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■神様の歌■第四章■第3話■

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 静かな朝だった。空は晴れ渡り、鳥達がエサを目当てに屋敷を訪れる。
 一人の使用人は、黒髪の少年が眠る部屋の扉を軽く叩いた。返事はなく、苦笑しながら静かに扉を開く。
 眠っていた。黒髪の少年ティムは静かに、あの頃の面影を残して、あの頃のままの寝顔で。
「起きてください。ティム様」
 肩を叩きながら、使用人がそう囁けば、小さく返事が帰ってきた。
「起きてください」
「はい、起きます。起きますから」
 もうちょっと待って。その寝ぼけた言葉さえ、以前ここにいた頃のものと変わっていなかった。だから、使用人はかつてと同じ返事をする。わかりました、待ちましょう。と。
 しばらくして身を起こしたティムは、使用人の顔を見上げた。
 少しの沈黙の後、首をかしげて問うて来る。
「ラリスは?」
 起きて最初にそう呟いた、何よりもまず姉を欲した、少年。
 実際何を思ってそう問うてくるのかわからないため、使用人は複雑な気持ちで、ティムをラリスの眠る部屋へと案内するべく着替えを手渡した。そうして使用人は廊下に出てティムを待つことにした。
 朝の準備を済ませたティムが、部屋から出てくる。
「ご案内します」
 使用人がそう言うと、ティムは嬉しそうにうなずいた。
 しばらく無言で歩いていると、ティムが使用人の袖を引いた。
「ねぇ」
 じっと見上げてくる黒い瞳を使用人は同様に見返す。
「あなたも、昔の僕を知ってるの?」
「もちろんですとも」
 不安そうな声の問いに対して柔らかに答えると、ティムはくすぐったそうに微笑んだ。その笑みは、昔と寸分変わりなく、なおさら胸が締め付けられる。
(この子は、変わっていないのか)
 落胆にも似た気持ちで、思った。
 この少年が、古より語り継がれる、第二のウィリアム≠ノなってしまう可能性を、心の底から怖れた。




 こちらですよ。初老の男性にそう示され、ティムは扉を見た。
 一度、ここまで案内をしてくれた使用人らしい老人を振り返り、頭を下げる。
 そっと扉を押し開いた。
「……ラリス?」
 呟いて、開けたままの扉の向こうにいる老人を振り返る。苦笑が帰ってきた。
「まだ、寝てる?」
「はい。彼女は、ベッドから降りていません」
「どこか、悪いの?」
 ティムの問いに、老人はすぐには答えなかった。
「これで、良いのですよ。これが、正しいのです」
 その言葉に納得できず、ティムは首をかしげる。室内を見渡せば、部屋の隅にアウルが座り込んでいた。
「アウル?」
 呼びかけて駆け寄れば、彼も眠っている。ティムはもう一度、老人を振り返った。
「彼は、起こしましょう。部屋にいなかったので、どこに行ったものかと心配していました」
 言葉の通りに、ティムはアウルを揺り起こした。すぐにアウルは目を醒ます。
「……」
 無言のアウルに、ティムは笑顔を浮かべた。
「おはよう、アウル」
「……」
 アウルはやはり何も言わないまま、ティムの手に引かれてノロノロと立ち上がる。寝台の上にいるラリスを見て、表情を少しだけ緩めた。
「―――ん」
 声とともに、ラリスの瞼が少しだけ動いた。ティムがそっと寝台に近寄る。
「ラリス、起きて」
 小さな声で囁けば、ラリスの瞼がゆっくりと開かれた。しばらく焦点の合わない視線を宙に浮かべてはいたが、やがてしっかりとティムを視界に納める。
「ティム? えっと」
 言いながら、ラリスは視線を動かし、老人とアウルを視界に入れる。やがて、こぼれるように微笑んだ。
「誰かのいる部屋で目を醒ましたの、久しぶり」
 そっか、とティムは笑みを返した。ラリスの眠る寝台に腰掛ける。ティムのほうへ伸ばされたラリスの腕を取り、彼女が身体を起こすのを手伝う。
 ふ、と間近で視線が合って、一瞬の沈黙が訪れた。何かの前触れのような、一瞬の空白。老人とアウルが二人を見守る中で、どちらからということも無く、二人はそっと抱き合った。
「……ぇ」
 小さな声をあげたアウルの横で、老人も驚いたように目を見開く。けれどそんなことを気にせずに、姉弟である二人は、じっと互いの体温を感じていた。


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