
 彼女らしい言いように、ルースは息を吐いた。
「何だよ」
 結局、その要求をのむことにする。
 シンシアは表情を輝かせた。
「じゃ、お願いね。『わたしの子どもの、名前を考えておいて欲しい』って、そう伝えて」
「……」
 内容を、ルースは声に出さず何度も反芻した。じっと見つめるのは、ひとつ年下の少女の瞳。古代紫を見つめ、やがて視線は彼女のおなかへ下がっていく。
「……まさか」
「まさか」
 やはり、彼女は笑った。
「いつかの話」
 ルースはシンシアをじっと見た。当然の問いを口にする。
「……なんで、ティムに?」
「一番可能性があるのは、あの子なの。強いて言うなら、保険かしら」
 意味深に呟いて、シンシアは微笑んで、そして身を翻した。ひらひらと手を振りながら、さっさと角を曲がって、ルースの視界から消えようとする。
「まてよ、シア」
 引き止められても、シンシアは待たなかった。ルースから遠ざかって、息を吐く。
「セーラが幸せになるには、あと何が必要?」
 考えて、眉を寄せる。
「足りないわ、全然足りない。でも、どうしたら良いかわからない」
 このままじゃ、とシンシアは拳を作る。
「セーラも、世界のため、なんてばかげた理由で、死んでしまう」
 これまでの、神子と同じように。セイカと、同じように。
 考えて、一つだけ可能性を思い出す。
「ウィリアム……か」
 その名を持つ者がしたことは、何も知らないからこそ成しえた唯一の、神子達の希望だった。けれど、あんな方法でセーラが笑えるとは思えない。シンシアは少ししか知らないけれど、それでも、考えていけばひとつの仮説にたどり着く。
「史上で唯一、異例の、奇跡の姉弟の双子。―――順番が違えば、兄となっていたウィリアム。姉の身代わりになった、何も知らなかった少年。どうして彼は―――」
「そんな昔話、突然どうしました?」
 背後からの優しい声に、シンシアは振り返らずに肩の力を抜いた。


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