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■神様の歌■第四章■第3話■

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 まるで縋りつくようにして自分を抱きしめてくる弟の髪を、ラリスはすくようにして優しくなでる。
「どこまで知ったの?」
 唐突なラリスの問いに答えずに、ぎゅっとティムは腕に力を込めた。苦笑して、肩越しに、固まっているアウルと老人を見る。
 ラリスの視線に促されて、二人は――アウルは老人に促されるようにして――退室した。
「夢を見たでしょう?」
 その言葉を聴いて、ティムはゆっくりとラリスから身体を離した。けれど、その腕はいまだラリスの背中に回っており、完全にはラリスを放そうとしない。額と額がくっつきそうな距離で、囁きあう。
「それ、アウルも言ってた。どうして、僕が夢を見たこと、知ってるの?」
「ティムが、この家で、眠ったからだよ」
 ティムの肩に頭を乗せて、ラリスは囁いた。
「ねぇ、ティム。自分の記憶が、意図的に封じられていたことに気付いてる?」
「……うすうす。だけど、断片的にしかわからない。僕は、僕を知らない」
 そうだね、とラリスは返した。しばらく、そのままの状態で沈黙する。
「僕は、奇跡の姉弟の、弟なんだって」
「うん」
「どこにいるかもわからない姉さんが、生贄にされてしまうかもしれないんだ」
「……うん」
「姉さんを、探さないといけない。世界と引き換えなんて、おかしいよ」
 真剣な声で呟く弟の肩から、当の姉は泣きそうな顔を上げた。じっと、その漆黒の瞳を覗き込む。
「探すって、どこを?」
 同じく漆黒の瞳を見返しながら、ティムは答えに詰まった。目の前の少女が泣きそうな顔をしていることが、たまらなくつらかった。
 そして、その言葉はもっともだった。大陸の隅々を探していたら、何十年かかるか知れない。大陸中央部の聖域も探すとなると、その捜索範囲は倍以上に跳ね上がる。
 見つける前に、時が来れば――。
「世界と引き換えに死ぬのが、そんなにおかしい? だから、ティムはお姉さんを探すの? 助けるために? そのせいで、世界が壊れてしまっても?」
「――わからないよ、そんなの」
 ティムは困ったように笑いながらそう言った。ラリスは、このとき彼がついた嘘に気付かなかった。不自然に明るく言ったティムを不思議に思わず、続く言葉を黙って聴いた。
「そうだね、その辺はあんまり考えて無いんだ。だから、死んじゃう前に、姉さんに会いたい。今考えてるのは、それだけだよ。どこかにいるんでしょう?」
 弟のついた優しい嘘に、この時のラリスは気付かなかった。
 ただ、優しく微笑んで、ティムを見つめる。
「ティムの記憶はね、ゆるく封じられてたんだ。魔女の手で。きっかけがあれば簡単に花開くような、簡単な封印」
 だから、母親を見た最期と同じ景色を目にして簡単にたががはずれた。けれど、幼心にそれは衝撃的なもので、当時も、幼いティムは何日も目を醒まさなかった。それ以来、母親の話はなくなった。
「ティムと、セーラはね、母親が亡くなってからこの屋敷に住むようになったんだよ」
「? そうなの」
「うん。それまでは、ラークワーナのお城に住んでた」
「……どうして?」
 率直なティムの質問に、ラリスは困ったように笑った。
「奇跡の姉弟ってね、母親にとっては産みたくない存在なんだって。そりゃ、そうだよ。生贄として、生まれるんだもん。何よりも愛しい我が子が、世界と引き換えなんて、嫌でしょう? だから、セーラの母親も、黒髪の女の子が生まれたら、死んでやるって、ずっと言ってたらしいんだ。小さな頃から、ずっと。弟なんて産まない。姉弟になんかしないって」
 沈黙するティムを見ずに、ラリスは続ける。
「でも、生まれたのは黒髪の女の子だった。なら、奇跡の姉弟の姉だ。弟を産むまで、死なれるわけにはいかなかった」
「だから――お城?」
 そう。とラリスはうなずく。
「産まれたのは男の子だけれど、身体に欠陥があるからとか何とか、理由をつけて、嘘を重ねて、城があずかることになった。ドゥーノも、母親も、奇跡の姉弟が既に生まれただなんて知らない。けど、未成熟の子どもが生まれてくることはよくあることだから、お城のお医者様に任せれば間違いないだろうってことで、二人とも納得したんだ」
 そっか、とティムは額を押さえた。辛そうなティムを感じながら、ラリスは語るのを止める。後は、きっとティムは知っているだろう。と。
 ティムが生まれて、同じように城に預けられて、不審に思った母親が城に忍び込んで、ティムとセーラを見つけて、そして――。
 その場面を、ラリスは覚えていない。ドゥーノに目隠しをされていたのだろうと思うけれど、ティムが覚えていて、消えない傷として心に残っているのだと思うと辛かった。その痛みは知らないから、ラリスは分かち合えない。
「ねぇ、ラリス」
「ん? わっ」
 返事をするかしないかのところで、再びきゅ、と腕に力を込められ、ラリスはそれ以上言葉を続けられない。男子特有の力強い腕に、大きくなったなぁなどとラリスはぼんやり思った。そして違和感もなく、自然な動きでその背中に手を回そうと、手を伸ばす。
「どうして、君がそんなことを知ってるの」
 不思議そうな声をしたティムの問いかけに、ラリスの手が止まった。
「それは」
 明かしてしまおうか、ここで。
 ささやきに、ラリスは心中でかぶりを振った。そんなこと、できるわけがない。自分はこれでいい。正体を明かすことなく、ティムの傍にいて、セーラ≠フ意思を、それとなく伝えられれば。助けられなかっただとか、見殺しにしてしまっただとか、そんな罪悪感を、優しい弟に抱いてほしくなどなかった。
「村の住人だからだよ」
 笑みを湛えて、ラリスは言う。伸ばした手を、しっかりとティムの背中に回して。お互いの顔は見えなかったけれど、恐らくラリスの戸惑いなど一片も見えなかったことだろう。
「村の住人はね、世界の全てを掌握してるの。いろんなこと、知ってるんだよ」
 そっか、と、納得してないティムの声がした。ラリスは苦笑して、身体をティムに預ける。ティムの手が、ラリスの髪に触れた。
「ラリス、髪伸びたね」
「うん。村を出てからずっと、切ってないから」
「切らないでね」
 え、とラリスは首をかしげた。なぜ、ティムがそんなことを言うんだろう。
「どうして?」
 だから率直にそう問えば、え、と戸惑ったような声が聞こえた。
「どうして……って。えーと、なんとなく」
「うん、わかった。いいよ。しばらく切らない」
 男装をしていたのは、セーラの役目を忘れたかったからだ。ティムが何かの拍子に思い出してしまうのが怖かったからだ。
 けれど、もう、そんな心配はないし、これ以上逃れられるはずも無い。覚悟は決まった。もう何も怖くない。
「ところでティム、朝ごはんはもう食べた?」
「まだだよ?」
 返答に、ラリスは笑った。
「なら、一緒に食べよう。もう、歩けると思うから。えっと、着替えるからさ、部屋出ててもらえる?」
 ソナタがこの光景を見たら、なんて言うだろう。ラリスは笑いをかみ殺して、ティムからそっと離れた。
「わかった」
 頓着せずにうなずいて、ティムは寝台から立ち上がる、あとでね、と部屋を出て行った。
 ラリスは一息ついて、立ち上がる。さて、と衣装棚を開いた。


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