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■天体観測■流河 はじまり■

■5■
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 河原で横たわる。開けた視界には、一杯に広がる星空しか無い。
 日に日に下がる気温と、輝きを増していくかのような夜空とを思い浮かべて、このまま眠ってしまおうかとしゃれにもならない考えが、流河の脳裏をよぎった。
「またきたのか」
「風邪引くよ……?」
 心底呆れた声とともに、制服姿の天南が姿を現した。流河は身を起こすことなく、じっと宇宙を見つめている。
 傍らに膝をついて覗き込む天南を、鬱陶しそうに追い払った。
 その仕草に怯みながらも、小さく声を上げ、天南は夜空を仰ぎ見る。
「見てるから、邪魔、しちゃ駄目なんだね」
 流河は答えなかった。それが肯定だった。
 しん、とした空気の中で、流河が溜め込んでいたらしい息を吐く。白い吐息は上へと上り、天南は何も言わずに視線で追った。
 この町は大して田舎でもなんでもないが、特に都会というわけでもない。そこそこに人が住んでて、そこそこに店があって、そこそこ学校があって活気ある。人が息をしている。ただそれだけの町だ。
 だから、この河原がこんなに静かなのは不自然と言えばそうかもしれない。時折近くを車が通るが、その音もどこか遠い。
「音、吸収されてるみたい」
 天南が囁くように言った。あり得るわけがないのだけれど、まるで、星の輝きが音を吸収し、静寂を生み出しているかのような。
 物音一つ立てることさえ、拒まれるかのような。
 ふるり、と寒気に身を震わせた。
「りゅーが」
 流河の隣に座り込んだままの天南が、小さな声で囁いた。
「ね、りゅうが」
「何」
 二回目の呼びかけに、流河の返事は短かった。視線は夜空。ただ、ひたすら、じっと見つめている。
 邪魔をするのははばかられた、だから、天南はこれっきりと決めて、言う。
「流河って呼ぶ」
 なんで、とわざわざ流河に問いかけさせることはしない。
「君が、あまなって呼ぶから、私は流河って呼ぶ」
 それだけ、と天南は言って、流河の隣に寝転んだ。二人で、黙って星を見る。
 田舎で、街灯も少なくて、だからこそ、星がよく見えるこの河原で。たった二人、静寂の中、世界に取り残されたかのようなそんな気持ちになりながら、天南は空を見ていた。真上にカペラ、それた位置にふたご座とオリオン座。星が輝く夜空は美しかった。
 それと同時に、寂しいと思った。
 隣にいる流河を思って、天南は、たまらなく寂しいと。ずっと、この人は、こんな風に寂しい世界に焦がれ続けているのだろうか。
(だって、知ってる。ずっとずっと。幼稚園の頃、図書室で、星座の図鑑を開いてたのを、知ってる)
 小さすぎてあまり覚えていないけれど、星図をじっと見つめていた、幼い流河を、天南は覚えていた。

 長い間空を眺めていた流河は、やがてゆっくりと体を起こす。今日は天体望遠鏡を持ってきていない。しばらくその場に座り、やがて立ち上がった。
 気づいた天南が、慌てて立ち上がる。特に置いていったりするつもりもないのに。
 そんなことをぼんやりと思っていると、流河の袖を、天南がちょんとひいた。
「流河」
「ん?」
「上着、持ってくるの忘れちゃった」
 申し訳なさそうに、えへへと笑う天南に、流河はああ、と返した。
「やる」
 歩き出す。そっけない流河の態度に、天南は慌ててそのあとを追いかけた。
「い!? そんな」
「防寒着なんで何も持ってない。それこそ死ぬ気か」
「いや、案外平気だし」
「そんなわけあるか」
 続けようとした言い訳をしょっぱなから全否定され、天南が口ごもる。黙々と歩く流河のあとを、天南はただついて行った。
 しばらく、なんの会話もなく歩く。星空を見上げながら歩いて、時折、派手好きな家のイルミネーションに舌打ちし、あそこの街灯が折れてしまえば良いのにと思う。
「ねえ、りゅうが」
 呼びかけに、振り返る。天南は自分の手にはーと息を吐きながら、流河の目を見ずに、言った。
「提案っていうか、お願いっていうか」
 いきなりなんだろう。と、流河は足を止めた。「う、わぁっと」天南が悲鳴を上げて、流河にぶつかりそうになったのを一歩二歩と下がる。ここでようやく、天南は一度、流河を見た。
 すぐにそらしたけれど。
「今年いっぱいでも良いし、長くて、二月終わるまでで、良いからさ」
 不自然に早くなった声に耳を傾けながら、ふと、流河の視線が天南の鼻の頭や頬、耳へと自然向く、寒さに真っ赤になっているそれらは、見てるこちらが痛々しかった。
 様子のおかしい天南だけれど、そちらに気をとられすぎていた。だから、天南の話を、流河は、ぼんやりとしか聞いていなかった。
「あの、わあああ、私を、その、君の、彼女ってことにしてくれない?」
 それなのに、その一言はまっすぐに流河の耳に飛び込んでくる。
「……は」
 瞬いて、天南の顔へ焦点を合わせる。天南は俯いて、じっと下を見つめていて、表情は分からない。耳は相変わらず真っ赤だったけれど。

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