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■神様の歌■第四章■第3話■

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 用意が済み、部屋から出ると、そこにティムの姿はなかった。
「アウル? ティムは?」
 そう問えば、憮然とした表情でアウルは廊下の向こうを見やる。
「食事の用意、手伝いに」
「あぁ……」
 ティムならやりそうだ。使用人がいるからといって人任せにする性質ではない。
 ラリスはそう思いながら、老人に向き直った。
「おはようございます、バスチスさん。これ、変じゃないよね?」
 そう言って着ている衣服を示せば、この屋敷に長く仕えているバスチスは目を細めた。
「ええ、セーラ様。よくお似合いです。言って下されば侍女をお呼びしましたが」
「一人で着れるから平気だって。あ、ティムの前で名前を呼ばないでね。あの子、まだ知らないから」
 そう念を押せば、バスチスは驚いたように目を見張った。
「―――なぜ」
「なぜって、ええと、その―――。できれば、一生、知られないままがいいな、なんて。だめ? どうせ、あと二年……、三年も無いんだし?」
 苦笑交じりにそう言っても、バスチスは首を縦に振らなかった。なぜですか、と、重ねてそう問うて来る。あえて明るく、ラリスは答えた。
「何もかも知らなかったら、ウィリアム≠ノなることも無いでしょ」
 身を翻して食堂へ向かった少女の後姿を見ながら、バスチスは息を吐く。
「知らなかったからこそ、ウィリアム≠ヘ、ああなってしまったのではないですか」
 小さな呟きを、アウルは黙って聞いていた。



 食堂にやってきたラリスは、厨房で楽しそうに手伝いをしているティムの声に、目を閉じた。食堂に続く扉の前の壁に背を預けて、軽く裾を叩く。やはり、女物の衣装がまだ慣れなかった。
「ティムが、好きになったら?」
 すぐそばから聞こえた声に、ラリスは背中を浮かせた。
 振り向いて、そこにいたアウルを見上げる。
「……」
 何を危惧しているのか。ラリスは内心で笑った。アウルは、もし実の弟であるティムが、ラリスに恋をしたらどうすると、そんなことを問いかけてきている。
 ラリスの向けた視線に、アウルは何も言わなかった。ラリスは小さく笑って再び壁に背を預ける。 「ありえない、かな」
「どうして」
 アウルの言葉は早かった。
「ティムはね、史上最強と言われた魔女に、恋をしてるから」
「史上、最強?」
 わからない、と言うように、アウルは眉をひそめた。うん、とラリスはうなずく。
「ウィル・ズ・ドール? それより上の。一族でない存在?」
 アウルの短い言葉は、会話を理解しなければ繋ぎ合わせるのに苦労する。
 史上最強の魔女と謳われた、ウィル・ズ・ドール。彼女は三百年以上も前に存在した少女で、この世に存在しているはずがない。それならば、今の世にそれ以上の逸材が現れたと言うことか。それも、唯一強い魔力を有する、奇跡の姉弟以外で。
 けれど、真実は違う。
「その、史上最強のウィルが、ラデンにいるんだ」
 アウルの目が見開かれた。馬鹿な、とその表情が言っている。
「生きていた?」
「どういうことなのか、わからないんだ。魔女は何か知ってるかな」
 三百年も生きていたはずがない。黒い髪の娘なら、必ず世界に捧げられていたはずなのだ。それなのに、なぜウィルは今、この時代に生きているのか。
「……世界に捧げられたら、時を越えて人生をやり直す。なんて」
 乾いた笑いを漏らす。そんなラリスを、アウルはにらみつけた。冗談だよ、とラリスは返す。調理場から料理を手にやってきたティムに、視線を向けた。
「そんな期待なんて、当に失せてる」


 三人でテーブルを囲み、朝食を始めた。しばらく黙々と食事をしていたが、やがてティムが口を開く。
「一度、ラデンに行こうかと思ってるんだ」
「え」
 その発言に、ラリスは食事の手を止め、アウルは視線をティムに向けた。
「ティムが行けばすぐ――」
「捕まるだろうね。ソナタが消えたのと同時期に姿を消し、なおかつそのお姫様のご友人。ってことで」  穏やかに笑むティムは、誰にも反論させる隙を与えない。
「村にも行きたいんだ。図書館に行って、村に行きたい」
「図書館?」
 思いもしなかった単語に、ラリスは首をかしげる。うん、とティムはうなずいた。
「ジンさんのことを調べる。図書館には、長期滞在を決めた流れ者や、国民の出生者の記録があるはずだから」
 眉をひそめれば、ティムは視線を逸らした。
「ジンさんの黒髪は、この世界じゃ不自然すぎるよ」
 以前、ダリスが言っていた。ソナタは否定したけれど、あれからずっとティムは気になっている。
「それから……」
 今まで直視してこなかったことに、真正面から向き合って、ティムがとうとう真実を追い始めた。
「ソナタの叔父さんに、会わなきゃ」


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