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■天体観測■流河 はじまり■

■2■
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 目を開ける。右隣に、制服を着た少女が膝をついて座っていた。
「ねえ、何してるの? 風邪ひくよ?」
 肩につくほど長さの黒髪。サイドだけ拾ってくくっているそれが、言葉とともにぴょんと揺れる。首を傾げたのかもしれないが、寒さのあまり身動きできていない。
 制服を着た。流河の知っている、その制服。つまりは、流河と同じ高校の、制服。見てわかる。上に何も羽織っていない。そこまで認識すると、むくりとその場から起き上がった。その辺に放っていた厚手の上着を、かたかたと震え、たった一つの仕草も満足に行えていないその少女に頭からかぶせる。
「う……?」
 きょとんと瞬く少女を無視して、流河は歩き出した。寝っ転がっていたところよりも、少し離れた位置。ちょこんと鎮座している、天体望遠鏡の元へ。
 少女が、流河の上着を羽織り、前をかき合わせながら、追いかけてくる。「あったかい」と表情を緩ませるのを、流河は不思議そうに見つめた。
 視線に気がついた少女が問いかけてくる。ぴょん、と、サイドの髪がまた、跳ねた。今度は、ちゃんと首を傾げて。
「それ、君のなの?」
「あんた誰」
 問いに被さるよう吐き出された硬質な言葉に、少女は口を閉ざす。
 きょとんとしばらく瞬いていたかと思えば、ふわりと笑みを浮かべた。
「あまな」
 そう言って、あまなはその場に膝を抱えて座り込んだ。
 普通の少女だ。見た目だけでいろいろな噂をされる流河とは違った、普通の少女。
 あまなと名乗った少女は、どこか嬉しそうに、流河を見上げていた。流河は顔を背け、天体望遠鏡のレンズを覗き込む。
「何してたの?」
 そう問いかける声がきこえた。今度は振り向かず、半ば上の空で答える。
「星、見てただけだ」
 少しだけ間があった。その間を疑問に思う間もなく、あまなの楽しそうな声が返る。
「天体観測?」
「……難しくいえば、それ」
 難しくないよ。と、あまなが笑った。
 耳障りのいい、控えめな笑い声。
 ふぅと息を吐いて、流河はあまなを振り返る。振り返り目が合うと、あまなはきょとんと流河を見つめたまま固まった。
 どうしたんだろうと見ていると、やがてぎこちなく動き出す。あまなは視線を天体望遠鏡にそそいだ。
「ね、見せて」
「だめ」
 流河の即答に、「なんでっ」とあまなが小さな声を上げる。答えず、宇宙を見上げた。

 ただ一心に、冬の夜空を。白い吐息が口からこぼれて、夜空に上っていく。
 流河がけしていくことのできない、宇宙へ。

 その動きはどこか寒さに強張っている風にも見え、流河は天体望遠鏡を解体し始めた。
「あれっ」
 驚いたように、あまなが天体望遠鏡とそれを解体している流河の周りをまわりはじめた。「なんで」や「どうして」と小声でいいながら。
「帰っちゃうの?」
 うなずいた。無言でケースに収めていく。その様子を、あまなはじっと見つめていた。
 ケースのひもを肩にかけ、流河は歩き出す。その後ろを、あまながゆっくりとついてきた。河川敷から土手を上ったところで、振り返る。かじかんだ手をついて、あまなも斜面を登っていた。
(向こうの階段、上ればいいのに)
 ため息をついて天体望遠鏡のケースをそっと足下に置く。それから、手を伸ばした。引き上げるようにしてあまなを立たせる。驚いた顔を浮かべる彼女から手を離して、視線をそらした。
「どっち」
「へ」
「家、どっち」
 流河の問いの意図が分からず、あまなは瞬いたまま「あっち、かな」と左手の方を指差す。
 ケースを再び肩に担いで、「送る」と流河は言い歩き出した。「え」と驚いたようなあまなの声は無視した。
「そ、そんな、悪いよ」そういいかけ、「あぅっ。そうじゃなくて、今の無し無し」とあわてて付け足した。
 小走りに流河目の前に回り込んで、へへ、と彼女は笑った。
「ありがとう」

 それから、ぽつりぽつりと言葉を交わす。
 流河はあまなが同じ学校というところまではわかっていたが、それ以上は聞かなかった。興味が無かった。
 あまなが一方的にしてくる問いに、ただ答える。例えば、いつから星を見ているかとか、この時期の星はどんなものがあるだとか。神話の話になったが、流河は詳しくなかったためパスした。

 しばらく歩いて、先を歩いていたあまながぴたりと立ち止まる。
「ここでいいよ。もう近くだから」
 言って、じゃあね、とあまなは手を振り上げた。
「またね!」
 言って、足早に角を曲がってしまう。流河はしばらくその場にとどまり、あぁ、と声を上げた。
(上着、もってかれたな)
 そして、首を傾げる。
(また、か)
 明日も、河原にくるつもりなのだろうか。
 流河が星を見る場所は、日によって違う。きまぐれに、あちこちを真夜中に天体望遠鏡を担いでまわるのだ。
 加えて、すでに流河はあまなの顔を覚えていない。
 すれ違ったとしても、わからない。
(もう、会うことも無い、だろうな)
 忘れていくのだろう。この出会いも。
 そんなことを思いながら、流河は身を翻して、帰路についた。

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