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■神様の歌■第一章■第三話■

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「ソナタ、フードは」
「問題ないわ」
 ルースの言葉に上機嫌で返すのはソナタ。
 二人は運良く通りかかった――実際は船が沈没したと聞いて集まった野次馬の――漁船に救われ、漁師の好意により、一休みをした後に港へ降り立った。
 ソナタは一目で何者か分かってしまう髪を、しっかりと隠している。
 二人は市場を一通り見物した後、広場のベンチに座り話し込んだ。
「へー。書類上ではラデンの領地になってるはずだけど、どうしてこんな――何て言えばいいかしら。犯罪紛いの物がはびこりつつ、陽気な空気を保っているのかしら」
「ここにはここのルールがあるらしい。普通に暮らせば障り無いって聞いてる」
 そっか、とソナタは頷き、少し黙った後、ルースをジッと見つめた。
「どうした?」
 ルースの言葉に、ソナタは笑みを浮かべる。
「あのね、さっきの果物売りのワゴン、おいしそうな桃があったのよ」
「お前な」
 ソナタの言葉に、ルースは呆れた声をあげた。ソナタは気にせず、人差し指をふりつつ口を動かす。
「いいじゃない。こんな早くからばれるはず無いでしょう?」
 王女のあまりに楽観的姿勢を見て、ルースは額を押さえた。
「一件だけだぞ」
「お願いするわ」
 勝ち誇ったような笑みを浮かべて、ソナタはルースの手を引いた。
 再び市場に戻り、果物売りのワゴンを目指す。
 そして、ワゴンがソナタの視界に入った瞬間だった。
「ソナタ、下がれっ!」
 ルースの鋭い言葉に、ソナタの反応が数瞬遅れる。気がつけば、彼女はルースに引っ張られ、目の前では小さな体の子どもが、果物売りのワゴンに衝突していた。
「なに?」
 ソナタが思わず叫ぶが、周りのざわめきにへじり合い溶けていくだけだった。
 ワゴンに衝突した子どもは、色あせた服を着て、フードを目深に被っている。
「いたたたた」
 小さく漏らして、再び立ち上がる。
 自分を突き飛ばした張本人、大の男を真正面から見上げた。
「なんだよ、肩がぶつかっただけじゃん」
 そう言いながら腰に手を当てるしぐさは子ども――おそらく、まだ声変わりもしていない少年――そのもので、ルースやソナタを含めた周りの見物人は、男と少年を見比べつつ、ヒヤヒヤしながら事の成り行きを見守った。
「お前、『村』の連中だろ」
 その言葉に、見物人の大多数がどよめく。中には、足早にその場を立ち去るものさえいた。
「何、村って?」
 ソナタがルースの袖を引き訊ねるが、返事は帰ってこない。ルースは難しい顔をしたまま、じっと少年を見つめていた。
「そうだよ? ソレが? ボクらは迷惑かけずに生きてるんだ、文句言わないでよね」
「知ってるぜ? 村の連中は、化け物なんだろう?」
 男の言葉に、ぴくりと少年が反応した。その反応を面白がるように、男は言葉を続ける。
「ああ、知ってるとも。『町』の連中から、迫害されてるって噂も、『村』の連中のせいで、殺されかけた奴等のことも」
「そんなの、嘘だ!」
 少年の怒鳴り声も虚しく、男は楽しげに笑う。
「小汚い服を着て、何百年も昔の暮らしを今もしてる。時代遅れの連中だ」
「それ以上、ボクらを侮辱すると、許さないぞ」
「どう許さないって?」
 一歩前に出た少年に対して、男も一歩少年へと近づく。
「面白い、何をしてくれるって言うんだ?」
「あんたは、今まさに、その『化け物』を相手にしてるんだろ?」
「お前みたいなガキに、何ができるって……」
 少年の、唯一フードで隠れていない口元が、笑った。
 右手を出し、周りの空気が変わり始める。
 異様な圧力が、男へと集中していく。



 ルースたちは最初、太陽が雲に隠れたのかと思った。頭上を何気なく見やれば、太陽は変わらず輝いている。ただ、その輝きが、どこか冷たいものを思わせた。
 周りを見回せば、見物人の大多数は既に逃げ出していた。『村』の連中、もしくは、この少年が起こす騒ぎの終末を知っている者の判断だったのかもしれない。
 けれど、その事実にソナタは気がつかなかった。
 周りを見て、初めて自分たちが逃げ遅れたことを思い知る。
「ルース、何か危ないわここ!」
「ソナタ、逃げてろ。フード押さえておけよ」
「ルース?」
 小声で指示を出すものの、ルースは動かなかった。少年と男のやり取りに夢中になっている。危険だ、とソナタは思い、ルースの腕をつかんだが、額に浮かんでいる汗を見て、すぐに思い直した。
 ソナタ自身、把握しきれていない現状の危険度を、ルースは完全に理解した上でその場にとどまっていることを知った。
 そして彼は、ソナタに『逃げてろ』と言った。ソレは、自分ひとりなら何とかなる。ならば……。
「分かった、隠れてる」
 ソナタは頷き、その場を離れた。ルースは少年と男から目を離さない。



「思い知れっ」
 バチバチ、と言うなにかが爆ぜる音がした。ハッ、とルースが音のほうを向く。
 少年自身に変化は無い。けれど、少年の足元にあるワゴンの一部焦げていた。ルースはここで直感する。『何か』あると。一体何事だ? 思いつく前に、ルースの口は動いていた。

「よせ!」

 その声に、少年は周りに人がいることにはじめて気がつく。
 少年が我に返り、戸惑い、気を抜いたその瞬間だった。
「くそったれ!」
 男の一撃が、少年の腹部にめり込む。少年の体は二つに折れ、その場に倒れた。
 男はその姿を見つめながら、肩で息をして見つめている。動かない少年を見つめたまま、叫んだ、
「なんなんだよ、お前はぁ!」
 威勢良く言葉を投げたものの、それ以上は続かない。そして男は、先ほどの圧力を思い出し、体を震わした。
 二度と関わったりしねえ、そう口の中でつぶやいて、逃げるように走り去る。
 この喧嘩において、勝者であるにもかかわらず。



「おい、大丈夫か?」
 男が踵を返すと同時に少年にかけよったルースは、振り返ってソナタを呼んだ。近くの建物との間の路地から顔を出したソナタは、少年の状態を見て悲鳴を上げる。
「大丈夫?」
 ソナタの言葉に、少年は笑みを浮かべながら言った。
「平気平気。顔は殴られなかったし」
 重要なのか、そうでないのか。微妙な言葉を理由に使いつつ、少年は起き上がろうとし、失敗する。その場に崩れこむようにしりもちをついた。
 ルースはソレを見て、息を吐く。少年に背中を見せ、その場にしゃがんだ。
「背中に乗せてやる。家はどこだ」
 ルースの親切に、少年は目を丸くする。ソナタとルースを交互に見やり、口元を緩ませた。
「ありがと。でも村だから、よしたほうが良いと思うけど?」
「なにが?」
 ソナタがつぶやき、少年を引っ張りあげる。少年は驚くほど軽く、ソナタは一瞬手を止めた。
「ビビ、早くしろ」
 呼ばれても、ソナタはすぐに答えない。『ビビ』と言う名を、ゆっくりと認識し、慌てて頷いた。
「ごめん。ほら、立って」
 体に力の入らないらしい少年を、ソナタはルースの背中に押し込んだ。有無を言わさない二人のやり取りに、少年は一人苦笑する。
「ありがと」
「いえいえ。ほら、道案内」
 街の人からの視線を体中に浴びて、三人は、市場を離れた。

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